東京国立博物館「挂甲の武人 国宝指定50周年記念特別展「はにわ」」。
2024年10月29日(火)。
第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間
埴輪として初めて国宝となった「埴輪 挂甲の武人」には、同じ工房で作成された可能性も指摘されるほど、兄弟のようによく似た埴輪が4体あります。そのうちの1体は、現在アメリカのシアトル美術館が所蔵しており、日本で見られる機会は限られています。今回、5体の挂甲の武人を史上初めて一堂に集め、展示します。なお、国宝「埴輪 挂甲の武人」は近年修理と調査研究を行い、『修理調査報告 国宝 埴輪 挂甲の武人』(2024年、東京国立博物館発行)として報告書を刊行しました。ここではその最新の研究成果も紹介します。
国宝・埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵
高130.4 幅38.6 奥行27.3 重さ30.5㎏。
甲冑に身を固め、大刀と弓矢をもつ武人の埴輪。武器・武具が精巧に表現され、古墳時代後期の東国武人の武装を知ることができる貴重な資料である。冑(かぶと)は衝角付(しょうかくつき)冑と呼ばれるもので、顔を守る頬当てと後頭部を保護する錣(しころ)が付いている。また粘土の小粒を貼り付けて冑が鉄板を鋲で組み合わせて造られていたことを表す。甲(よろい)は小さな鉄板を綴じあわせた挂甲(けいこう)で、肩甲や膝甲、籠手(こて)、臑当(すねあて)、沓(くつ)も表現されている。一方、右手は腰に帯びた大刀に添え、左手に弓を持っている。左手首に巻かれているのは弓の弦から手を守る鞆(とも)で、背中には鏃(やじり)を上にして矢を収めた靫(ゆき)を背負う。
このほか10か所に見られる蝶結びから、紐で結んで甲を着装していたことがわかる。挂甲は右衽(みぎまえ)に引き合わせて結び、膝甲、臑当は後ろで紐を結んでいる。また肩甲の下に短い袖が表現されており、籠手は素肌につけていたことになる。
顔立ちはおだやかで、全体に均整がとれ、熟練した工人が製作したと考えられる。群馬県東部の太田市周辺では、同じような特色をもつ優れた武人埴輪が数体出土しており、この地域に拠点をおく埴輪製作集団の存在が想像される。
重文・埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市成塚町出土 古墳時代・6世紀 群馬・(公財)相川考古館蔵
埴輪 挂甲の武人 群馬県伊勢崎市安堀町出土 古墳時代・6世紀 千葉・国立歴史民俗博物館蔵
重文・埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市世良田町出土 古墳時代・6世紀 奈良・天理大学附属天理参考館蔵
埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市出土 古墳時代・6世紀 アメリカ、シアトル美術館蔵