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根室市 納沙布岬 北方館 貝殻島 寛政の蜂起和人殉難墓碑 納沙布岬灯台

2024年07月27日 09時54分39秒 | 北海道

北方館から望遠する貝殻島灯台。根室市納沙布。

2022年6月14日(火)。

ヲンネモトチャシ跡を見学後、納沙布岬方面へ東進して、14時ごろ望郷の岬公園の大駐車場に着いた。納沙布岬は1970年代に来たような気がするが記憶に残っていない。まず、北の海岸沿いにある北方館へ向かった。北方館・望郷の家2階の望遠鏡から歯舞群島が眺められる。

貝殻島は、いわゆる北方領土の歯舞群島にある低潮高地で、納沙布岬の北東沖合3.7㎞に位置し、北方領土の島の中では最も日本本土に近い。

名称は、アイヌ語の「カイ・カ・ラ・イ(波の・上面・低い・もの<岩礁>)」に由来する。

納沙布岬と水晶島を隔てる海峡、珸瑤瑁(ごようまい)水道のほぼ中間地点にあり、硬い礫岩、火成岩で構成され、貝殻島灯台が設置されている。

貝殻島灯台は、1937年(昭和12年)に日本により建設され、点灯した。貝殻島灯台は灯台基部と共に基礎部分の劣化が進み、傾いた姿が納沙布岬から目視で確認できる。1957年(昭和32年)よりソビエト連邦(現:ロシア)が実効支配しているため日本の当局による保守・点検ができない。現在に至るまでロシア側が管理を行っているが、現在は消灯状態となっている。

北方館は、北方領土返還要求運動の発祥の地で、北方領土問題の発生の状況や歴史的経緯を展示資料によって観覧できる。2階で接続している望郷の家は戦前の島民の生活関連資料や島々における街並みや住居表示を祈り込んだ地図等を展示し、北方領土の歴史と生活を紹介している。

リーフレットによると、独立行政法人「北方領土問題対策協会」の運営である。

寛政の蜂起和人殉難墓碑(根室市指定史跡)。望郷の岬公園内。

寛政元(1789年)のクナシリ・メナシの戦いの犠牲者(和人71人)の殉難碑である。

横は、納沙布岬の碑の木柱があり観光ツアー客でにぎわっていた。

納沙布岬灯台。

この地が日本最東端であるが、灯台まで来るツアー客は少ない。

納沙布岬灯台は、現存する北海道最古の洋式灯台で、北方領土や南鳥島を除いた日本の最東端の地に位置する。また、「日本の灯台50選」にも選ばれている。

水晶島と納沙布岬灯台に挟まれている珸瑤瑁(ごようまい)水道は航路開設以来、暗礁浅瀬により航海の難所として恐れられていた。このため「日本の灯台の父」と称される英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により 初代納沙布岬灯台が建設され、明治5年(1872年)7月12日(旧暦)に、点灯された。当時の灯台は六角木造で光源に石油を使用していた。昭和5年に現在のコンクリート造の灯台に改築され、職員が灯台に滞在し管理していたが、平成10年4月から無人化された。

実効光度14,000カンデラ。光の届く距離14.5海里。

 

別海町尾岱沼にある道の駅「おだいとう」へ向かう。その途中、気になった花咲の根室車石と、ポスターで見かけた別海町の国史跡・旧奥行駅逓所を見学しようと車を走らせた。

根室市 日本100名城1番・ヲンネモトチャシ跡



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