如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

薄情

2007-12-01 23:10:35 | Weblog
前回に引き続いてテレビドラマの話。
最近おもしろいと思っているのが「CSIマイアミ」。テレビ東京でお昼の時間帯に放送しているアメリカ製のテレビドラマ。しかし、後一回で終りかもしれない。
CSIというのは、警察の科学捜査班のこと。事件を科学的な調査によって解決してゆくストーリーなのだが、見ごたえがある。
ロイター通信が"世界で最も視聴者の多いアメリカの番組"と報じたそうだが、なるほどと思う。
夜のゴールデンタイムに放送すればそれなりに視聴率が稼げると思うのだが、それができない理由が何かあるのだろうか。ちなみに、私は録画で見ています。

今は、韓国製のドラマが数多く放送されているが、アメリカの方がレベルはかなり上だと思う。
思い出したが、私が子供の頃に見たのは、アメリカのドラマばかりでしたね。「ララミー牧場」とか「奥様は魔女」とか「名犬ラッシー」「コンバット」・・・ずいぶん見てましたね。
そういえば今度NHKBS3でペ・ヨンジュン主演の歴史物の韓国ドラマを放送するらしい。どんなもんでしょうかねぇ・・・

最近言われた言葉に「薄情」というのがある。思い当たる節は充分にある。
基本的に対人恐怖症だから、他人にかかわりたくない。しかも、私は対人恐怖症と感じているが、他人から見れば「人間嫌い」である。そして確かに人間嫌いになっていると思う。
他人に干渉される事が嫌いだから、他人に干渉する事もしない。したがって人間関係は疎である。
他人から、思いやりみたいなことをされるのが嫌いだから、他人にそういうことをしない。
さらに、無意識にあるいは意識的に人を遠ざけようとする傾向さえあると思う。
だから共同作業は苦手。大げさに言えば「俺の仕事に手を出すな、お前の仕事にも手を出さないから。」という感じ。
自分が嫌いな事は、他人も嫌いだと思っているが、どうもそうではないらしいと気づく事もある。しかし、だからといって今更どうしようという気持ちもない。
したがって、私は「薄情」であると思う。
それでずいぶん、他人を傷つけてきたのかもしれない。期待される「思いやり」が欠如しているわけだから・・・そういうことになる。
しかし、「薄情」の世界も住んでみれば悪くない。一人で山に入る時の気分がそれに近いかもしれない。
たとえばいつか、一人で山に入ったまま帰れなくなって、それで終りになるのかもしれないが、それも人生だと思う。
もうずいぶん前に知り合いから「お前が山に入るのは、死に場所を求めているようだ。」と言われた事があった。自分ではそんな事を意識した事はなかったが、少しはそういう意味もあったのかなと、今頃になって思う。
そう言ってくれた人は、すでにあちらに逝ってしまいましたけど。

ネアンデルタール

2007-12-01 16:49:15 | Weblog
プログの書込みをサボっている間に、すっかり冬になってしまった。
遠くに見える山々はもう雪で真っ白です。
10月半ばまでは暑い日もあったことを考えると、今年は秋が短かったようです。

飼っている猫は、秋に入ってからずいぶんたくさん食べるようになり、丸々と太りました。今年は寒い冬になるのかもしれません。

気候の温暖化が心配されていますが、現在は間氷期のピークがすぎたところという見方もあり、だとすればこれからは、徐々に気温が低くなる傾向かもしれません。
氷河期と間氷期という自然の周期的な変動に、人間の活動がどれほど影響を与えるか、まだよくわからようです。

インド旅行記の「秋の旅」が、載せ終わりました。
自分にとっては必然な旅だったのですが、家族や周囲の皆さんには、迷惑や心配をかけたわけです。どう説明したところで理解されたとは思えないし、必然だという事を論理的に説明する事は、今でもできそうにありません。

今日から、見られるテレビ局の数が増えました。しかし、目新しいものはありません。視聴率が取れないから、予算もそれほどないはず。

前回、この秋のテレビドラマについて書きましたが、結局ちゃんと見ているのは「医龍Ⅱ」だけになりました。このドラマはよくできていると思います。毎週新しい展開があって、個々の登場人物にスポットライトを当てて描き出して、結果としてチームのメンバーが増えてゆくというストーリーは、私の好きな水滸伝や八犬伝と似ています。来週からは揃ったメンバーで新たな事態に対処してゆく事になるのでしょう。
もうひとつ、このドラマの優れている点は音楽の使い方。音楽によってメリハリを付けてゆくやり方は、慣れるとかなり気持ちよい。

最近読んだ本は、「ネアンデルタール」。
エンターテイメントの小説を読んでみたくなり、BOOKOFFで見つけてきた。
設定にはかなり無理を感じるし、ストーリの展開にもリアリティーが不足しているが、そういったことを別にすれば、興味深い内容の本だった。
ネアンデルタール人についてはいろいろな説があって、確定的なことはほとんどないらしい。だから小説にもなりやすい。
ネアンデルタールは、われわれの祖先ではないというDNA調査の結果にしても、これからの研究でひっくり返らないとも限らない。

とりあずいえることは、ネアンデルタールが、われわれと同じ祖先を持つ非常に近い関係にある種であったという事である。しかも両者は、しばらくの間、共存していた。共存していたといっても、仲良くしていたという意味ではないが、同じ時代に、同じ土地にいて、相手を見る機会もあっただろうという事である。
そこで一番の問題は、なぜネアンデルタールが絶えてしまい、我々サピエンス・サピエンスが生き残っているかという事になる。
ネアンデルタールは、火を利用していたし、石器も使っていたのは確からしい。体力は、サピエンス・サピエンスよりも強かったと考えられる。

簡単に結論を出しても仕方ないのだが、サピエンス・サピエンスのほうが少しずる賢く、少し繁殖力が大盛だったということかもしれない。
似たような種が、同じ土地で同じような食性で共存していた場合、ほんの少しの違いによるほんの少しの影響が、長い年月つもり積もって、一方は徐々に数を減らしついには絶滅してしまう。

サピエンス・サピエンスは、とにかく一年中繁殖期だし、何でも食べるし、冒険癖もある。
冒険癖というのは、同じサピエンス・サピエンスが、地球のどこにでも、太平洋の真ん中の孤島にまで、はるか昔から住んでいることからも明らかである。

では、サピエンス・サピエンスとネアンデルタールのどちらが優れていたかというと、それはわからない。そういう比較をすべき問題ではないように思う。人間社会の尺度で計るべき事柄ではないだろう。

考えてみれば、今の社会では、子供を持たないサピエンス・サピエンスがたくさんいる。理由はさておき子孫を残さない。
子孫を残さないという事は、小さな絶滅である。
今生きている一人一人は、サピエンス・サピエンスの何十万年も続いてきた進化?のTREEの先端の一枝なのだが、子孫を残さない事でその枝はそこでストップし、小さな絶滅をする。
絶滅も悪いことではないとは思うが・・・
今生きている人々の内の誰の遺伝子が、一万年後に残っていて地上を歩いているかという事を考えてみる・・・

秋の旅(21・おわり)

2007-12-01 12:23:52 | インド旅行記
12月09日
ニューデリー駅に着いたのは11時頃。クロークにバッグを預けて街に出た。駅のクロークはホームにあるところが多く、ニューデリー駅も1番ホームである。預けるときに切符を見せて、そのナンバーを控えている。
駅を出て、今日泊まるホテルを探してみる。どこでもよいような気もする。
ゴールデンカフェで飯を食べる。ここで会った日本の若者は飛行機から荷物が出てこなかったそうだ。航空会社に問い合わせたところ、明日また連絡してくれと云われたという。本人はあっけらかんとしているが、初めての一人旅でのっけから荷物が無くなってはたまったものではないだろう。彼は、パキスタンの方、ガンダーラ遺跡やモヘンジョダロに行くつもりだったのだそうだが、とにかく足止めをくっているのである。

それから、各州の物産店の集まっているところにお土産を買いに行った。しかし、昼飯時から2時までは店をクローズしている。それで、向かいの通りのコーヒーハウスに入った。古いビルの最上階にあるのだが、オンボロのレストランで、ウエイターはおじいさんばかり。お客の方も時間をつぶしているような感じの人が多い。

物産店は、どの店も立派な建物だが、客は少ない。そう云った店が通りに10店くらい並んでいる。州政府の店という事で店員は公務員のようなのんびりした商売をしている。
心が動く物もあるが、あまり買えない気分だ。
その帰りに、歩道の路面に並べて売っていたヒンドゥーの神様のポスターを買った。
ダラムシャラーでのトレッキングの疲れが出ているのだろうが、スリにやられてもおかしくないような不注意な格好でポスターを漁っていた、と後で思う。

宿を探すのも面倒なので数日前に泊まったAJAYに行ってみた。しかしAJAYには良い部屋が空いていない。それで向かいにある同じ経営者のHARE・RAMAに行ってみた。
こちらのゲストハウスでもなぜか最初は窓のない安い部屋に案内された。自分はそんなにみすぼらしい身なりをしているのかと思う。
確かに、薄汚れて少し破れたショルダーバッグひとつで、他に荷物も持っていないのだから、チベッタンの巡礼のように見えるのだろう。バックパックはまだ駅のクロークにある。
その後ふた部屋見せてもらって、最後の部屋が良さそうだったので、そこに泊まることにした。200Rsだがまあまあの部屋である。
しかし、すぐに分かったのだが、その部屋は階段の踊り場の近くで、そのすぐ上には屋上レストランがあったのである。したがって、けっこううるさい。これは失敗したと思ったが、しかたない。結局そんなに良い部屋はないのである。まあ、レストランに近いという事は便利であることは確かだし。

12月10日
今日は、わざわざデリーアウトの航空券を買った唯一の理由であるクリシュナ像に会いにラクシュミ・ナーラーヤン寺院に行った。宿から歩いて20分くらいの距離である。案外近い。
前回の時は案内のおじさんがいたが、今回は靴をおいて勝手に入ることができた。
地球に乗っている神様の像の地球の部分に今回は色が塗られていた。前回来た時は塗ってなかったような気がするのだが。
一番奥の部屋にあるお目当てのクリシュナの今回の着物はグリーンだった。春に来た時に比べ少し化粧が濃いし、マリーゴールドの首飾りは前の時より少ない。前回の方がそう云った意味でもっと良かったとは思うのだが、それでも非常に引きつけられる像である。

帰りに野菜市場を歩く。新鮮な野菜が何でも揃っている。目に付いたのは大根、日本のと同じだ。タマネギは皮の赤紫のヤツ。茄子はソフトボールくらいにまんまる。オクラやニンニク、生姜、何でも手に入りそうであった。リンゴがおいしそうだったので買った。味は良かった。

ゴールデンカフェであった学生はカルカッタイン、カルカッタアウトで、バラナシにも十日くらい滞在したと言うが、バラナシのゴールデンテンプルにもヒンドゥー大学の博物館にも行っていないと言う。
私のように名所ばかり回っている観光客的な旅とは違う旅があるのかもしれないと思った。
ガイドブックを持たずに、行く先々で得た情報だけで旅を組み立ててゆけば、そういう旅になるのかもしれない。『深夜特急』の沢木のような旅である。まあ、私にはできないが。

12月11日
今日は帰国の日。夜の便であるから、最後の観光をして、また土産物でも買おうと思う。
空港へはニューデリー駅からバスに乗ろうと思ったので、まず駅に行って、バスステーションを確認する。バスステーションは駅の反対側である。
しかし、行ってみると、案内板がない。大きなバスステーションなのだが、さっぱり分からない。ガイドブックのバス停の番号を頼りにバス停は見つけたが、そこには時刻表はおろか、行き先表示もない。これでは、ここから空港に行ける自信はない。それでこのバス停から空港に行く事は、即諦めた。

次に、サイクルリクシャでジャマーマスジドに向かう。イスラムの寺院である。オールドデリーにはサイクルリキシャが似合う。
実際のイスラム寺院は、私の中にあるイスラム寺院のイメージとだいぶん違っている。どこでそんなイメージが植え付けられたのか忘れてしまったが、イメージの中のイスラム寺院はタマネギ型のモスクにステンドグラスの窓、香の立ちこめた室内にターバンを巻いた白っぽい装束の僧侶、そんな感じである。実際の寺院がそれとはだいぶん違うと分かってからも、心の奥底にはそのイメージが生き続けているらしい。
イスラムの教えの本質は分からないが、それ自体は悪い宗教というわけではないと思う。今また、イスラムを信仰する人々が増えているという話も聞く。

ジャマーマスジドは、階段の付いた大きな基壇の上の入り口から入ると、広い石畳の広場になっていて、メッカ側に礼拝堂が建てられていた。
広場の中央には池がある。アグラで見たイスラム寺院も同じような形式だったように思う。
広場の周囲には現代とは無関係な顔立ちの老人達がゆったりとひなたぼっこしている。
広場の祭壇側や建物の中には礼拝用にジュータンが敷かれてあるから、今でも毎日時間になるとここに集まってきてメッカに向かって礼拝する人たちがいるのだろうと思う。もちろん祭壇と行っても何もない大理石の白い壁である。
その祭壇の脇に、色とりどりに美しく装丁された本がたくさん積んであった。コーランだろうか。

ジャマーマスジドからラールキラーの入り口の方に歩き、チャンドニーチョークと呼ばれるオールドデリーのメインストリートを歩いた。商店の並ぶ立派な通りである。
想像していたよりもずっと都会的で道路も歩いて渡れないほど広い。
そこから、銀の装飾品を売る店の並ぶ路地に入った。どの店も間口の狭い小さな店である。銀の値段は毎日変わるそうで、聞くと今日は1グラムいくらと教えてくれた。どの店にもハカリが置いてあるのは、目方で売ったり買ったりするためだろう。器や装飾品に加工したものには加工費がプラスされるが、加工費自体は安いものらしい。
銀製の灰皿が欲しくなった。高価ではなかったが、結局やめてしまった。
さらに路地に入って行くと、今度は飾りものの店ばかり並んでいる。造花、ビーズ、リボン、神様に着せる衣装とか帽子、祭りに使う派手な衣装、そんなモノを扱う店がずらっと並んでいる。

コンノートプレイスのインディアンエアラインの前からエアポートバスが出るというので、チケットを買い、時刻を確認した。6時過ぎのバスに乗ることにする。

それから、タンカが欲しくなって、チベット土産の店を歩いてみるが良いものはない。あやしげなガラクタばかりである。
最後に入った店には、それでもいくつか古いタンカが掛けてあった。店員が「タンカか。タンカなら2階にもっとある。」と言う。
私はちょっと腰が引けた。なぜなら、2階に上がる階段はハシゴのようで、その先は暗闇だったからだ。
それでも先に上がっていった店員に誘われて、おっかなびっくり狭い木製の階段を上がってみた。すると、確かにそこにはタンカが驚くほどたくさんあった。新しいものもが多いが、古そうなものもたくさんあって、壁に何枚も重ねて掛けてある。棚には巻いて保管している物も相当ありそうだった。
そのひとつが気に入って値段を聞いてみると900Rs。割合に安い。それを700Rsにして買うことにした。1500Rsくらい出せば結構大きなものも買えそうであった、しかし、お土産にはあまり適当ではないような気がした。

エアポートバスは混んでいなかった。しかし、道は非常に混んでいる。それでも途中からは空港への取り付け道路になりガラガラに空いていた。今度はバスがとばすのに驚いた。
バスは、はじめに国内線のターミナルに停まるのだが、国内線と国際線の表示を見落とすと降りてしまいそうになる。

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この旅で得られた事は、ずいぶんたくさんあった。
とりあえず、やるべきことはすべてしたような満足感がある。

目的を持って現れた神の化身は、人類を、生物を、地球を、宇宙を輝かせるために、神を表現しているのかもしれない。
重要なのは、サイババにしろ、イエスにしろ、人間の肉体を持って現れたことである。かれらは、肉体という有限な物に制約されているように見える。
しかし、有限に見えるのも我々の勝手な思考パターンに過ぎないのかもしれない。
とにかく、人間でありながら、自らが「神の子」であると認識できたり、「神の化身」であると認識できたりする存在が、この世界にかつて生きていて、今も現にいる。
その人が「あなた方も私と同じ神の子・神の化身なのだ。」と言ってくれる。
それを我々が正しい意味において認識できたとき、我々はひとつ前に進めるように思われる。

言葉という不完全な未熟な道具を振り回しても、実物とは似ても似つかない像ができるだけなのであるが、それでも、何か形にしたいのが人間であるらしい。

** 以上で、秋の旅の記録を終わります。