ではブログを新潟に戻していきましょう。
頭の中の記憶を探りながら、
ブログを書いていくのは、
また新たに旅をするみたいで楽しいです。
では、戻ってゆきましょう。
ーーーーーーー
燕三条の駅に入って行きました。
1階は単なる広場で賑やかな店もなく、
メインは2階にあるようです。
そこはあとで行くにして、
まず1階の三条市側にはこういう表示が、
そして燕市側にはこういう表示が
なされているのを確認です。
くるまをとめて、先ほどいたのは
三条市側のようです。
では燕市側も見ておきましょう。
駅前の雰囲気はよく似ていますね。
駅は建物の外観なんかもそろえており、
どちらも駅の玄関口のようなんですが、
これは双方を意識して
JRがそろえているんでしょうね。
上越新幹線の駅と直角に交わって
走っているのが、弥彦線ですね。
そもそもこちらの方が先にあった路線です。
駅前をブラブラして
そんな線路を眺めたりしたら、
駅の中の方に戻ってゆきましょう。
2階には、燕市の産業を
紹介するところもありました。
ほんとは、こういう場所で
燕市の広報誌なんかないかなあ
と思っていたのですが
なかったですねえ。
もし万が一、配置をしているんだとしても、
この時は月末に近いんで
もう品切れになっている可能性も
高いですね。
残念ながら目にすることはなかったです。
で、そんな燕市なんですが、
なぜそんな名前なんでしょうか。
物品置き場には燕に絡んで、
プロ野球ではヤクルトに
からんだ物品が多くありました。
「燕」が多い市だからこんな名前なのか
というとそうではありません。
「津波目」という場所。
「津」は港、「波」のある「目(場所)」、
という信濃川の岸辺のような
役割りを果たしていた地なので、
こんな名前になっているそうです。
なんかちょっと意外ですねえ。
そもそも「新潟県」というのが、
新しい潟湖という様子から
できた都市名なんですが、
燕市も自然と人の生活との絡みで
できてきた地名のようです。
そんな燕市の物品置き場で、
ノーベル賞の食器や、
金属によるアイデア商品を
いろいろ見て楽しく
勉強にさせていただきましたねえ。
お土産には自分の熱が先っぽに
熱伝導で伝わりよく切れる
というバターナイフを買いましたよ。
駅の周辺や中の施設で、
金属加工に熱心な燕市のことを学びました。
では、市の雰囲気はどんなだろうと、
新幹線の駅の接している在来線にそって、
燕市の中を車で走るとともに、
その先にある弥彦神社の方に
今度は向かってゆくことにしました。
かなり広く道が敷かれています。
まあ、雪のころにはどうしても
狭くなるんんで、その影響も考慮して
開発されているんですね。
駅を出て北を向いて走ってゆきます。
今向かっている弥彦神社というのは、
万葉集にもうたわれている古い神社です。
御祭神は「天香具山命」で
天照大御神のひ孫に当たります。
越の国に上陸し、人々に塩を作ることや
漁を教えたといわれています。
しかも地域を収められて、
越後開拓・産業文化の始祖神と
言われています。
そんな神社に向かいつつ、
途中、燕市をじっくり眺めてゆきましたね。
昔読んだ広報では、
小さな町工場がいっぱい並んでいる
明るい田舎の市というイメージ
だったのですが、
かなり感じは違いましたね。
やはりなんか雪国のそこはかとない
奥深さを感じたりもしました。
そう考えれば広報誌というのは
市のイメージを伝える
大事な宣伝紙でもあるんですね。
現役のころはちゃんと作れたかなあ
と今になって思ったりもします。
雪に備えた広い道の途中には
こんなでっかい鳥居もありましたよ。
立派ですねえ。
雪国の厳しさにきっとがんばって
耐えてきたんでしょうね。
続く
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