高野街道も和歌山県の橋本まで来ています。
あとは紀の川を越えて、
学文路まで行き、京・大坂道を
登るコースですね。
高野さん周りの道路としては
「高野七口」
というのが有名です。
通常は町石道、黒河道、京・大坂道、
小辺路、大峰道、有田・龍神道、
相ノ浦道の七つの道を指します。
それぞれに特徴があるのですが、
町石道、小辺路が世界文化遺産に
登録されていました。
でもその後平成28年に黒河道と
京・大坂道も登録されることとなりました。
こんかい西高野街道を通り、
女人堂へといたる道を歩いているので、
これから先は京・大坂道を
行くことになります。
そんなコースを目指して、
では今回は橋本駅前に車を止めて、
そこから歩くことにしましょう。
車をビューンと走らせてゆき
駐車場を探します。
適度な感じの駐車場は満車です。
車を利用して通勤とかする人も
多いのでしょうね。
いろいろと探して、駅の東側に
駐車場がありました。
一日設定の駐車料金もあるようです。
ではここに車を止めて、
といっても機械があったりするわけでは
ありませんので料金はどうするの?
と疑問になりますよねえ。
う~む、とうなってますと
駐車場の片隅の納屋の中から
「こっちやで」と声がかかります。
よく見ると、かすんだ窓ガラスの中に
光る二つの眼。
ああ、おばあちゃんが集金していましたね。
「高野山に行くんか」と聞くので、
高野街道を歩いて学文路までと返答。
よしよしと応答がありました。
もう大日如来の化身じゃないですか。
「ありがたや。南無阿弥陀仏」
と言いたくなります。
さあ、では歩き始めましょうか。
今回もまた高野街道歩きに
興味のある友達も同行しています。
まずは、紀の川の川べりにある
4里石を目指しましょう。
駅から、少し村中に入ってゆくと
昔の街中ですね。
くねくねと道が続き、
こんな燈籠を眺めながら、
ぽんと出たところに
古い建物がありました。
「火伏医院」と書かれています。
これは橋本に古くからある病院で、
その建物は国の登録有形文化財であります。
年季が入ってますねえ。
そしてこの医院の周りにも
文化財の古い建物があり、
一緒に回った友達は
「恐るべし、橋本」と
つぶやいてはりましたねえ。
その火伏医院から橋本川の方へ
下ってゆくと、河原の横が
公園風になっており、
そこに太神社と一里塚があります。
一里塚は、伊勢街道(大和街道)の
和歌山から11里の位置にある
といわれています。
今はその松の木も枯れて
1本の黒松が植えられています。
でもねえ、一里の標識を示すのに、
どうしていつもあんなに
目立たない松の木なのかなあ。
樫の木とか楠とかあるやろうにね。
ここにはおみこしや昔の拝殿の
瓦なんかも並べられていました。
さあ、ではここから橋本川を
登ってゆきましょう。
どんどん歩いて紀の川との
接点のところに大きな燈籠が立っています。
この燈籠には多くの施主の名が
刻まれていますねえ。
これが紀の川の渡し場の常夜灯で、
高さは4.8mもある立派な燈籠で
「東家渡場大常夜灯」と呼ばれています。
もともとこのあたりには二基の
燈籠があったのですが、
紀ノ川の洪水で流され、
いまはこの一基のみが
残っているんだそうです。
そしてその横にあるのが
四里の里程石です。
女人堂迄あと4里。
16キロのところまで来ましたね。
最後に高野の登りが待っているから
大変なんですけど、
よくここまでたどり着きました。
その里程石の横にあるのが、
歯痛地蔵尊と書かれた石です。
渡しもあって人が多く集まるところには
いろんなものがあって、
その遺物も残っていますねえ。
続く
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