三宅島南岸。
2024年12月3日(火)。
船の行程は、八丈島発9:40、御蔵島着12:35、発12:40、三宅島着13:35、発13:45、東京着19:50である。伊豆大島には寄らない。
御蔵島港から北に約18km離れた三宅島へ向かう。噴火による避難は記憶に新しい。
三宅島は、伊豆大島の南57kmに位置する直径8kmのほぼ円形をした島で、伊豆-小笠原海嶺の上にあり、第四紀更新世の後期(約1万 - 15万年前)になってこの付近の海底で噴火が始まり、島が形成されたと考えられている。
島は雄山(おやま)を最高峰とする水深300 - 400mの海底からそびえるひとつの火山体であり、玄武岩質の成層火山である。
雄山を中心としてしばしば激しく噴火をすることで知られ、火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山(常時観測火山)に選定され、気象庁によって火山活動度ランクAの活火山に指定されている。
最近500年間では平均50年の間隔で13回の噴火が起き、明治時代以降だけでも5回を数える。その中でも三宅島の火山活動で特に語られるのは直近の2回、1983年、2000年である。
2000年6月26日から三宅島南西部を震源とする小さな火山性地震が観測され始めた。一連の現象は、三宅島の南西部に貫入したマグマが西方海域へ移動したことによると推定された。
その後、地震の震源はさらに西方沖へ移動し、新島、神津島近海で活発な群発地震活動(最大マグニチュード6.5、震度6弱)となった。
7月4日頃から再び雄山山頂直下を震源とする地震が観測され始め、次第に活発化していった。7月8日、山頂で小規模な噴火が発生し、山頂付近に直径700〜800mの円形の陥没地形が形成された。この陥没は次第に拡大し、8月中旬までに直径1.5km、深さ450mのカルデラが形成された。
8月10日には噴煙の高さが8000mに達する規模の大きな噴火が発生した。その後は断続的に噴火が観測され、18日の噴火では噴煙の高さが14000mにも達した。この噴火の際には西側山麓で降灰があり、中腹では50cmの噴石、山麓でも5cm程度の火山礫が落下した。
8月29日の噴火の際には低温で低速の火砕流が発生し、山頂から北東側に5km、南西側に3km流れ、北東側は海にまで達した。また、雨による泥流も頻発した。8月31日、火山噴火予知連絡会は「今後、高温の火砕流の可能性もある」とする見解を発表。これを受け、9月1日全島避難が決定、4000人余の島民は島外での避難生活を余儀なくされることになった。
噴火は9月まで続き、その後は山頂火口からの大量の火山ガス放出活動に移行した。その後火山活動は低下し、2005年2月1日、全島避難指示から4年5ヶ月に及ぶ避難指示が一部を除き解除された。
桟橋へ近づく。南には御蔵島が見える。
三宅島・三池港桟橋。
三宅島・御蔵島。
伊豆諸島北部。14時15分ごろ。
伊豆大島。伊豆半島。16時20分ごろ。
レインボーブリッジ。
東京タワー。
当日は東京に泊まり、翌朝は皇居乾通り通り抜けで紅葉を楽しんだ。