白山姫神社のある所はもう香芝市です。
石段を頑張って登っていきましょう。
まあ仏教の布教に熱心だった
聖徳太子の葬送ですから、
その時にこんな石段を
上ることはなかったでしょうね。
まあできたのがどちらが先なのか
時期関係のつながりもよくわかりません。
でもまあdoironは、
地元地蔵講の代表であると同時に
氏子代表でもありますから、
神仏混淆の代表者ですので、
ここはちゃんと登ってゆきます。
へへ。
登りきると、すぐに目に入るのが百度石です。
立派な石で出来ていますね。
もうまるで百度岩ですな。
境内には拝殿が建ってはいるものの、
シンプルな神社です。
静かに参拝しておきましょう。
「何時もたんまり遊ばせていただき
ありがとうございます。」
え~この神社ではお願いではなく
感謝の気持ちを述べておきます。
では、先程登ってきた階段を下って
葬送の道へと戻っていきましょう。
すると、登りの時には確認しなかった
背後の景色なんですが、
何やら遺跡が見えているではないですか、
これが「尼寺廃寺跡」ですね。
いつだれが作ったかは
まだきっちりとはわかっていません。
北廃寺と南廃寺があり、
一方が僧寺でもう一方が尼寺
といわれたりします。
草創したのは、このあたりの
敏達天皇一族かあるいは
聖徳太子かどちらかか
という説が多いです。
いずれにしても、太子葬送の行列は
このお寺の所をしずしずと
抜けて行ったのに違いありません。
遺跡を見ると、
巨大な塔の心礎のあったことが
よくわかります。
この心礎の大きさは日本最大
といわれるほど巨大なんだそうです。
また礎石もほとんど残っており、
建物の規模なんかもわかるようです。
近くには学習館もあり、
中には遺跡発掘時の様子なんかが
わかるように復元されているようです。
フムフムと眺めながら、
ではトイレを借りてゆきましょう。
この学習館の横にある休憩所では、
女性が三人集まってお弁当を食べながら、
各種談議に花を咲かせておりました。
世間のコロナ化の中で、
賛否両論の井戸端というか
遺跡端会議でしたねえ。
そんな遺跡を離れて、
また葬送コースを南下してゆきます。
聖徳太子が亡くなったのは、
2月5日とか2月22日といった
説があります。
いずれにしても2月の寒い時期ですね。
遺体をそのまま運ぶのでしたら、
こんな季節でないといけませんね。
田舎の細い道を進んでいきます。
このあたりの地名は
「尼寺」というところです。
先ほどのお寺からつけられていますね。
そして前方から一人のランナーが
走ってきました。
葬送の道を走るとは、
なかなかのランナーですな。
そんなコースの足元には、
香芝市のマンホールがあります。
これは市の花である
スミレを刻んだもので、
これは市の木である
「カシの木」も刻まれています。
う~ん、なんでカシの木かな
と思ったのですが、もしかして
「かしば市」だから「カシの木」
なのかなあ。
だったら市名の由来は
どこかのカシの木かと思ったのですが
違っていましたね。
そんなダジャレではないでしょうね。
市名の由来は、この先で
明らかになります。
市の木にしているのは、
この木が健康にすくすく育つ
という意味からつけられたそうです。
その先で、住宅地の真ん中に
小高いこんもりがひとつあります。
そしてその上にはほこらがあり、
ほこらの中には役行者が
祀られています。
でも役行者は、聖徳太子が
亡くなってから生まれていますから、
当然葬送の道には
まだ祀られていなかったんですね。
続く
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