JR兵庫の駅から少し登ってきたところにある
「会下山小公園」に到着しました。
見える景色がこんなところ。
眺めがいいですね。
牧野富太郎氏は、
こんなところの標本設置個所に腰掛けて、
世間を眺めていたんですね。
「自分は草木の精かもしれん」と
牧野氏は思っていたんだそうです。
なので愛人である植物に出会うときには
愛と尊敬を表して、
シャツと蝶ネクタイの
整った姿だったそうです。
いろんな資料やパンフレットを見てみますと、
そういう写真が多く残っています。
そんな牧野さんの研究所の跡が
ここ会下山小公園にあります。
ここは別名で「牧野公園」とも
呼ばれているのです。
眺めのいいササのところに、
記念碑が置かれています。
このあたりの南蛮美術収集家である
池永氏が彼を資金援助するために
研究所を提供したんだそうです。
本のような形をしていますね。
そしてその記念碑が置かれている
ササも実は彼が見つけた
新種の笹で名前を
「スエコザサ」
と呼ばれていました。
まあ彼が発見した新種というのは
600種とたくさんありますが、
なんと彼より早逝した妻の名前
「寿衛子」を付けて彼女の内助の功を
しのんだそうです。
植物の名前にも彼の人間の
やさしさがしみ込んでいます。
ここではそのササが記念碑の周りに
びっしりと生えていました。
ちなみに彼が発見した新種の植物で、
絶滅したと言われている植物が、
doironの身近に今もあります。
それが「ハマデラソウ」です。
ヒユ科の目立たない植物ですが、
絶滅したと言われていたのに、
我が家の近所である助松運動公園の、
コンクリートの隙間の土のところから
生えて咲いているのを
doironも何度も何度も確認しています。
見つかった時は大騒ぎでしたね。
植物一種にも彼の功績が強く
関連しているんですね。
新種発見、絶滅、そして再発見の中で、
人々の思いが大きく関連しているようです。
いまは「ハマデラソウを守る会」も
できていて、多くの人が
この植物を守るために
活動をしているようです。
こうして植物を支えてきた牧野氏は
日本の植物学の父といわれています。
なんと彼の実績は2500種もの
植物を命名し、600種もの新種植物を
発見したと言われているのです。
未知の世界を一人で歩く研究だなんて
おもしろかったでしょうねえ。
ほんとに草木の精になっていたんでしょう。
浜寺公園や我が家の近所の浜の
ところなんかにもきっと
来ているんでしょうね。
doironが生まれて1年後に
94歳の一生を閉じています。
会下山小公園は下が
その牧野氏関連のところで、
上には広場があります。
ここは昔楠木正成が陣地を
築いたところなんで、
ここに生えているクスノキには
「まさしげ」という名前が
付けられています。
木の呼び名にも何となく人の
やさしさがしみ込んでいるようです。
リボン通りをずっと歩いているときに、
もしここを通っていたとしても、
こんなに親しみを感じることも
きっとなかったでしょうねえ。
うろうろ歩くというのは、
地形的なものだけでなく、
歴史を感じることもある、
本当に奥が深いものなのですな。
今回の会下山小公園でようやく
牧野氏の痕跡に触れてきました。
このあと展示会の準備で
高知県に行くので、
さらに彼の痕跡にも触れる
ことでしょう。
できれば、関東の彼の関連施設も
行ってみたいなあてのも
思ったりしています。
朝ドラもますます楽しみになりました。
さあでは牧野氏関連は一段落です。
でもここまで来たんですから、
もうすこし神戸を感じて帰りましょう。
ここから歩いていくとなると、
長田がええ加減の距離ですね。
あそこまで歩いて、
首藤さんの会社が作った
鉄人を見にいくことにしましょうか。
続く
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