90ページの雑記帳-2(丼・行・ぶろぐ。)

ようこそいらっしゃいませ。
自分の文章力も省みずに(笑)、旅の話を主に色々と書いていきたいと思います。m(_ _)m

輪行チャリ鉄mini-trip・初めましての養老鉄道(“北線”)

2023年03月27日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 2022年5月初め頃、長く存在は知りつつも今まで全く乗りに行く動機の無かった養老鉄道にて、輪行チャリ鉄してきました。

 養老鉄道は、揖斐から桑名まで60km弱の距離がある、近鉄から第3セクター鉄道に経営分離された元近鉄線で近鉄から経営分離され系列子会社を経たのち公有民営方式となったローカル鉄道です。(23年5月、間違いを訂正致しました。3セクと違いましたm(_ _)m)

 但し、ここへの訪線は前日夜に急に思い立ち、朝寝坊しつつ家を出発して現地で時間が少ないので、この回はお手軽に大垣から北側の約20kmを走ってみようと思いました。(なお、この記事だけの便宜上、この区間を養老“北線”と呼称させていただきます。m(_ _)m)

 早朝の京都から名神高速を走り東海環状経由で大野神戸ICで出て、県道・国道を接いで揖斐駅に到着。

 揖斐駅は揖斐川町の駅としてありますが、揖斐川町の中心は揖斐駅から粕川と揖斐川を越えた2kmほど向こうの本揖斐地域で、養老線の揖斐駅はちょっと鄙びた感のある終着駅です。ここから大垣駅までを走ります。

 揖斐川町のコミュニティバス、ふれあいバスが顔を見せます。ゆるキャラ系マスコットキャラクター「かっぱの河太郎」が目立ちます。揖斐川町のバスは樽見鉄道の高科駅や谷汲口駅にも来ています。広域合併の広範囲な自治体ですが、公共交通の維持に力を入れている感じがします。

 揖斐駅を出発して南方向に漕ぎ始めると、平坦な田園地帯を走る線路と並走して走れます。2km強で次の駅、美濃本郷駅です。ここは池田町になります。

 ちょっとした集落の駅になっていて、駐輪場が大きく駅トイレも比較的新しくきれいな設備です。

 次の駅は北池野駅、1km無い位の短い駅間です。池田町の役場も近くにあり、住宅の多い地域です。

 このあたりから線路を東に向けて曲がり、次の池野駅に。結構新しい駅舎で、最近まで係員が配置されていたんじゃないかと感じる駅です。『まちづくり工房「霞渓舎」』という施設が駅舎内に設けられている加減で、きれいに整備がされているのかもです。

 池野駅から先は、田んぼの中を一直線に走る田園地帯に。元東急の電車が大垣行きで走って行くのを見送った。

 因みにこの橋を境に、池田町から神戸町(ごうどちょう)に入ります。

 関西人から見ると、『こうべ』としか読めない地名ですが、『ごうど』町です。

 (余談ながら、三重県では「伊賀神戸」の“かんべ”読みもありますね)

 神戸町の最初の駅は、北神戸駅。駅周辺は、田んぼに囲まれた小さな集落です。駅前の東側には神戸町立図書館がありますが、小さな自治体ながら建物と広くて芝の手入れの行き届いた庭がとてもきれいな図書館です。北神戸駅近くの小学校も、多分、ちょっと古い校舎ながらも白い外壁にリニューアルされた感じの綺麗な校舎で、学校文化的な所に力を入れている自治体なのかなぁ、と思って後で調べたが、とくにそういう活動をしている自治体という訳ではなさそうでした。

 養老鉄道を活性化させようって意気込みも、強いものを感じるスローガン看板も目立ちます。

 次の広神戸駅に向かう途中、ごうど・ローズパーク近くで撮った、元近鉄車のラッピング電車。個人的嗜好としては、この旧近鉄車両の方が好みです。

 広神戸駅は、神戸(ごうど)町の中心駅になっているようです。ちょっと大きめの駅舎があり、駅前には古い目の住居や店舗が建ち並ぶなど、中心駅らしい格があります。

 広神戸駅から線路沿いに走ると、何か特徴的な堤防のようなものに沿って走る箇所が出てきました。この地域特有の昔からの防災構造物、“輪中堤(わじゅうてい)” である様です。ここから先所々で輪中堤が見られます。3.0km弱程走った次の東赤坂駅は、交換駅ですが駅舎は無く大垣行きホームに待合室があるのみです。駅周辺はまた田んぼや農地の割合が高くなってきましたが、駅前の踏切を通る旧中山道を境にして大垣市に入る辺りから、また住宅が密集してきます。

 東海環状道路や岐大バイパスの高架の下を潜り、輪中堤の上を通ったりしながら、次の北大垣駅に到着。単線上の駅で、ここも駅舎が無く待合室のみ設置された小駅です。

 東赤坂駅から見たら、大垣市内とは反対向きの南西方向に線路が向かって北大垣駅に着く訳ですが、何かを避けるような配線になっているように見えます。

 その避けたものは、JR東海の大垣車両区なのか?と思えるように、車庫を避けて西方向からグルッと巻くように迂回して大垣市内に向かいます。写真の奥のJR東海車両の手前側に、養老鉄道の架線柱があるのがわかりますでしょうか?。旧国鉄の頃に既に車庫が出来ていて、その後に養老線が来た感じなのでしょうか。

 大垣車両区と養老線に挟まれた土地に出来た新興住宅街を抜けていくと、次の室駅です。駅舎というか、待合室の様な建物です。

 この待合室の反対側では、ここまで走って来た養老“北線”と、桑名までの線が合流して並走しますが、複線線路ではなく単に単線が2本並んでいるだけ、と言う状態の線路です。路線の運行実態に即した構造と言うことになりそうです。

 大垣市街地で一部迷いながら駅前繁華街を通り抜け、大垣駅にたどり着きました。

 大垣から揖斐まで戻る訳ですが、当初は「サイクルトレイン」で折りたたまないで在姿で乗る予定でしたが、乗車位置が最後尾車に限定されてしまうことになることに現地到着後に気が付き、やはり折角なので“かぶりつき”で乗りたいものなので、折りたたんで輪行袋に収納し、先頭車に乗車することにしました♪

 そんな訳で、元東急車7700系の列車で先頭車かぶりつきして、揖斐駅までの平坦な路線をのんびり揺られて戻りました。

 残りの桑名までの南側路線は、距離もあるし勾配もあるので、なかなか大変だと容易に想像できますが、どうなるかが楽しみでもあります。


↓ STRAVAで記録した揖斐駅~大垣駅までの走行ルート

 …拙い旅のお話ですが、最後まで拝読くださいましてありがとうございました。


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輪行チャリ鉄mini-trip・KTR宮舞線、河口を渡って♪

2023年01月06日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 去年(2021年)の春頃、丹鉄宮福線を輪行チャリ鉄しましたが、その後1年ほど開けて丹鉄線の第2弾的な、宮舞線輪行チャリ鉄を行いました。宮福線と比べるとかなりゆるいコースになりました。西舞鶴駅から宮津、天橋立までですが、またズルみたいな箇所が入ってたりしますwが、そこはまぁ考え方次第なので御容赦ください。😅

 2022年の6月初旬の梅雨入りする前の或る日、早朝から自宅を出発し京都縦貫道を快走、西舞鶴駅に車を止めベースとして活動します。

 西舞鶴までの途中の京都縦貫道では濃霧が発生していてお天気どうかと心配しましたが、到着する頃にはまあまあな晴空になっていました。思えば、この年は少し梅雨入りが遅い感じでした。

 

 西舞鶴駅は、JR舞鶴線と京都丹後鉄道宮舞線の接続駅で、舞鶴市を代表する駅だけあって、ガラス張り外壁の立派な駅です。

地上側の専用改札口から丹鉄線に乗降する形態です。

 西舞鶴駅の南側には、丹鉄線の車両基地があり、稼働中の車両達とともに、定期運用を外れた予備車の元特急タンゴ・エクスプローラー車が留置されていますが、この1年前に見た姿より更に劣化が進んでいて目も当てられない姿で、シャッターを押すのも忍びないのであえて撮っていません。ここまで晒されるなら、ぼくはもう解放してあげて欲しいと思いました。(その後、部品取り用の1編成3両が解体されたと聞きました。残る編成も風前の灯火かと…。)

 タンゴ・エクスプローラーの姿に後ろ髪引かれつつ、宮舞線に沿ってペダルを回し次の駅、四所駅へ向かいます。丸々線路に沿わずにメインルートの国道175号線を走る方が走りやすいところですが、線路沿いの府道を繋いで走る方が味があると言う感じなのです。1車線の細い府道で鉄道トンネル箇所の小さな峠を越えてR175号線に合流、国道からの細い道を上っていくと程なく四所駅に。

 四所駅舎は、まだ新しさの残る和風の意匠な建物ですが、どうやら昔付近にあった関所をイメージした建物だそうです。

 ホームには、運転停車から発車間際の特急『丹後の海』の姿が。この車両は元特急車「タンゴ・ディスカバリー」がミトーカ・リニューアルされた車両で、車体に散りばめられた多数のレタリングや木材を多用した車内の造形が、いかにもな車両です。

 国道に戻って坂を登り、念仏峠交差点から丹後神崎方面への府道に曲がり進むと、道の右手側に宮舞線の線路が見えてきます。鄙びた農村風景の中を進み、次の東雲(しののめ)駅に到着。

 駅周辺は農家などの民家が点在する、とくに観光になる箇所もない地元民のための駅な様です。

 ちょうど、KTR703号気動車が宮津方面に発車してきました。残念ながら乗降ともに0人でした。

 東雲駅から先は、府道に走る車の数も非常に少なく、ところどころ1.5車線道路になる宮舞線と並走する府道を走って行くと、次の駅丹後神崎駅への入り口の看板が。

 雑木林の中の道をちょっと行くと、ホームの上に小さな駅舎があります。小さいながらも三角屋根が特徴的な駅舎です。神崎海水浴場の最寄り駅になります。

 先に書きましたように、ここまでの府道の車の交通量がとても少ないのは、ここ神崎の集落から先は道が通じていなくて、半島の先の行き止まりみたいな地形になっているからと思われます。由良川の対岸に渡るには、自動車なら手前の東雲駅よりまだ南側の道路橋のところまで4km弱ほど戻らないと行けません。

 私の輪行チャリ鉄活動からすると、そこまで戻って橋を渡り、また対岸付近まで4km弱走るのがセオリーになるのでしょうが、乗り鉄のために輪行している私としては、この絶景の鉄橋は列車で渡る方が楽しい!ことなので、20分程で次が来るので丹後神崎駅から一駅だけ輪行して河を渡ることといたします♪

 …そんな訳で、由良川橋梁を眺めたあと、丹後神崎駅に戻って自転車を折りたたんで乗車、橋を渡ります。

 由良川橋梁を渡って、次の駅 丹後由良駅に到着。…鉄橋を走る風景はうまく撮れませんでした。

 一駅だけ畳んで、降りたらまたすぐ組み立てて乗るなんて気軽な輪行が出来るのは、折りたたみ自転車故の楽しみであります♪

 駅舎には、「Anne Shirley」の店名のカフェが併設されています。業務委託の日中有人駅だと思われます。

 この駅舎の形は、ヨットを模しているとの公式の案内がありますが、私は釣り上げられた魚の頭、かと思ってしまいました。全くもってセンスがない私です😅

 よく知られていることですが、この鉄橋は、いろいろなドラマ・アニメの聖地として映されていますが、わたし的にはやっぱり『けいおん!』

ラッピング車も走っていましたが、残念ながら現車は見ることが出来ませんでした。作品中では、何故か曲線の鉄橋として書かれていたものです😅

 丹後由良の町を抜けると、暫く海沿いのせまい海岸を宮舞線と国道178号線が並走する区間が、連続で続きます。列車からはいい景色が楽しめる区間になりそう。これが4km程続いて、次の町並に入って1km程走ると、次の駅、栗田(くんだ)駅に到着。結構な難読駅名だと思います。尚、この集落の浜の海は、栗田湾と呼ばれるようです。わりと大きな町集落なので、平均乗車人員は200名弱はあるそうです。

 栗田から宮津市街に向かっては、国道は一旦坂を登って栗田トンネルを潜ってから宮津市内に入ります。

ここで、宮津駅前に向かう前に海を見てみたいと思ってしまったので、道の駅 海の京都・宮津 のある宮津港周辺に向かいました。空色に夏の海の表情を感じられました。

 海を見てから宮津駅に行く予定だったのですが、道の駅の幟とかポスターとかに、私の聞いたことがなかった、地域ソウルフード『宮津カレー焼きそば』なるものを発見。ちょうど正午も過ぎてもうそろそろお昼ご飯かな…、と思っていた所にこの情報が飛び込んできた。これは行くしかない!ってところですが、道の駅のお食事処はかなり混んでいて避けたかったので、他の宮津カレー焼きそば店をググって、ここから10分ほどの住宅街のお店を発見し、そちらで頂きました。美味かった😋

 喫茶「絵梨奈 」(宮津カレー焼きそば)の食べログの紹介ページ

 https://tabelog.com/kyoto/A2609/A260901/26009840/

 宮津カレー焼きそばを食したあとは、今回の輪行チャリ鉄活動の最終目標地点、天橋立駅へ向かう…訳ですが、宮津市の町はずれまで来たところで、宮津駅に寄ることを忘れてしまったことに気が付きました。。。orz

まぁ、宮津駅は前回の宮福線チャリ鉄で来ているのでまぁいっかー、と、しました。気付いた時には既に宮津駅と天橋立駅間の真ん中あたりまで来てしまっていたので。。。

 西宮津公園あたりから天橋立までって、大分距離があった様に記憶していたが、思っていた半分位の距離で天橋立駅に到着しました。これにて宮舞線沿線“完走”です❤

 舞鶴に戻る列車までの時間が微妙にあったので、廻旋橋周辺までまわってきました。オフシーズンの観光地な景色です♪

 西舞鶴までの帰りの列車は、KTR700形標準塗装車(二期リニューアル車、と呼ぶらしい)。

 富士重工や新潟鐵工所製のLE-DC系よりも高出力で勇ましいエンジン音で走る、第三セクター鉄道の普通車としてはすごい車両である。宮福線の勾配区間を軽く登っていく車両なので、平坦な宮舞線では余裕余裕の走りです。

 この日、2回目となる由良川橋梁を渡る光景を録画しました。↓

“海”渡る輪行チャリ鉄ー丹鉄宮舞線 丹後由良~丹後神崎

 

 今日走ってきた道を思い返しながら車窓を堪能し、列車に揺られるのを楽しんでいる間に、西舞鶴に帰着・到着しました。

 次に京都丹後鉄道線に乗るときは、宮豊線の約60kmを漕ぐことになります。走り甲斐がありすぎる感じになりそうです♪


↓ STRAVAで記録した西舞鶴駅~丹後神崎駅までの走行ルート

↓ STRAVAで記録した丹後由良駅~天橋立駅までの走行ルート

 …拙い旅のお話ですが、最後まで購読くださいましてありがとうございました。


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チャリ鉄輪行派 小旅・KTR宮福線、峠をこえて【後編】

2022年09月10日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 前編では、沿線を走り各駅を訪れて回り輪行して戻ってくる自称“輪行チャリ鉄”活動で、京都丹後鉄道宮福線を福知山駅から大江山口内宮駅まで走ったところにて、前編を切上げとしました。ここまでは割りと平坦な道のりでありましたが、ここから今回の輪行チャリ鉄ルートで最大の壁があります。前編にもちょこっと書きました、標高400m級の峠を越えなければ次駅へ進めない難所を走ります。

【後編】

 大江山口内宮(おおえやまぐちないく)駅の次の駅は、辛皮(からかわ)駅です。ここの駅間距離自体は3.7kmですが、それは長いトンネルを経て直線的に繋がる距離でありますが、これから自転車で向かうルートは、約350mの標高差を越えて約14.7kmを走破しないと辿り着けない駅です。更に、近畿地区でも有数の“秘境駅”として知られる駅で、道路として到達するのも行き辛い、さすが秘境駅のあるだけの場所です。

 駅前を通る府道9号線を、これから宮津方面に坂を登って山の中の方向に走ります。府道沿いに宮福線がトンネルに入る辺りから勾配が幾分きつくなっていきます。少し登ってスノーシェッドになるのかな、覆道を潜ったあたりから宮川沿いの集落まで下り坂でちょっと楽に走れたと思ったら、ここからまた登り坂に転じ、普甲峠を越すまで登り一方になります。

 大江山登山口への道が分岐するあたりの集落の一角の空き地には、大江山の鬼の姿(の像)がチラホラと見えて、鬼の伝説を伝えるランドマーク状態になっていますね。手に杯を持っている様ですが、「鬼ころし」だったりするのでしょうか😅

 この集落を越えてからも、上り勾配がまだまだ続きます。ペースを押さえて持続させて登っていくつもりでペダルを回しますが、もともとヒルクライム的な脚力を鍛え持っている訳では無い奴なので、標高300メートルを超えたあたりからのつづら折れの勾配のきつい所では、もう押していました😅、ヘタレで恥ずかしいところでもありますが、トレーニングやタイムアタックをしている訳ではなく、とにかく次の駅に向かうのが第一義なので。…と、言い訳をしております😅

 

 峠に近づく標高400メートル近くまでくると、暫くアップダウンの少ない高原地帯の様な地形になり2km弱ほど走ると、普甲峠(厳密には峠の手前?かも)の旧大江山スキー場前に到着です♪

 高原地形の広い空と涼しい風の下、暫く足休めします。スキー場に“旧”が付くのは、積雪減少と諸施設の老朽化のため、スキー場としては閉鎖されてしまった為のようです。温暖化恐るべし。

 暫し足休めして高原の空気を吸ったところで、峠から辛皮駅へ向かう林道(杉山林道)を下ります。ウネウネつづら折れの急勾配の道です。途中イタチ系の小動物が自転車の前を横切ったりします。大自然ですね。何が出てもおかしくないです。🐻は出て来ないでねw。

 そんな急坂の林道を、ブレーキ握ってスピード殺して慎重に降りていって、辛皮の村落に降り着きました。あんだけ漕いだり(押したり…)して苦労して登ったけど、下りは一瞬でもあります。丹鉄線の跨道橋を潜っていった先に、見頃を過ぎたとは言え未だきれいに花が残っている桜がありました。この時季京都市内では桜は完全に終わっているので、貴重に思いました。名残の桜です。

 そんな感じで、約3.7kmの駅間を14.7kmの山岳路で繋ぐ、今までに無かった険しい輪行チャリ鉄走行ルートを走り、辛皮(からかわ)駅に着きました。スタートから2時間15分程かかって到着しました。
 辛皮駅は、谷間の村落の東側の斜面に敷設され、線路の上の崖の上には京都縦貫道(高速自動車道)が通っています。自動車の走行音も時々響いてきて、少し騒がしさもある秘境駅です。

 辛皮駅では、11:54発の宮津行きを待ちます。約30分の時間待ちで、その間に逆方向の福知山行きが発車して行きます。緑の新型気動車でした。それから10分ちょっとしてから、お待ちかねの宮津行きが到着です。こちらは赤鬼カラーの新型気動車です。因みに、この駅の直近の年間平均乗車人員は3名らしいですが、1名の降車の方(恐らく地元の方で観光者じゃ無い感じ)が居られました。貴重です♪

 その新型気動車KTR300形に乗りこみ、発車してすぐに普甲トンネルに突入。 3,215mのトンネルで普甲峠をパスして、ここを抜けるとゆるく左右に曲がりくねった下り坂の線路を走り、約7分、一駅だけの輪行乗車で次の喜多駅に到着です。…多分ですが、辛皮駅から乗車して喜多駅で降りる乗客は、年間で計っても一桁人員しかいないだろうなぁ、と思うと貴重な乗車だったかとも思えます。

 喜多駅は築堤の上のホームから駅前広場までちょっと長い階段で降りてきます。自転車担いでるとちょっと足元がコワい感じです。

 この駅で再度自転車を組み立て、沿線を走ります。但し、残りの駅は2駅で走行距離は4kmに満たないので、一気に終盤が近づいて来ています。一旦府道に出て北方向に向かい、次の宮村駅を目指します。

 宮村駅も築堤の上にホームがある駅ですが、交換可能駅になっています。府道周辺の民家が増えて先の喜多駅より駅勢人口は多い気がしますが、駅に近い周辺には民家が無く畑ばかりです。何んか残念。

 宮村駅から北に進み、民家が多くなって市街地に入ると、宮津駅に到着しました。

 駅前には、行列の出来る海鮮食堂があったりして現に行列してたりします。海産物で栄える観光の駅ですね。

 わたしは海産物はちょっと苦手なものが多いので、並んだりすること無く早速ホームに上がり、今は行動食(小さい菓子パンや“一本満足”やら)で間に合わせます😅

 そして、間もなくやって来た福知山行き快速列車で、福知山に戻ります。

 KTR700・KTR800系列の802号車。Wikiでは2期リニューアル車塗装と分類されているタイプです。走ってるときのエンジン音はLE-DC系と違って特急用の様な勇ましい音で、上り勾配でも難なく駆け上がっていく感じの走りです。(わたし的にはLE-DC系の軽快な音の方が好みではありますが…)

 宮津から主要駅だけ停車していく快速列車なので、喜多駅も辛皮駅も通過していく勢いで、約40分で福知山に到着します。

 宮福線は、未だ宮福鉄道だった時代に青春18きっぷで来て別払いで乗った記憶がありますが、この山岳越えのある路線を輪行チャリ鉄として全線並走(ほぼ)全駅訪問出来たのは、自分の中ではなかなかの快挙でありました。まぁ、ちょっとズルがあったりしますがw、自分が楽しむ“チャリ鉄活動”なので、大いに楽しめたので良かったものでした。

 京都丹後鉄道線は、良い規模で路線を持っているので、また、残りの路線についても輪行チャリ鉄しに来たいと、既に妄想・構想中なのであります。


↓ STRAVAで記録した大江山口内宮駅~辛皮駅までの走行ルート

↓ STRAVAで記録した喜多駅~宮津駅の走行ルート


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チャリ鉄輪行派 小旅・KTR宮福線、峠をこえて【前編】

2022年08月29日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 私の輪行チャリ鉄活動の自転車ルート選定方は、基本的に標高の上から下へ進める、ある意味とてもヘタレwなやり方で、本格的サイクリストから見れば邪道もいいところなのだろうとも思いますが、ローカル線の起点駅から終着の主要都市駅なら、大体が山間部から平地になるものですし、輪行をし易くするために小径フォールディングバイクで走るって言う体制からの限度もあるので、そんなコース設定を選ぶことが多くなるものです。
 しかし、今回の京都丹後鉄道宮福線で輪行チャリ鉄活動となると、どうしても400m級の峠を2度通らなくてはいけないという自分的に超ハードな箇所が発生します。
 それは、あまりにも主題とかけ離れてしまうので、少し巡り方を変えて尚且つ輪行チャリ鉄活動に合致するようなルートで行いました。
 その為、自転車で走るルートは、


大江山口内宮駅から普甲峠を越えて辛皮駅、
辛皮から普甲トンネルで一駅輪行して喜多駅から宮津駅、
宮津から全線乗車で福知山駅、そして
大江山口内宮駅へ戻る、


としました。400mの峠は1度登るだけで、辛皮-喜多は漕がなくなりますが、全駅を自転車で訪れることにできます。とにかく辛皮駅をつなぐ道が急勾配の険しい1本道しか無いので、自分の身体能力も含めこれしか無い感じです。

 …なお、このレポート記事の実乗日は、2021年4月後半で結構日にちが過ぎちゃっています、豆腐のメンタルな人なので勤務の加減で1年ほどBlogさわる精神的余裕を失くしていた為、今ごろの記事公開になってしまいました。ご承知置きのうえ御一読ください。m(_ _)m

 

 …順番が入り乱れるので、駅順のレポートに致します。(本来の起点は宮津ですが福知山駅からスタートで) 
 福知山駅は、京都府北部の交通の要衝となる駅で、山陰本線と福知山線及び、京都丹後鉄道宮福線が通っています。そんな訳で、福知山には過去には機関区があったのですが、駅前再開発に際して廃止され、転車台とC11形蒸気機関車を巨大なモニュメントとして保存しています。C11形40号機は、全身にイルミネーションが仕込んであるのが見て取れるので、点灯している時間に来れば幻想的な姿を見られると思います。


 福知山駅では、宮福線内では多分レアな列車なんじゃないでしょうか、抹茶色2連の115系電車による宮福線内宮津行きがいました。宮福線内普通列車はすべて丹鉄のディーゼルカーかと思っていたので意外でした。ディーゼルカーならワンマンですが、この電車列車は車掌乗務になっていたので、人件費的にはツラい運用じゃないかと思ったり。


 福知山駅からは高架に沿って宮津方向に走り、次の駅は福知山市民病院口駅。確か昔は駅名が違った様な…と思っていたら、“愛称駅名”として『厚中問屋駅』と書かれていて、当初はこの駅名でしたね。病院の最寄り駅で住宅街も近くて、な駅ですが、乗降数は少ない様です。

 

 次の駅、荒河かしの木台駅は、丘の上に拓かれたニュータウンの最寄りで、丹鉄宮福線の車庫があります。駅入り口の横の急坂を少し登ると車庫の一部が見下ろせます。

 その見えるところに元特急「タンゴ・エクスプローラー」のKTR001形が留置されていました。この車両、噂には聞いていましたが、予備車とは言えとても荒れた状態で置かれていて、JR京都駅まで重連の6両編成で颯爽と走ってきていた、第三セクター鉄道界の当時の最高峰の車両と言える最盛期の姿を見ている者からすると、痛々しくて涙が出そうになるほどかわいそうに思える姿で、もう完全引退させてあげて欲しいとも思ってしまいました。


 ちょっと後ろ髪引かれる思いを後に、線路に沿った道がないので大きく国道まで回って、次の牧駅へ。ここも“愛称駅名”として『サケの遡上駅』と付されています。
田んぼの真ん中の築堤の上の駅で、ここも乗降は少なそう。丁度福知山行きの新しい車両KTR300形の赤鬼カラー車が到着しました。反向列車の交換待ちをしそうですが、それを待たずに自転車を漕ぎます。


 この先、由良川沿いに国道175号を行き途中左側に府道を曲がると、次の下天津駅へ。高架の上の一線駅で、ここも駅の周りは田んぼばかり。
駅に至る2車線行き止まりの道には、電車通学の帰りの学生を迎えに来てるっぽい、お年寄りの運転する車が待機していました。こんな感じで、過疎地域では御老人も自動車の免許もなかなか返納するのが難しいのだろうなぁ、と思います。


 再び国道175号線に戻って進むと、鉄道ファンであればすぐ目が行く、明らかに元鉄道線遺構とわかるトンネルが2つ現れます。


宮福線が開通するだいぶ前、福知山から現大江駅近くの河守までを結んでいた北丹鉄道の遺構です。自転車歩行者専用として、内側を厚く補強しているので元々の大きさより少し小さくなっている様ですが、2つのトンネルの並びとか見てると、古い前面4枚窓の気動車がゆっくりと駆け抜ける姿も瞼に浮かんで来そうです。


 トンネルを後にして進み、次の公庄(ぐじょう)駅へ。国道沿いにある駅で、小さめの駅前ロータリーがある駅ですが、最新の2018年の情報では乗降数は0人と言う…。駅周辺は、確かに作業用施設みたいなのは目に入るけど、民家的なものは少なく、車の行き交う音ばかりが騒々しい場所でした。


 走りに戻って、国道沿いに進み、次の駅は大江駅。宮福線では唯一の有人駅です。観光案内所が業務委託で営業している様です。酒呑童子に因んだ副駅名が付いています。
…売店とかあっても、自転車で回ってるのでおみやげとか収納できないので買うわけにはいかず、申し訳ないので駅構内には立ち入らずに過ぎました。


 この先、谷間の集落続きで、“のんのんびより”感が強い場所が続きます。高い高架がトンネルに突入するところにある次の駅は大江高校前。宮福線内で乗降数第3位を計上する名前の通り高校の最寄り駅。

そんな事情ででしょう、学校のPTA会の看板が駅出入り口にあったりしますが、付いてるイラストが、役員の中で絵心のある人がかいてるのんでしょうけれど、だいぶ今風のセンスな感じで、高校生の親御さんと言えども若くなってるなぁ、って言うより、自分、年取ったなぁ…って変なとこで感心してしまいました。。。(苦笑)


 線路に沿う道が県道になり、次の駅二俣駅へ。県道から奥まった所に駅があり、駅横に大きな鉄道変電設備がありますが、壁面にこの地域古来からのお祭りが書かれています。

ここまでの駅でも見ていたのですが、使用済みきっぷ回収箱が、沿線の工業高校が制作した金属製の箱になっていて、マイレール意識を盛り上げるツールの一つにしようと言う思いすら感じられます。


 県道に戻って緩い坂を登って行くと、元伊勢内宮神社の山門(門前町…に入るのでしょうか?)を経て、大江山口内宮駅に到着です。

 

 このとき、上下列車の交換で宮福線新旧車両が顔をあわせるタイミングになりました。MF100形の車体の塗装面に経年劣化が目立っていて末期感が漂っていますが、まだしばらく元気に走らせてほしいところです。

 

 ここから次の駅が、大きな峠越えになるのですが、上下に長い記事になっちゃいましたので、前後編に分けたいと思います。

拙い文書の自転車小旅の記録の続きですが、宜しければ御一読ください。

https://blog.goo.ne.jp/donkou-box/e/2fb0c556344e9f6fc386a398e6f2ed78

m(_ _)m

 


 STRAVAで記録したここまでの走行ルート


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チャリ鉄特別編・あすなとれんげでナロー繋がりサイクリング♪

2021年05月27日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 

 チャリ鉄と言いながらこの回は輪行なしで純粋に走って来たのは、まん延防止等重点措置や緊急事態宣言下で、気軽に電車に乗るのも気が引ける現状のなか、ここ2年ほどでご近所にあって兄弟のような(共に元近鉄線だし)ナローゲージ2路線に、相次いで“鉄道むすめ”が創られデビューしたので、この直線距離で30km弱のこの2駅間を走ってみよう、と思い立ちました。




 出だしは、四日市あすなろう鉄道の追分駅から。
 四日市あすなろう鉄道は、2021年3月18日付けで、鉄道むすめ『追分 あすな』がデビューとなりました。
https://yar.co.jp/imgdata/202103181547123.pdf
 名前の由来のひとつ、追分駅なので、等身大パネルか同様のポスター的なものがあるので、それを拝見してから…と思って来ましたが、こちらの駅には追分あすなさんに関するものは、とくに何も設置していませんでした。あすなろう鉄道の沿線PR誌に書かれた追分あすなデビュー記事は掲出していました。等身大パネルはここ追分駅ではなくて、あすなろう四日市駅に設置している様でした。でも、できればこちら追分駅にも何か置いて欲しいと切に思ってしまいます。折角の集客力になりそうな資源が有効活用されてないように見えて、もったいなく思えてしまいます。



※ ※ 訂正・追記 ※ ※

 …本文途中ですが、訂正をば致します。
Twitterにて、追分あすなさんの活躍について、当方の現状認識の誤認について、
@Fpen950 さまから最新情報を頂きました。
https://twitter.com/Fpen950/status/1397982927514832900


 今回、輪行をしない選択をしたが為に、電車内の案内モニターの現状については自身で見ていなかった状態で憶測記述になっていた様で、実際には車内案内モニター上で活躍中だと云うことで、他社とは違う活かし方をされていたもので、安心いたしました。
調査不足で誤認した書き方をしてしまったことをお詫びしますとともに、@Fpen950 さまには詳細情報を頂きまして、ありがとうございました。
m(_ _)m

訂正・追記は、以上です。

※ ※ ※ ※ ※ ※ 


追分駅に、「なろうぐりーん」が顔を見せてくれたところでスタートして、北勢線楚原駅へとペダルを漕ぎます。



 旧東海道を北上して南日永駅の先の県道を左折し、暫く先を北に橋を渡ると、同じあすなろう鉄道八王子線の終点、西日野駅になります。が、久々に訪れた西日野駅前は、ビックリするほど整然として、駅前ロータリーのある広い空間に再開発されていて驚きました。

 


そのロータリーの中に、あすなろう鉄道“八王子線”名の由来である廃止された西日野ー伊勢八王子間のことを記した案内看板が建てられ、歴史を語り継ぐようにしだしたのは、マイレール意識と言うか、継続して路線を未来に繋げるためにはとても良いことと思います。
因みに、ここ西日野駅とあすなろう四日市駅とで、日中の指定された時間帯でサイクルトレインが出来ます。ママチャリとかでも楽々と四日市中心部まで往復出来ます。

 



 ここからは線路を離れて北勢線までほぼ直線で結ぶ様に国道や県道を継いで走るので、鉄道趣味的に面白味は全然無いのですが、ぼちぼちと。
北方向に進む県道が古い旧街道的な狭い区間になったところで見つけた、猫の飛び出し注意の手作り看板が惹かれました。ネコが多い地区なのかもですが、このときは残念ながらネコの姿は拝めませんでした。


自動車のホンダの車体の工場が、新名神高速道の近くにあって、鈴鹿市が中心かと思いますがホンダの工業地域が四日市市にも及んでいて、ホンダもすごいなぁ、と感じました。
(この小旅には、当時の愛車ホンダ・ライフJB5で出発地点まで来ていたのですが、この直後に買い換えが決定し、ホンダ車ユーザーも終わりが迫っていた時期なのでした。)

 この先は、高低差50~60m位の丘陵地を上って下って大きめの川を渡るパターンを2回ほど繰り返し員弁川を渡ると、東員町域に入り北勢線の線路に接近、線路に沿ってもうちょっと走って、いなべ市入りし大泉駅に到着。


いなべの農産品直売所「うりぼう」も開設していましたが、けっこう「密」な繁盛してる時間帯だったのと、荷物の持てない自転車旅だったので買うわけには行かないので、素通りで次駅の目的地、楚原駅を目指して走ります。あと1kmちょっとほど、旧街道っぽい道を走ります。

 


 追分駅からGPSサイコンの計測で27.7km、三岐鉄道北勢線 楚原駅に到達、楚原れんげさんの駅名標が迎えてくれました。同じナローゲージ路線で元近鉄線だった兄弟路線に創られた2人の“鉄道むすめ”を繋ぐサイクリングの半分が完了です。

 さて、ここまでが半分なのは、ここからまた追分まで多少ルートを変えて戻っていくからです(自分基準で25kmを境に以下ならポタリング、以上ならサイクリング、と分類しているので)。
帰路は、2カ所渡る大きな橋は変えようが無く、見所が無いのでサラッと流しますが、三岐鉄道三岐本線の山城駅近くの踏切を渡ったのですが、電車が通過した直後で20分以上次の電車が来ない時間帯だったので本線の電車は見れずに終わりました。こちらにもサイクルトレインがあったりするのでいずれ乗りに来たいものです。

 そんな感じで四日市市の郊外を走り抜け、市街地へ降りてくると、日永駅に出て、この東側の踏切を渡ると旧東海道にて追分駅を目指します。


地域ゆるキャラのこにゅうどうくんののぼりが出迎えてくれてますが、四日市には非公認地域萌えキャラのよつかいち子ちゃんもガンバってきています。

 追分駅に帰着し、こちらは27.1kmの距離で走破、2人の“鉄道むすめ”を繋ぐ小旅を完了しました。
尚、追分あすなさんの等身大とかは見たかったので、あすなろう四日市駅に寄り道してお姿を拝見してから、帰宅の途に付きました。

 


 今般、昔の繋がりからして縁の深い近隣にある2社線に誕生した“鉄道むすめ”なので、近鉄を介した企画乗車券にグッズを付けて販売しても良いように思いました。そんなのがありましたら、またそれを使って乗りに行きたい、とも思ってしまいました。まぁ、出なくても、折を見てまた再訪したい路線なのですので。
また行きます。


STRAVAで記録した往路のコース



STRAVAで記録した復路のコース




※ 2021.5/28、追記・訂正を加筆致しました。



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