”2050年までにキリスト再臨”を信じる人々がイスラエルを支持する理由とは?
Yahoo news 2024/12/31(火) 現代ビジネス 柳澤 田実 (関西学院大学神学部准教授)
イスラエル支持のクリスチャンはユダヤ人より多い
イスラム原理主義組織ハマスがイスラエルの民間人を襲い、それに報復する形でイスラエルによるガザ地区への攻撃が始まって一年が過ぎ、停戦は実現しないまま2024年が終わろうとしている。11月の大統領選では、バイデン政権のイスラエルに武器供与を続ける政策への批判もあり、特に若い世代やイスラム教徒の民主党支持が減少したとされる。しかし、来年から政権を運営する次期トランプ政権にこの問題の解決が期待できるのかどうかというと、現状多くのメディアが未知数だと報じている。
これまでと違うことをやってくれるのではないか、という期待がありつつも、トランプ内閣の閣僚の任用では既に国務長官にマルコ・ルビオ、イスラエル大使に福音派の牧師マイク・ハッカビーを起用するなど、親イスラエルの方針が明確で、「ムスリム・フォー・トランプ」の代表者らも落胆を隠せないと言っている。
トランプがイスラエルのガザ攻撃を止められない理由
2016年にトランプが最初に大統領選挙に勝利した際に注目されるようになったキリスト教右派である白人福音派キリスト教徒たちは、2016、2020年と同様、今回もその8割がトランプに投票した。福音派とは、聖書を文字通りに信じるプロテスタント集団を意味する。今回の選挙では「ハリスを支持する福音派(Evangelical for Harris)」などの反トランプを掲げた福音派キリスト教団体も組織されたが、変化を生み出すには至らなかったようだ。
最近日本のメディアでも報じられるように、白人福音派の大半はイエスラルのパレスチナへの植民を支持し、資金的、政治的に支援している。これに対して白人の福音派よりもイスラエルに現実的な繋がりを持っていそうなユダヤ人はと言えば、約7割がハリス・民主党に投票しており、これも1970年代以降一貫している割合だった。両者の支持政党の違いは、ユダヤ系アメリカ人が、少なくとも白人福音派と同様の意味ではシオニズムを支持していないことを示している。
今日、“親イスラエルのキリスト教徒”(=クリスチャン・シオニスト)の数は少なくとも数千万人と推定されており、世界のユダヤ人人口をはるかに上回るほどの規模を持つ。最大のキリスト教シオニスト組織であるCUFIは、1000万人の会員を誇っており、イスラエル支持のロビー活動でより有名なAIPAC(米国イスラエル公共問題委員会)の10万人の会員数をはるかに上回っている。
要するにトランプ政権に親イスラエルの政策を採らせているのは、ユダヤ系アメリカ人でもイスラエル人でもなく、アメリカ人のクリスチャン・シオニストなのだ。
クリスチャン・シオニズムとは何か
クリスチャン・シオニズムとは、文字通り、イスラエルによるパレスチナ地方の植民活動、国家建設を積極的に支持するキリスト教徒たちの運動である。現在クリスチャン・シオニストを主に構成するのは、先述の、聖書を文字通り信じる「福音派」というプロテスタントのグループである。彼らは聖書に記されていると彼らが信じる信念、つまりイスラエルの地をユダヤ人が支配すれば、キリストの再臨と世界の終末がもたらされ、キリスト教徒は救済され、非キリスト教徒(イスラム教徒やユダヤ教徒を含む)は全滅するという信念に動機づけられている。1948年のイスラエルの建国は、彼らにとって預言の成就の証であり、聖書に描かれた世界の終わり、つまりキリストの「再臨(Second Coming)」が近づいている兆候だった。実に米国の6割以上の福音派キリスト教徒が現在もイスラエル建国を預言の成就と捉えている。
「キリストが再びこの世にやってきて最後の審判が下される」という「再臨」や終末論を信じているということ自体、日本人の多くには異様なことに見えるかもしれないが、「再臨」や終末論自体はキリスト教の正統教義だ。問題はそれを「文字通りに」、歴史上の具体的な日時にイエス・キリストが天から降りてくると信じているか、「比喩的」に信じているかの違いにある。
イエス・キリストは2050年までに再臨する?
暗殺未遂を生き延びた姿を作品として掲げるトランプ
ラジオホストで福音派ハロルド・キャンピングは2011年5月21日に「再臨」と「携挙(rapture)」が起きると預言した。これは当日、アメリカで信じる人たちと信じない人たちがどのように行動したかを記録したAP通信の記録映像である。
Reaction after predicted end of the world fails to happen, AP通信, 2011年5月22日
今日では、カトリックや聖公会、リベラルなプロテスタント諸派は後者の立場を取っている。対して、文字通りの「再臨」が近々起こると信じる、前者の立場を取るのが、聖書を文字通りに信じる福音派であり、クリスチャン・シオニストである。
神学的には、最終戦争やキリストの「文字通り」の世界支配といった黙示録的な世界観を信じるディスペンセーション(千年王国)主義者と、キリスト教が現実の政治を支配すべきだと考えるドミニオン主義者によって構成され、後者で現在勢力を広げているのが最近トランプ支持層として注目されているキリスト教ナショナリストたちや新使徒運動(NAR)に関わる人たちだ。
ピュー研究所による2010年の世論調査では、白人福音派の58%が、イエスが「おそらく」あるいは「間違いなく」2050年までに再臨すると答えた。現在、クリスチャン・シオニストたちは、昨年のハマスの奇襲から始まったイスラエルのパレスチナへの攻撃やヒズボラやフーシ派といった周辺諸国のイスラム原理主義者たちとの戦いに、聖書に記されていると彼らが信じる終末への兆候を読み取り、また暗殺事件を生き延びたトランプに「神の戦士」の姿を見出している。
クリスチャン・シオニストたちの終末論は、16世紀のヨーロッパにおけるプロテスタントにその起源を持つと言われる。個々人が聖書を読み、解釈することを重視するプロテスタンティズムでは、自ずと旧約聖書の「イスラエルの民」を改めて位置付け直す解釈が始まり、彼らのイマジネーションの中で離散したユダヤ人が約束の地に帰る可能性が浮上した。
こうしたクリスチャン発のシオニズムは、その後、植民地主義を背景とする19世紀の英国と米国における「原理主義運動」の一部として政治運動として勢いを増した。ユダヤ人によるシオニズムの始まりは19世紀だとされるが、彼らよりも数十年も前に、シャフツベリー伯爵、ジョン・ネルソン・ダービー、ウィリアム・ブラックストンといったクリスチャン・シオニストたちが、終末論の予言を布教し、パレスチナにユダヤ人の祖国を創設するというアイデアを思い描いていたのである。英国のアーサー・バルフォアは、バルフォア宣言でパレスチナにおけるユダヤ人の故郷を約束した人物であるが、彼自身は著名なキリスト教シオニストであった。
「イスラエルの民」が政治利用されてきた経緯
キリスト教徒たちが唱えるクリスチャン・シオニズムがユダヤ人によるシオニズムより先行していたという事実、そして今もなお、数としても、政治力としてもクリスチャン・シオニストがユダヤ人シオニストを圧倒しているという事実は、欧米諸国がイスラエルを止められない理由を理解する上で看過できない事実である。しかもクリスチャン・シオニストたちが関心を寄せているのは、あくまでも聖書に基づいて想像された「イスラエルの民」であり、現実のユダヤ人ではないという点が重要だ。
そもそも欧州のキリスト教徒は中世までユダヤ人をイエス・キリストを十字架につけた民として、差別し、繰り返し迫害してきた。クリスチャン・シオニストもこの思想を前提としており、イスラエルの国民たちがキリスト教徒にならない限り「地獄に落ちる」と考えているため、実は反ユダヤ主義者であることも少なくない。
先述のバルフォアについても、彼はイスラエルの建国に尽力しながら、現実のユダヤ人を蔑視していたことで知られている。それでも多くのユダヤ人シオニストがバルフォアを英雄として称えているように、彼らはクリスチャン・シオニストの反ユダヤ主義に目を瞑り、ユダヤ人至上主義の国家をパレスチナに樹立するという共通のビジョンの実現を優先している。つまりイスラエル右派は、最終的には異なる目的を達成しようとしているクリスチャン・シオニストとの協力を、便宜的に選んでいる状況にある。
現代の米国の福音派はもちろん、実は歴史を通じてアメリカ人の多くが、実在するユダヤ人ではなく、イメージの中の「イスラエル」に並々ならぬ関心と熱意を抱いてきたことについては、政治学者、ウォルター・ラッセル・ミードの著作が詳しい。
「アメリカとイスラエルの関係は、アメリカの外交政策において最も重要な関係ではないし、これまで一度もそうであったことはない。 イスラエルはアメリカにとって最も重要な同盟国でもなく、最も価値ある貿易相手国でもない。 しかし、ユダヤ人が聖書の地に戻り、そこに国家を建設するという考えは、アメリカの宗教と文化における最も強力なテーマと大切な希望のいくつかに触れるものである。」(The Arc Of A Covenant - The United States, Israel, And The Fate Of The Jewish People, Knopf 2022, p.16)
「迫害された者」への共感
アメリカ人がユダヤ人の救済に共感するようになった理由として、ミードは主に以下の四点を挙げている。
第一に、先述の、16世紀に聖書を字義通りに理解するカルヴァン主義から生まれた諸グループがあり、これが現在の米国福音派の源流になっていること。
第二に、17世紀の初期のアメリカ人は、国家として、また個人的にも、迫害の後に約束の地を目指すユダヤ人と、新大陸にキリスト教国家を建てようとしている自分たちを重ね合わせていたということ。
第三に、19世紀になると、ギリシャ人やイタリア人と同様に、苦境に陥った偉大な古代民族を支援するべきだという機運が高まり、リベラルなロマン主義者たちもその幻想を共有したこと。
さらに四点目として、20世紀になると多くのアメリカ人が、ユダヤ人にアメリカではなくイスラエルに移住して欲しいと願ったという、より現実的な理由もある。
旧約聖書の「イスラエルの民」に象徴される「迫害された者への共感」は、英国での迫害を逃れたピューリタンによって建国されたアメリカという国の、国民的アイデンティティの礎として、とりわけ重要だ。この迫害された「イスラエルの民」のイマジネーションは白人のみならず奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人にも共有されている。アメリカ独立戦争後の世代に、多数がキリスト教に改宗したアフリカ系アメリカ人たちは、自分たちをエジプトの奴隷として苦しむ「イスラエルの民」であると認識した。彼らは、自分たちを導いてくれるモーセを待ち望み、聖書に記された奴隷の自由を約束するヨベルの年について、熱心に語り合った。
こうした想像の中にある「イスラエルの民」への共感は、現実のイスラエル国家支援に直接結びつかないことも当然あるが、しかし、あまり意識化されない形で、イスラエルやユダヤ人に対する偏見を形成している可能性は否めない。実際アメリカ人だけではなく、日本人にもユダヤ民族に対してロマンティックな「迫害された者への共感」を抱いている者はいて、内村鑑三のような著名な日本人クリスチャンもシオニストだった。筆者が学生時代であった1990年代から2000年初頭にも、レヴィナスやブーバーなどのユダヤ人哲学者の思想は、現実の政治との関係は問われないままに、最も信頼すべき「迫害された者」の思想として読まれていた記憶がある。
ミードが言うように、ユダヤ人が米国や欧州を陰で動かしているという陰謀論が誤りであるのと同様に、ロマンティックな「迫害された者への共感」もまた人々の認識を誤らせる危険がある。実際、こうした共感に基づき暗黙にイスラエルを支持している人たちまで含めるならば、非ユダヤ人シオニストは米国以外にも、特に欧州には相当数いることが予想される。
個人主義が黙示録的終末論を呼び寄せる
クリスチャン・シオニズムへの批判は、反ユダヤ主義と受け止められ兼ねないため特に欧米では表明することが難しい。欧米の主流派のキリスト教徒、つまり非福音派のキリスト教徒は、キリスト教の歴史的な反ユダヤ主義を悔い改めるために、イスラエルによるパレスチナ人への虐待については沈黙してしまう傾向が強い。クリスチャン・シオニズムを巡る問題は、米国のリベラル寄りのメディアかイスラム教圏のメディア(残念ながら私は英語で発信されているものしか確認できていないが)ではしばしば取り上げられているが、米国のマスメディアが表立ってこの問題を取り上げているのはあまり見たことがない。
もちろんイスラエルのパレスチナに対する残虐な仕打ちを理解したキリスト教徒たちの中には、確実にクリスチャン・シオニズムを反省する動きも生まれており(著者が調査する日本の福音派の一部にもディスペンセーショナリズムへの反省が見られることを付言したい)、パレスチナとの連帯を示す運動も拡大している。先述のアフリカ系アメリカ人についても、2024年に出版され米国では大きな話題になったタナハシ・コーツのThe Message(One World 2024)のように、パレスチナとの連帯を表明する動きが目立っている。
しかし、冒頭にも述べたように、米国ではクリスチャン・シオニズムはナショナリズムと結びつき、民主党はもちろん共和党の一部からさえ批判を浴びているにもかかわらず勢力を増しているのが現状だ。筆者が不穏なものを感じるのは、クリスチャン・シオニズムが、先にも述べた「最終戦争(ハルマゲドン)」を信じるディスペンセーショナリズム(千年王国説)と結びついている点である。事実先述の通り、多くのクリスチャン・シオニストたちは、現在の戦争状態を聖書の中の預言の成就とみなしている。これがキリスト教右派=福音派による戦争肯定、少し強い言い方が許されるならば、パレスチナの人々の積極的な「見殺し」に繋がっている。
「千年王国」と都市伝説
またディスペンセーショナリズムという終末思想が、それが唱えられた19世紀以来、分裂した右派の結束を強めるために用いられてきたことを考えると、この血生臭い終末論は、個人主義の時代にあって人々を動員する数少ない物語として、いかに批判されても消滅しないのではないかという懸念もある。
ディスペンセーショナリズムに関して非常にバランスの取れた歴史的研究であるダニエル・G・ハメルのThe Rise and Fall of Dispensationalism: How the Evangelical Battle over the End Times Shaped a Nation(Eerdmans 2023)によると、ディスペンセーショナリズムは福音派においても神学校などで教えられる教義としては既に衰退しており、現在米国のキリスト教ナショナリストが吹聴しているのは何の学術的背景もないポップ・ディスペンセーショナリズム、あるいはサブカル的なディスペンセーショナリズムなのだそうだ。こうしたサブカル的な思想が、陰謀論と同様に、政治にまで影響を与えるほどに影響を持つのは、結局キリスト教という制度も含め、様々な権威や組織といったものがことごとく機能しなくなっていることの証左だと言えるだろう。
黙示録的幻想はなぜ人を惹きつけるのか
最終戦争などのおどろおどろしいビジョンに満ち、「イスラエルの民」の救済とも結びついたディスペンセーショナリズムは元々『ヨハネの黙示録』に由来する。
ローマ帝国末期に迫害されるキリスト教徒たちへのメッセージとして書かれた『ヨハネの黙示録』は、2000年以上、良く言えば苦難の中にある人たちを励ます、悪く言えばルサンチマン(怨恨)によって人々を動員するテキストとして用いられてきた。
19世紀のイギリスの文学者D・H・ロレンスは、炭鉱夫の父に連れられて行った保守的なメソディスト教会や福音派の教会で、『ヨハネの黙示録』が福音書以上に、人々に慰めと興奮を与えていることに幼少期から嫌悪感を抱いていたと言う。彼の考察によれば、『ヨハネの黙示録』は、イエスが説くある種の個人主義に耐えられない人たちが必要とする、人間の集団的側面に応えるものだった。ここでロレンスが「集団的側面」と言うのは、人間が持つ他人を支配したいという権力欲である。つまりイエスの説く愛があまりにも純粋に個人的で内面的だったために、かえって権力への歪な欲望を生み、その受け皿となったのが『ヨハネの黙示録』だったと言うのだ。
ロレンスが『黙示録論』(福田恆存訳、ちくま文庫、2004年)で示したこの問題提起は、個人主義が人々の基本的な生き方として普遍化しつつある2020年代に、黙示録的なナラティブを信じたがる集団が、米国のトランプ政権の背後で権力を握っている現状を理解する上で、基本的な枠組みを与えてくれる。
現在のクリスチャン・シオニストとは、近代的な個人主義に基づく米国の民主党的なアジェンダに耐えられず、黙示録的な共同幻想に陥っている集団なのだ。「イスラエルの民」の救済、シオニズムは、彼らの共同幻想を駆動する物語の一つに過ぎず、結局ユダヤ人は彼ら自身の救済のための駒に過ぎない。欧米の白人たち主導の共同幻想に巻き込まれて、無辜のパレスチナの人々が殺されている現状は、間違いなくあってはならない事態である。
私たち日本人は、このキリスト教を背景とした欧米人の文化戦争に加勢するよりは、部外者だからこそできることを考えていくべきだろう。同時に、現代の個人主義に耐えられず共同幻想に陥ったクリスチャン・シオニストのような人々について、彼らを異常者扱いするのではなく、近代化された社会が必然的に直面することになる共通の問題として認識するべきではないだろうか。
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福音派のキリスト教シオニズムと迫り来る世界の終わり