90ページの雑記帳-2(丼・行・ぶろぐ。)

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自分の文章力も省みずに(笑)、旅の話を主に色々と書いていきたいと思います。m(_ _)m

新幹線縦横断おバカ旅の記(4日目)鹿児島中央→長崎

2020年02月05日 | 「て・つ」な旅(新幹線縦横断旅)

  ☆旅程4日目☆

 昨日までに、京都から函館→金沢経由京都→鹿児島中央駅で新幹線縦横断旅としては完了していて、ここからは帰りの消化試合的な空気も入ってしまいそうですが、新幹線としてはまだ開業していないけれど建設中の整備新幹線として何かと話題になっている九州新幹線西九州ルート、俗に言う長崎新幹線に触れてみたいと思っていたことと、その他九州への思いがあるところを廻っていく形で旅が続きます。

 昨晩の大雨から、朝になれば幾分かでも雨脚も弱まることを期待していたが、カーテンを開けてみれば、そんな期待値をあざ笑うかのような本降り雨の続き。だめだこりゃ。。。orz



 結局、鹿児島で輪行袋を開けることはままならずでDAHONの出番なしとせざるを得ないことになりました。でも、鹿児島市電にはもう少し乗っておきたいので、ホテルの朝食は列一番目に並んでさっさと食して早くチェックアウトし、ホテルからの送迎バスより早い時刻にタクシーにて鹿児島駅前の方に向かい、そこから鹿児島中央駅まで輪行乗り鉄を決め込みました。鹿児島駅前電停の大屋根の下には、ユートラムⅡとユートラムⅢの勇姿が収まる光景が見られました。


鹿児島駅前からはユートラムⅡに乗車して鹿児島中央駅を目指しました。これとユートラムⅠの運転台は、路面電車としては破格の広さの運転台です。大手私鉄の電車でもこんな広いのはなかなか無いと思います。


 雨の降りしきる中、鹿児島中央駅からはN700系車両からなる「みずほ604号」に乗車。N700系もJR九州色塗装の独特の車両なのですが、800系新幹線が好きすぎるわたしは結局N700系みずほの写真は全然撮らずに(時間が無かったこともあるとは言え、鹿児島銀行のゆるキャラ、しろどんファミリーは撮ってたのに…)乗車して熊本を目指します。



 約40分の乗車で熊本駅へ。ここまで来たら雨は降っていなくて、直ぐには降出しそうじゃない程度の曇り空。DAHONが出せる!
熊本駅で下車後、乗ってきたみずほ604号の最後尾だけでもと思って撮っていたら、下の方から、甲高い汽笛音が鳴り響きました。SL人吉号の運転日だったようです。微かに石炭の匂いも感じますが、よもや急いで在来線ホームに降りても残念ながらSL人吉号の姿は無い。。。


SL人吉号は、とくに狙っていた訳でもないのでまぁいいとして、今回熊本に寄ったのは、熊本地震の熊本を、熊本城を僅かでも支援しようとの思いからで、現時点での熊本城の姿を目に焼き付けていこうとの思いからです。思いだけは多いです。


 熊本駅に荷物を預けて、昨日雨のせいで大荷物と化していたDAHONの輪行袋を2日振りに開封、今日は走れて嬉しかろうと。ってか、私が嬉しい訳なのですが(^^;)
熊本駅からは熊本市電の線路に沿って、熊本城を目指します。今日は市電に乗ることは無いだろう。市電は高校生時代に全線完乗を終えているので、特に今回は絶対乗っておきたいとかは無いです。あの時代は、日本初のVVVFインバータ制御の電車8200形がデビューして間もない頃で、今となっては珍しくもないが当時最新鋭のVVVFインバータのモーター音とか車輪がむき出しのインサイドフレーム台車とか、新機軸の車両がまぶしかったものでしたが、今ではLRV超低床電車が幅をきかすようになり、熊本市電も当時と様相が変わってきていますので、気にはなりますが、今日は自転車活動優先。


 桜の馬場駐輪場へ自転車を留めて、天守閣の見える広場までを目指す。二の丸広場から見える長塀が約100m崩落した箇所が先ず一番に目をひく被害箇所で、そこに至るまでも塀や櫓に小規模な崩落が見えたりして、地震被害の大きさが至る所で垣間見れる。


もう少し進むとニュースでもよく採り上げられている、一本足に残った石垣に支えられている戌亥櫓(いぬいやぐら)も目立ちます(こちらは後で話題になった櫓だそうで、一本足でもっと有名なのが飯田丸櫓なようですがわたし的には戌亥櫓の方をよく見聞きしたもので)。


これ以外にも手付かずの被害箇所はまだまだたくさん有ると思われますが、今は先ず天守閣を最優先せざるを得ないと言うことなのかと思います。加藤清正神社から見られる、大仰な鉄骨フレームに囲まれて修復作業中の天守の威容も、被害の大きさを物語っているようです。

 


熊本城復興の募金受付けみたいなのがあるじゃろう、と思って、城内の各所を見ながら探しながら歩いてみましたが、このとき実施していたのは、「復興城主」制度を創設してひとり一口一万円からになる募金の制度に(金額の割には被災者には回らないお金でもあるし)、何かもやっとした気が残ってしまって、今回は賛同できなかったこととして募金を遠慮させてもらいました。
地震の影響で熊本来訪の観光客は激減している、との言説もありましたが、熊本城には日曜日と言うこともあってか、市民や観光客は結構来ていた様に感じたし、地震の影響も払拭されているのかなぁ?とか思ってしまいました。熊本市内だけしか見ていないから多分見間違えていることだろうと思います。

 熊本城を出てから、まだ滞在時間があるのでもう少し長い距離を自転車に乗りたい、と思ったので、水前寺公園まで足を伸ばしてみました。しかし、着いてみたら水前寺成趣園の入場料が結構お高い値段だったので、時間的にもここの興味が無くなってしまったのでした。それならばと、熊本電気鉄道にくまモンラッピング電車があったよなあ?と、思い出して、藤崎宮前駅まで移動。
藤崎宮前駅の先の併用軌道区間を発見したと思ったら、準備も整える間もなく踏切が鳴り出し、曲線部から顔を出した電車は、気にしていた“くまモンラッピング電車”だった! 元東京メトロの01形車両の復刻塗装車にくまモンが描かれた電車で、中国台湾方面からの国外観光客の誘致にもなっているようです。まぁ、単純にかわいいです♪

 


くまモンラッピング電車を見た後は、熊本駅まで戻る。結構慌ただしくまた移動のため新幹線の人に。尤も、この回は40分程の乗車で在来線に乗り換えるろこととなりますが、もう一度800系新幹線に乗れる機会です。


そのつばめ326号到着を待つ向かい側のホームに、走り出したばっかりのミッキーマウスラッピングの800系新幹線が走って行った、それと入れ替わりにつばめ326号が入線。


あれだけ憧れとなっていた800系もあと40分程でしばしさようならとなってしまう。…と言うか、車齢からして引退も近づいてくる可能性もあるかも知れないので、本当に堪能しなくては、とも思ってしまいます。

 熊本から40分程で、新鳥栖駅に。大荷物のため800系との別れをじっくり画像に残す余裕も無く、すぐに発車する列車を目に焼き付けると、ここからは長崎本線の白いかもめに乗り換え。約30分待ちでやって来た。長崎までのかもめは高校の時にも乗っていて、それも今は無き国鉄佐賀線、瀬高から佐賀まで、そこで乗り換えて長崎まで485系特急車で長崎へ向かったものでしたが、現代では白いかもめ885系、初めて雑誌等で見たときは、ドイツのICE とかの欧州の車両かと思った斬新なスタイルの車体は、走り始めてから20年を経ても、今なお古さを全く感じさせないインパクトがあるです。


車内に入ると、ここではグリーン車に乗車したのですが、シートは黒色本革製シートで、自動車用か家庭用のインテリアかと言うような鉄道車両の概念とかけ離れた質感で、更に2列+1列の余裕綽々のゆとりある配列もすごい。ただ、年期が入っているせいか、私の座った椅子がたまたまあたりが悪かったのか、リクライニングに少々ギクシャク感があって操作感が悪かったのがほんの少しの残念な部分でした。
肥前鹿島から先のひなびた海沿いの風景を眺めている間に鞫≠゚ぎ、長いトンネルを抜けると都会の風景が開けて長崎市内浦上へ、そして終点、長崎に到着、16:50分を約5分遅れて着きました。


この日は、旅程4日目となり結構疲れが出てきてたので、輪行袋を開封する気力もいまいち残ってなくて、駅前に発着する長崎電軌の車両をちょっとだけ眺めていました。最新型の超低床電車が来ました。


しばらくしてから駅前に来た丘の上のホテルの送迎バスに乗り込む、結構な急坂を大きなバスがどんどん登っていき宿に到着。今日は割と早い目に宿に入り活動を終わりとしました。

 明日は聖地巡礼がメイン、15時20分発のかもめまでなので時間は充分にあります。。。

…4日目は、旅の疲れが出てき始めましたが、ほぼ無事に終了しました。


翌日の旅日記は→コチラです♪ 長崎→京都



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