重伝建・金ケ崎町城内諏訪小路地区。岩手県金ケ崎町西根達小路。
2023年6月14日(水)。
国史跡・鳥海柵跡を見学後、東方向へ進み、重伝建地区の金ケ崎町城内諏訪小路(こうじ)へ向かった。12時40分ごろ案内看板のある地点に着いたが、ガイダンス施設の白糸まちなみ交流館の駐車場が分からず、まず金ケ崎要害歴史館を見学し、あとは徒歩で北近くの片平丁・旧大沼家侍住宅、白糸まちなみ交流館、大松沢家を回った。対象家屋は散在し、B級グルメはない。
金ケ崎町は岩手県の南部にあり、江戸時代には伊達領では北上川以西で最北端に位置した。保存地区は北上川に面する台地上にあり、仙台藩の家臣大町氏の屋敷であった要害を中心に構成された武家町である。
伊達氏は領内に21の要害を置き、大身家臣に治めさせた。その一つである金ケ崎要害は北上川と胆沢川の合流地点の舌状台地上にあり、北上川に沿って要害を取り囲むように武家町、南北に走る奥州街道の南北両端に足軽町、中央部に町人町が形成され、要害は樹木帯によって周囲の河川や田園地帯とは明確に区画される。金ケ崎要害の骨格は、正保元年(1644年)に移封された大町定頼によって整備されたと考えられる。
保存地区は東西690m、南北980m、面積約34.8haの範囲で、かつての要害と武家町のほぼ全域にあたる。武家町内の小路はほぼ江戸時代のままで、鉤形や桝形、弓形の道路を組み合わせ城下町特有の街路構成を残すとともに、保存地区周囲を囲む樹木帯等の自然環境にも恵まれている。
街路に面して生垣と屋敷林が連なり、その奥に茅葺の武家住宅が配される。各屋敷地はサワラヒバの生垣で区画され、北西方向にはエグネと呼ぶスギの屋敷林をはじめとして、様々な樹木が植えられている。
侍住宅は寄棟造茅葺の建物で、小路に沿った生垣とその背後の屋敷林の合間から武家屋敷の大きな屋根が見える景観は、当地方の武家地の典型的な姿を良く伝えている。
片平丁・旧大沼家侍住宅(町指定有形文化財)。
大沼家は金ケ崎要害(城)の大庭に沿った屋敷で、主屋、馬屋、庭が残る。主屋は桁行7.5間、梁行3.5間の広間型3間取りで、18世紀末頃の創建と考えられる。馬屋は明治期に建てられたものであるが、当保存地区に唯一残っているものである。平成17年、創建時に復原した。平成18年に厠を新築し当地方特有の建物配置である三ツ家形式を見ることができるようになった。
大松沢家。
大松沢家は、山林奉行を務めたことがあり、表小路と達小路境の桝形道路沿いに所在する。敷地は760坪あり、四脚門(江戸時代後期)、板塀、石積み、エグネ、庭園が残っている。築山を中心とした大庭園にはエノキ、カエデ等の巨木がある。
現在は食事・喫茶の営業施設になっているので、中には入らなかった。
14時10分ごろ金ケ崎要害歴史館へ戻り、奥州市江刺の旧岩谷堂共立病院へ向かった。