如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

言葉のちから その2

2006-08-09 22:47:36 | Weblog
前回「私は言葉に縛られて生きている」と書いた。おろかな事を書くものである。
こう書く事で、私はよりいっそう言葉に縛られる事になるわけだ。
客観的な事実のように書いた瞬間に、それが客観的な事実であるかどうかにかかわらず、私の脳の中に「客観的な事実」として定着してしまう。
一度定着してしまえば、それは既定の事実として、存在し続ける事になる。
「ほんとにそうなの?」という疑問を強く投げかけられない限り、それは居座り続ける。

こういった言葉の力を利用して、プラス方向に暗示をかける事が出来る。
たとえば朝起きたら「今日は調子がよい。気分爽快」と言葉に出して言う。
緊張する場面では「この緊張感がたまりません」と言う。
千円札を失くしたら「一万円札でなくて本当によかった」と言う。
夏の炎天下で働くときは「夏は暑くて気持ちがよい」と言う。
冬の北風の中で働くときは「冬は寒くて気持ちがよい」と言う。
自分の言葉で、自分の感覚や自分の考え方を変えてゆく事が出来るわけだ。やりすぎは危険だけれど・・・

そういえば、NHKの自然の番組で「地球上には人があふれている」と言っていた。
よくそういう表現を使うが、これはよいイメージなのか、悪いイメージなのか・・・

あふれているわけではないが・・・雰囲気的にはそうである。
想像してみてほしいのだが・・・たとえば満員電車に乗っているのが人間ではなくチンパンジーだったらどんな感じか・・・??
やっぱり、人間多すぎるんじゃないかと思ってしまう。
だから、少子化とか問題になってても、本質的にはたいした問題ではないとどこかで思っている。
数十年前の日本では「人口の爆発」が大きく取り上げられていたし、たぶん世界的に見れば今でもそれは大きな問題である。
先進国が率先して、人口の抑制に取り組んだ結果が少子化であるわけで(?)・・・それでいいんじゃない・・・という思いがある。

「花壇に花があふれている」といえば、良いイメージである。
「この森は、さまざまな野鳥であふれている」といえば、良いイメージである。
「見渡す限りの地上がイナゴであふれていた」といえば悪いイメージである。
もし、「地球上には人があふれている」と聞いて悪いイメージを感じてしまうなら・・・まあそれはそういうことなのだろう・・・

写真は今日の虹の写真です。
夕方6時10分頃でした。
あわてて携帯電話のカメラで写したのですが・・・画素数の設定が小さかった事にあとで気づいた。
まあ、雰囲気は伝わると思います。
すばらしく鮮明な虹でした。
これだけ鮮明な虹は、なかなか見られません。