黒鳥天満宮天神社のまわりにある、
玉垣を眺めてゆきましょう。
ああ、ありますねえ。
doironのばあちゃんの旧姓が
玉垣に刻まれています。
比較的新しいから、
doironに歳の近い親戚かもしれませんね。
また玉垣にも名前があるし、
燈篭の氏子中にも名前が
記載されています。
ああ、なんかとても親戚感を
ここにきて感じますねえ。
なぜ親戚付き合いをしなかったのか、
その辺には謎が残りますが、
なくなってしまった両親からは
聞くこともできませんね。
そしてその神社の前に
あるのが弁財天さんです。
周りを水路で囲まれて、
その中の島に祠が立っています。
周りには柵も設けられて
しっかりと祀られていますねえ。
なんかこれとよく似た祠を、
小田町の方でも見かけましたねえ。
あれは竜神さんだったかなあ。
こんな感じできれいに祀られていました。
さあでは、この神社の北側の方に
移動していきましょう。
ここには浅井君公徳碑というのがあります。
これは浅井宇三郎という人を
たたえたものです。
明治の間に村会議員を務め、
そののちに役場に入り助役を
務めた人だそうです。
その後区長も務め67歳で
亡くなった人だそうです。
そして次に行ったのが
「坊小路」の地車小屋です。
黒鳥地域は年貢の推移表で見ると、
黒鳥上村、黒鳥下村、黒鳥坊村と
別れたそうで、その坊村に
期限をもつ坊小路の地車が
ここに入っているのですね。
ここのだんじりは、
岸和田の中北が大正5年に新調したのを
平成15年に購入したものだそうです。
それにしても坂道や狭い道が
続いているこの村中で、
でかい地車を動かすのは大変でしょうねえ。
そしてその地車小屋の近くにあるのが
「長命寺」です。
このお寺は高野山真言宗に属しています。
ここを創設した人は、かつて
ここへきてあたりを見渡しました。
すると、地形がとてもいいし、
黒鳥山に少し登れば大阪の
多くの村々も見ることが
できるということで、
とても気に入れられたとのこと。
なのでここは人の住む土地ではなく
お寺の土地だとして、
土地を手に入れ創建したそうだ。
昔の僧は力があったんですね。
創建した当時は大日寺と
呼んでいたそうです。
真言宗で言う最も偉大な如来の名前の
付いた寺だったのですが、
ここが本尊に延命地蔵菩薩を
安置したあることから、
長命寺と名前を改称したそうです。
確かに周りに家もあまりなく、
見晴らしのいいことを考えたら
とてもいい土地だったのかもしれませんね。
本堂前はきれいに整備されていて、
とても整ったお寺でした。
そしてその少し先には
「妙福寺」という寺がありました。
ここも高野山真言宗のお寺で、
境内には立派な宝篋印陀羅尼供養塔があります。
お寺の中はどこもきれいにしていますねえ。
その妙福寺を出たところで、
青いネットのかかった地蔵堂がありました。
中を覗き込んでみると、
おお~ここの地蔵にも丸い石が
たくさん置かれています。
あの桑原にあった地蔵と同じですね。
ここの中には住吉大社の札が
入っていますねえ。
どんな信仰でしょうか。
住吉大社と丸い石といえば
三つ思い浮かびます。
一つが「五・大・力」とかかれた石ですね。
この石を三つ集めてお守りにすれば
心願成就といわれている石です。
もう一つが「おもかる石」ですね。
石に念じながらその石をもって
軽く感じたら念じたことがかなう
という石です。
まあちょうどここにあるくらいの
石でしたね。
そしてもう一つが誕生石という石です。
この石はというと・・・続く
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