山麓道にあらわれた地蔵が
「サクラ地蔵」です。
一体の地蔵なんですが、
簡単な地蔵堂におさめられています。
供え物もあるし、花も添えられていますねえ。
どなたかが大事にされているんでしょうねえ。
初めまして、と挨拶しておきました。
そこを過ぎて、しばらく行くと、
何やら数人の人が山の斜面で
なにかを採取しているようです。
「なんかとれますかあ」ときくと、
「山菜がねえ、結構いっぱい生えていますよ」
とのこと。
よく見たらわらびのようでしたね。
とまあそんな話をしていると、
目の前の斜面に大量のつくしがありますよ。
山の入り口にもたくさんありましたから、
帰りに収穫と思っていたのですが、
もうここにきて大量に生えているから
収穫しないといけないですねえ。
なるたけ先っぽの開いていないやつを
選らんで収穫してゆきましょう。
調理をするときにもその方が
しやすいですからね。
時間をかけてかなり摘んだところで、
まあここはこれくらいにしといたろう
と終えることにしました。
そういえばまだ次の地蔵を
見ていないですからね。
つくしを入れたビニール袋を
手に持ちながら、進んでいきます。
又周りに木が生えて来るぞ
という地点位に来た時に、
現れたのが、神於山の4体の地蔵
のうち最後の地蔵である
「マツ地蔵」ですね。
小さな地蔵ですが、きれいに彫られた姿です。
花も挙げられていますね。
よく見ると後背部分には文字も
刻まれています。
「左 まきお」と書かれたりしていますから
道標地蔵でもあったのですね。
これで山麓を歩いて神於山の地蔵と
すべて出会いました。
どこもきれいにされていて
この山の関係者はみんな熱心だと
よくわかりました。
こうして目的の地蔵との出会いは
無事に終わったのですが、
気になるのは山菜です。
今回は特につくしですね。
先ほどからずいぶんと採取しました。
もう少し歩けば、
元の登り道のところに出ますねえ。
もう山のように生えていましたから、
忘れずに収穫してゆきましょう。
結局、こんな感じに収穫しました。
これは一部です。
地蔵との出会いも大切でしたが、
やはりこういう山の産物との出会いは
印象深いですねえ。
ああ、なんてdoironは欲深いのだろう。
こうして山登りもたくさんの
収穫を得て終わりました。
家に帰り、さっそく調理です。
まずは、はかま取りですねえ。
つくしのアクで指先が
徐々に黒くなってきます。
そうしてきれいになったつくしを
ミセスに渡しますと、
オヒタシと佃煮の二種類を
作成してくれました。
こんな感じです。
その日の夜は、
それらをアテにちびちびと
お酒をいただきましたねえ。
これがうまかったあ。
ほんとにうまかったので、
冬イチゴでジャムを作った時のように、
皆さんにご馳走したかったので、
翌日再び神於山に登りました。
あちこちうろうろと歩き、
採集したのがこんな山菜です。
つくしは一部だけ撮影しています。
本当はもっとたくさん。
つくし以外に新たに三つ葉、
ゼンマイ、ノビルも採集しました。
あれ、タラの芽もあるやん
と思われた方、鋭いですねえ。
でもこれはねえ、すみません、
愛菜ランドで買ってきたものです。
その日の夜は三つ葉と
タラの芽のてんぷらも入って、
豪華な夕飯となりましたね。
あ、ノビルはそのまま酢みそでいただきます。
そしてワラビは翌日に、我が家の庭で
採取した豆も一緒に入れて
煮ものになりました。
う~ん、見事に食卓を飾ってくれましたね。
で、つくしはというと、
翌日平岡珈琲に行ったときに、
メキシコ料理店に行き、
まぜこぜしてこっそりいただき
感激した我々だったのでした。
春の山の喜びを
大阪の真ん中でも
いただいたのでありました。
こうして地蔵を訪ねて歩いた山の、
実は一番のお土産が山菜だった
というちゃっかり
年金おじさんの山のお話でした。
神於寺は山の中にあって、
静かなお寺です。
天台宗のお寺ということですが、
歴史の中には役行者や真言宗の空海も
訪れたというお寺です。
この寺にあった宝貝が盗まれて、
それを盗んだ泥棒が阪南市まで来た時に
貝が鳴り出したという話があります。
いやあ宝貝ってどんな貝だったんでしょうねえ。
立派な法螺だったんでしょうか。
神於寺の中は広くて静かで、
小腹をすかせた我々はここで軽い昼食です。
doironはアップルパイを食べました。
ここから下に続く参道を見ると、
両脇に桜が咲いていて
見事な景色を作っています。
また、山手の方にもたくさんの
桜の花が咲いています。
これはもう、桜餅を持ってきた方が
よかったかもって感じです。
でもまあすこしおなかも持ち直したので、
もう少し下って、
神於山の山麓に道の方へと進んでいきましょう。
参道を感激して降りてゆきますと、
木にはたくさんのミカン類が
なっており、横の畑でいかつそうな
おっちゃんが作業をしています。
桜を見てたらこちらに興味をしめしていたので、
声をかけてみました。
「桜きれいですねえ」
「ああ、いまはきれいなあ」と
見た目の印象とは違う
優しそうな声で話してきます。
いかつそうな、なんて書いてすみません。
「その果物は何ですか?」
と聞くと「デコポンやあ。上げるで、持って行き」
といわれたので、
これ幸いとみんなでお気に入りを
一個ずつむしり取りました。
「ここにはノビルもいっぱい出てますねえ」
というと、「そこは消毒液を掛けたから、
あっちの方やったらいくらでも持って行き」
とまた声をかけてくれました。
まあ、さすがにそこまでは遠慮です。
「ありがとう」といいつつ、
さっそくいただいたデコポンを
食べてみましょう。
すると、これが皮がめちゃ厚かったです。
先ほどの写真はネットの資料ですが、
あんなに薄い皮ではなく、
思いっきり剥こうとしたら
突き指しそうなくらい、
硬かったです。
神於寺の土地を借りて、
趣味で栽培しているような
口ぶりでしたから、
あまりそういう手入れは
していないんでしょうね。
何とか向いてくれた実は
爽やかでおいしかったです。
おっちゃんに感謝です。
とまあワイワイ言いながら、
山を下りて行った我々でした。
さあ目的の山麓道に出るには、
車道を少し歩いて、
別の登山口まで進んでいきます。
この辺りは寺も多いですねえ。
それに地域名は「白原」というところで、
役行者が白い山の神にあったところなので
こういう名前なんだそうです。
昔から人々が住んでいたところで、
宗教的な力も強かったんでしょうねえ。
あっ、この辺りは筍市も
やっているんでしょうねえ。
食べたらおいしいんでしょうが、
彫ってみたいですねえ。
昔義父母が三重県に住んでいたころは
山の所有者に「いつでも筍ほってやあ。
ほったらかしにしてるから
その方がありがたいねん」といわれたので、
筍堀の道具まで買い揃えたのになあ。
最近はとんとそんな機会がありません。
古い住宅の立つ村中を抜けて歩いていくと、
どうやら山麓道に入ったようです。
遠くには槇尾山系の山々も
見えていますねえ。
景色ものびのびしたいいところです。
こんなところにポツンと
アトリエとかあったらいいやろなあ、
なんて思いますね。
でもまあ周りに家もないので、
宴会騒ぎばかりしているかなあ。
前方に車の走る広い道が見えてきました。
この先には泉州高校とかもあります。
そんな車道との交差点にあるのが、
神於山にある4つの地蔵のひとつ、
「サクラ地蔵」です。
続く
保全クラブの人は作業小屋のところで
鉢植えのランを持っています。
「これにはミツバチが集まるんだ」
と言ってました。
集めて巣を作らせたりするんですかねえ。
小さな生き物も自然を形作っていくんですね。
「でもこれは日本にないランだから、
あとで回収するので鉢植えやねん」
といわれていました。
ネットで調べたらキンリョウヘン
という名のランにはミツバチが
とても集まるんだそうです。
いかに自然の豊富な山中でも、
ミツバチなど昔からの昆虫を集めることは
自然にとっても大切なことのようですね。
また一方で、本来ここにいないはずの
生物なんかにはとても神経をとがらせています。
例えばクビアカツヤカミキリ。
サクラやモモを荒らす特定外来生物で
この虫も駆除を呼び掛けてます。
それからナラ枯れを起こす
カシノナガキクイムシ。
これはあちこちで対策しているようですね。
そして植物では「ナルトサワギク」。
一見黄色の可憐な花ですが、
毒があったり、増えすぎて
影を作りほかの植物が育たない
ようにするなどの特徴を持っています。
これも特定外来生物なので、
見つけたら抜き取りましょう
と位置付けています。
そんな作業小屋から、
ツツジの横を抜け、
あの冬イチゴが大群落だった
山道へと入ってゆきます。
そんな時に、とても目を凝らして
さがしていたのは、
イズミカンアオイの株です。
この神於山では一株だけあったのが
記録されています。
だったら、もう少しみつけてやろうと、
ひっそり思っているのです。
この植物があったということは、
この草を食草にしている
ギフチョウなんかも昔は
いたのかもしれませんね。
それともう一つ、doironが探していたのが
ウドとタラの芽です。
タラの芽は、一番いいところが
とられているのをいくつか見つけましたねえ。
でもウドはなかったですねえ。
そのままでも食べれるウドは
香りも放つ、いい山菜なんですがねえ。
残念でした。
ここから山頂の方にと移動してゆきましょう。
途中イタドリなんかもありましたが、
これは採取していません。
そしてここが山頂です。
標高296.4m。
考えたら東京タワーよりも低いんですねえ。
でも遠くの景色はよく見えます。
冬の間は水が抜けていて
茶色く池の底が見えていた久米田池も
今は水が入っているようですねえ。
きょうはこの山頂から南向きに降りてゆき、
神於山の東側の山麓を
ぐるりんと半周回ってゆく
コースに突入してゆきます。
山頂から車道に出て右折してゆきます。
100mほど行くと、
左手に下ってゆくコースが現れますね。
ここを下ってゆきましょう。
結構傾斜は急で、下っていても
足先が少し痛くなってくる程。
このあたりからは神於山の
南側の景色がよく見えますねえ。
冬場なんかは葉っぱが落ちていたので
もっとよく見えていたそうです。
それにしてもこの時は桜が
いい季節でしたねえ。
どんどん下ってゆき、
シャガの咲いている谷道を
下りきったところが、
神於寺の上の部分です。
ここは以前車で訪ねて
きたことはありますねえ。
あの阪南市を歩いているときに、
「貝掛の松」というのを見かけたのです。
昔、泥棒がお寺から宝貝を盗んだ時に、
その貝が突然鳴りだして、
怖くなってそこにあった松に
貝をひっかけて逃げていった
といううわさがありました。
なのでその地域は今も貝掛の地
といわれているのです。
その宝貝を盗まれたのが、
この神於寺だったそうです。
なので、依然どんなところか
見ておこうとやってきたことがあるのです。
続く
和泉に住んでいて、
山方向によく見える山が「神於山」。
住所は岸和田で春木川の上流にあって、
周りは広い道に囲まれている独立山体です。
標高は296.4m。
車でも行きやすいということもあって
最近は身近な山として、
大勢の人が登りにいっているようです。
また昔から役行者が活動するととともに、
様々な歴史的な事項のあった山で、
山そのものがご神体として
親しまれてきたところでもあります。
名前がそんな山やもんなあ。
この山にdoironも最近はよく行ってます。
友達の足のリハビリにもちょうどいい山として、
つれてもらっています。
最初はここの地蔵が好きでしたね。
ウバメガシ地蔵なんて、
本当に最高の場所にあって、
山に来る人を静かに見守ってくれて
いるような素敵な地蔵ですからね。
そんな地蔵を眺めに行くというのが、
この山の登山の楽しさのひとつでありました。
また植物の種類も多く、
冬には大量のフユイチゴも取れましたねえ。
身近に自然に触れる山として、
折々に出かけてゆき、
収穫もしてきたもんねえ。
あのフユイチゴジャムはおいしかったなあ。
そんな神於山にこの春先も訪ねてゆきました。
コースも今までより少し長いコースで、
外回りを加えたコースです。
これだとまだ見たことのない、
マツ地蔵、サクラ地蔵という
この山の未知の地蔵も
見ることができるでしょう。
では春の神於山の表情を見に
出かけていくことにしましょう。
ジム前でメンバーが集まり、
doironの車で出かけてゆきます。
今日は四人での登山です。
神於山の駐車場に車を停めて
歩きはじめるのですが、
ここにはもう山の恵みが花を咲かせています。
大量のクサイチゴですね。
キイチゴ属で5月の後半頃になると実ります。
フユイチゴよりは果汁も多く
ジャムにしてもこれもまたおいしいでしょう。
実は先日でかけたひとが、
小さな実をもう収穫したと
言ってましたね。
でもこの時はまだ花の状態でした。
そんな草イチゴの中を登り始めると、
すぐに斜面に目が行きます。
つくしがもう真っ盛りですねえ。
じゃあこれを収穫して帰って、
いつものように山菜料理を
作るかと思いましたが、
ここは帰りに再び通るので
収穫はその時にしましょう。
なんかもう歩き方は、
山菜はないのかという眼になっていますねえ。
「あ、この辺の奥は三つ葉が出そうやなあ」
なんてことも思ったりします。
ウバメガシ地蔵とスギ地蔵を眺めました。
いいなあ、この地蔵。
人間以外に生まれ変わるなら
こんな地蔵になりたいなあって感じです。
う、生まれるとは言わないか・・・
今日はほかの地蔵も見てくるねとつぶやきながら
そこをじっくり眺めたら、車道を登り始め、
フウの道の入り口に出たら
そこを乗ってゆくことにしましょう。
もうすっかり通いなれた道ですねえ。
ただ季節ごとに風情は変わります。
フウの枯葉も落ちて地面に固まっており、
ガシガシとそれを踏んで歩いてゆきます。
山の斜面のあちこちには
コバノミツバツツジが咲いていますよ。
よくまああんな茶色っぽい山の中から、
こんな鮮やかな花が咲くなんて
不思議ですねえ。
なんて考えながらさわやかに歩いてゆきます。
フウの道から国見の森広場に出てゆきます。
確かにここは国見にもいい山ですねえ。
そもそも神於山は昔は国見山
という名前でもあったのですが、
役行者の活動などから
神の於ける山ということになりました。
確かに、あの真言宗の聖地で
今も弘法大師がおられる
「高野山」にもよく似た語感だから、
山全体の持つ雰囲気もじわっとありがたいです。
林道から藤尾池横の作業小屋の方に
おりてゆきますと、一人の男の人が
鉢植えを持っています。
保全クラブの人でしょうねえ。
ここはこういう活動がとても活発です。
大事そうに鉢植えを持っているので、
それは何ですかと聞いたら
「ラン」の一種だといわれていましたよ。
続く
平岡珈琲店で、その時やっていた写真は
「猫とバイク」の写真の展示でした。
写真は14枚くらいだったかな。
写真は張ればねに貼って,
裏にワイヤーを付けて上から
ぶら下げているって感じでした。
写真パネルの横は黄色に塗られていましたね。
そんな人たちの面白い話を聞きながら、
楽しませていただきました。
マスターとは写真の展示について話をしました。
ほかの絵手紙展示でされているのは、
パネルに張り付けているそうだ。
一枚当たり15枚くらいかな。
それを4枚ですから60枚くらいは
張られているそうです。
絵手紙教室の生徒さんの作品ですから
いろいろバラエティあっていいですね。
doironの場合は、一人ですから
60枚も張って見栄えが
悪くならないかなあと
少し心配してしまいます。
貼り付けるのは、張ってはがせる
テープなんかも使っている場合が
多いようですね。
ではこれも帰りには購入しに
いくことにしましょう。
ではdoironの絵は今はどういう状態に
なっているかというと、
自分が描いた絵手紙は
全部で200枚くらいあります。
すごい数とお思いかもしれませんが、
10年間に描いた絵手紙です。
一年に直すと平均20枚ですから、
ひと月に描いているのは2枚もありません。
なんとあの絵手紙の創始者である
「小池邦夫」氏は年間6万枚の
絵手紙を書いたそうだ。
平均するとなんと一日164枚強である。
もうあの三十三間堂で
8133本の通し矢を打った
和佐大八郎のようなものだ。
doironの場合はもうそんな数の
作品の中から、とりあえず
「大阪の真ん中で絵手紙がつぶやく展」
にふさわしい作品をとりあえず
選び出したら、約90枚くらい選び出せました。
う~ん、でもこれだとなあ、
あまりにもごちゃごちゃしすぎかな。
と思い。もうひと踏ん張り、
泣く思いで削ったのが20枚くらい。
ではこれをどんな風に分類すべきか、
毎日自分の絵手紙を見ながら
考えていたのだ。
一つはS経新聞に掲載していただいた
6枚の写真だ。
中味は「マスク、水ナス、ちらしずし、
巻きずし、日本酒、ホタテ貝」
となっていて、一応多くの人の
眼に触れたから、独立させておく
必要があるだろう。
新聞社には原本を送っているので
写しにはなるのだが
これは飾らせてもらおう。
でほかの写真をどうするかだ。
例えば「おはようの部」
「こんにちはの部」
「こんばんはの部」に
分けたらどうなるだろうと
考えたが、かなり無理がある。
書くときはあまりそんな
時間的なところは
意識していないからなあ。
で、一覧にして描きだして
素材別に分類してみることにした。
そしたらねえ、これが
結構分散されていることに
気が付いたのだ。
で、結局今の時点で分けられているのが
「動物の部」
「植物の部」
「食べ物の部」
「etcの部」で、
これらをまたまた削除しながら並べたら、
それぞれの部が14枚になるように
きれいに分類された。
そうすると、14×4=56枚。
新聞が6枚。
そこへ大きな絵が描かれた絵が
2枚あるので合計64枚となったのだ。
まあだいたいこれで行けるかなって感じだ。
並べてみてあまりごちゃごちゃするようなら、
削ればいいからとりあえずは
こんな感じで絵手紙を張った
パネルの製作を頑張ってみよう
という感じだ。
家で四国八十八ヵ所をしたときに
パネル一枚に20枚張って
こんな感じだから、以外に
コンパクトにまとまるかもしれない。
では次の作業としては、
パネルの製作に入ることにしよう。
こうして少しずつ準備は進んでいますよ。
そうそう、その前に
貼り付ける絵の整備作業もあります。
絵を描き始めたころは
印を押す位置を間違えているものも
あるので整理しましょう。
例えば
を ↓↓↓
とまあ、こんな感じ。
忙しいけど楽しいです。