如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

ケータイ

2007-12-24 21:04:30 | Weblog
一昨日の晩は雪になるかもしれないという天気予報だったが、結局雨であった。気温がもう2~3度下がらないと雪にはならないのだろう。今日は満月で、きれいな月が昇っている。月の近くに火星が明るく輝いている。

先日携帯電話を失くした。一週間ほどして出てきたが、もちろん機種変更したあとであった。
失くしたケータイは2年以上使っていたもので、それなりに痛んでいたので、機種変更にそれほど抵抗はなかったが、携帯電話をなくすというのは、やはり気分の悪いものだった。
悪用されては困ると、いろいろ悪い方に想像したりもした。

今度の機種は、カシオW53CA カメラ機能に力を入れたケータイという触れ込みの機種である。
確かに、カメラの機能は豊富である。しかし、写りは、コンパクトデジカメに遠く及ばないように思う。補助のカメラとして、記録用として使うには充分だと思うが、色の再現性に疑問を感じる。キャノンのPowerShotと比較しての話だが・・・ 
こういう違いは、レンズの違いというよりも、デジタル処理の違いなのかもしれない。
それでも、ケータイにオマケで付いているカメラとしては、良い方なのかもしれない。
ケータイはどんどん変わってゆくので、新しい機種にすると、とりあえず使えるようになるまでにずいぶん時間がかかる。
今度のは、ICカードが入っているので、コードの変更もしなければいけないし、その他にも、セキュリティー用のコードも変更しなければならない。
変更しなくても、失くさなければ初期値のままでかまわないのだろうが、前のを失くした直後では、そういうわけにもいかない。
そんなわけで、昨日は終日、携帯電話をいじくりまわしてしまった。
ケータイのデータのパソコンでの管理は、以前から使っているMysync Suite というソフトが、新しい機種でも使えたので助かった。アドレスや写真をパソコンとやり取りするのは、このソフトで十分だと思う。

話は変わるが、先日テレビで、車載カメラを積んだ車が自動車事故を起こした時の、その車載カメラの映像を放送していた。タクシーには車載カメラを積んだものがあるのだそうである。
それを見ると、右折する時、対向車の陰から出てくるオートバイとか、夜間に対向車のヘッドライトの光に包まれて見えないセンターライン上の人とか、とにかく視界に急に飛び出してくるものに衝突する事故が多い事がわかる。こういう映像をたまに見ることは、事故防止にだいぶん有効なのだろうと思った。いちばん怖いのは、慣れによる心の緩みなのだと思う。注意していても、それでも事故は起きるのだが、避けられる可能性があるなら、避ける努力をした方がよい。

久しぶりに、レンタルビデオを借りに出かけた。前に何時借りたか記憶にないくらい長い間借りていないので、たまには行ってみようと思った。
しかし、行ってはみたものの、これを観たいというものが見当たらない。好奇心が弱くなっているという事だろうか。
それでも何か借りようと思って、結局選んだのは、パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト 。
この映画の一作目をテレビで見ていたので、続き物の感覚で見てみたくなった。
一作目で感じたのは、この映画には通常の善悪の観念が通用しないという事。海賊の話だから当然なのかもしれない。
通常の善悪の向こう側ではあるが、登場人物はそれぞれの価値観や美意識によって行動してゆくわけで、それが結構新鮮だった。
この二作目は、一作目のような完結した終わり方ではなく、明らかに三作目に続く事を意識した内容だった。
それにしても、この作品全体に漂っている北の海のような暗さは何なのだろうかと思う。作品は南の海の話なのだが・・・
映像が全体に暗いこと。パイプオルガンを使った哀愁を感じさせる音楽を使っていること。登場人物がグロテスクで、衣服もきたならしいこと。よく言えばリアリティーがあるといえるわけだが・・・

レンタルビデオ屋の棚を見ても、日本映画に借りたいと思うものが見当たらない。よく探せば、良い作品はあるはずなのだが・・・

それから、昨日テレビで見た映画は、ナショナル トレジャー。
この映画で新しいと感じたのは、アメリカ国内に宝探しの場所を設定していたところ。今まで宝探しといえば、インディージョーンズのような設定が一般的だった。
さすがに、宝自体はアメリカ製ではなく古代エジプトの物だったが、それはいたしかたのないこと。
前述のパイレーツ・・・に比べれば、こちらは、お茶の間で家族でお菓子を食べながらでも楽しめる内容だった。
ちなみに、パイレーツ・・・もナショナル・・・もディズニーの作品。

日本で宝探しといえば、徳川幕府の埋蔵金なのだが・・・どうなんでしょう?
江戸城を開城するまでに外国から軍艦などを買うためにほとんど使ってしまったのか、蝦夷に運ぼうとした船が海に沈んでしまったのか、明治新政府がそっと頂戴したのか、どちらにしてもどこかに埋めて隠したりはしないように思う。
戦時に軍資金を隠すという発想はないだろう。軍資金があれば、それを使って少しでも軍を立て直さなければならない。
もし幕府に資金が残っていたという情報があったのなら、新政府がそれを放置したはずはなく、どんな手段を使っても探していただろう。

そのほかに、宝探しの対象になるようなものが日本に残っているとすれば、まだ調査されていない古墳くらいだろう。発掘されていない古墳はほとんど国の管理だと思うが、あるいは誰にも知られていない未盗掘の古墳もどこかにまだ残っているかもしれない。しかし、よほどの人物の墓でなければ、副葬品もたかが知れているわけで、宝とは呼べないものだろう。

それよりも、古い家であれば、自宅の蔵や押入れの奥を探した方がよいと思う。
それこそ、アメリカが建国する以前から続いている家が日本にはいくらでもあるわけで、そちらを探した方が見つかる可能性ははるかに高いだろう。