90ページの雑記帳-2(丼・行・ぶろぐ。)

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自分の文章力も省みずに(笑)、旅の話を主に色々と書いていきたいと思います。m(_ _)m

チャリ鉄輪行派小旅・樽見鉄道にて

2020年11月12日 | 「輪行チャリ鉄」な旅
 


 チャリ鉄・輪行派を名乗らして貰っています私です。“チャリ鉄”の定義は、特に定まっていない様ですが、自分では普段から折り畳み自転車DAHONで輪行して主にローカル線ローカル私鉄に片道乗車して、折り返しを沿線沿いに自転車を漕いで、各駅を訪れて回るのがスタイルだったりします。自転車と乗り鉄を同時に楽しめる、自分仕様な旅スタイルです。廃線サイクリングロードも結構好きです。
 今般、岐阜県の樽見鉄道を訪線しました。だいぶ前、LEーcarⅡハイモ230形がデビューしてレールバスのハイモ180形が第一線を退いた頃に来て以来です。今ではLEーDC系列が活躍していて、またその間に神海£M見間が開通しているので、その新線区間を初乗りするために再訪したものです。
 この際、今までと同様に各駅立ち寄りし写真を撮ることをしていましたが、Twitterで連投すると興味ない人にはお目汚しになってしまうので、別途写真を主体にしてBlogに上げることにしてみました。

 早朝に京都市内からホンダLIFEにDAHONを積んで高速をひた走り、樽見鉄道の本巣駅へ。ここをベース基地(車の留め場所)として未乗区間の樽見まで輪行して、そこから大垣まで沿線を漕いで走り、大垣から本巣まで帰ってくる行動計画です。


 

 本巣駅から輪行で乗車。行き違いの反行列車は“モレラ岐阜”のラッピング車。
標準塗装の樽見行きに乗って、エンジン唸らして発車。ディーゼルカーはいい、心が洗われます♪

 神海駅からは未乗区間を初乗車、しばし山深い光景を楽しみ、終着駅の樽見駅へ。



 樽見駅前で自転車を組み立てて、ここから #おりたたぶ 出動!




 樽見鉄道の沿線各所に立つ、車両塗装を模した駅の案内表示看板は、よく見たらハイモ180形の雰囲気を残していて、レールバスLE-CarⅡのローカル線に残したインパクトの大きさと、マイレール意識で愛されてたんだろうなぁ、ってことが感じられます。

 

 
 国の天然記念物、薄墨桜がある薄墨公園へ。葉桜の紅葉も来ているかと期待して来ましたが、種類が違うのか、ソメイヨシノ程葉も多くないし、色もまだまだ赤くはなってなかった。奥の方のカエデ(?)っぽい1本の木だけが色づいていました。

 根尾谷地震断層観察館最寄りの水鳥駅…と書いて「みどり」駅。近いけど、入館してる時間は無いとして立ち寄らず…です。

 川沿いの路線と同じく緩い下りで、次駅の高尾駅。ハイキングコースの案内地図が目立つほどの駅。人家は駅の南側が集落になっています。
 その集落の中から山に入る県道を登って、次駅に向かいます。

 100メートル無い位の高低差を2回ほど越えて、県道から外れた所に次の日当(ひなた)駅。駅の前後ともトンネルで南側は鉄橋もありと、ちょっと険しい地形で人家も少ない。
 県道に戻ると、木々の鬱蒼とした上り坂を登っていく。クマでも出そうな雰囲気も…。

 雑草の茂った、人気の無い対向車も見ない県道をまたアップダウンして、橋で分岐する道を渡っていくと、次の鍋原(なべら)駅。樽見鉄道線は、結構字面は簡単なのに難読系な駅名が多い。駅周辺に人家は全く見当たらず、駅に隣接して宿泊施設的なものがあるけど、荒れている様に見えるし廃業しているっぽいです。

 

 先程の橋を渡って県道に戻り、また鬱蒼とした道をもう少し走ると、やっと視界が開けて農村部な風景に。ホッとします(^^)。
空の広がった県道を走って線路を見ながら行くと、程なく高科駅。ここは、本巣市じゃなくて揖斐川町に立地する駅。小さな駅舎・待合室の裏手は小さいながらも駅前広場の様になっていて、バス停があります。オンデマンドバス方式の「はなももバス」が走っている様ですが、車両は普通車クラスのミニバンっぽい。かっぱのイラストは地元のマスコットキャラか? 派手なのか地味なのか微妙な感じ(笑)ですが、地域住民には利便性高い交通政策かも知れないです。
 それにしても、水鳥から鍋原駅までの駅勢圏人口の少なそう加減からすると、樽見鉄道の延伸を強く要望していた地域は、終点の樽見とこの高科駅周辺だったのかも、と思えました。

 高科駅を出た線路は、少し行ったところで根尾川を対岸に渡り、最短で神海駅に行きますが、県道は川に沿って大きく蛇行して回って、橋を渡って行くしかないので、線路の距離の3倍くらい走る必要がある。向こうに見えてるのにちょっと遠い。。。

 そうしてやっと、神海駅に到着です。ここは1984年に第三セクター化されたときの終点でした。ここまでは平成元年に樽見延伸される前に、ふつうの乗り鉄として乗車したことがあります。昭和の末頃、20代前半の若い頃の話になります。30年以上振りで、改めて時の流れに驚愕です(笑)

 


 神海から谷汲口駅までは、線路がまた根尾川を渡るため、さっき渡ってきた橋に再度戻って県道を走らなくてはなりません。切り通しの短い急坂に入り、また暫く山道になるのかと思ったら、下り坂になると意外と人家の多い道になり、谷汲温泉の横を通って暫く進むと谷汲口駅に。気が付くと昼回ってて腹減ったので作戦タイムのため小休止。


 この駅に保存されてる古い客車が、ちょっと可哀想な感じで。。。但し、経緯とか取り巻く環境とかもう本当に万別なので安易に批判的には言ってはいけませんが。。。彼をを見ながら、近所にすごく大切に保存されてる電車達がいるのを思い出してもう一度会いたくなってきて、行き来で6kmほど回り道寄り道して会いに行きました。

 

 谷汲口駅から木知原駅に向かう途中で、旧名鉄谷汲線の廃線跡に交わるのですが、そこを2km少々ほど走るとその終点の谷汲駅へ。駅から元踏切まで線路が長く残されてるのは、年に一度は牽引機アントで牽いて走らせてるイベントを行うため。

 

 

 谷汲駅の車両たちは、車両の上に屋根も付けて貰って丁寧に保存されていて、ホームから見ていると、古いコンプレの音がしてオイルの焼けた様な機器類の匂いも漂ってきて、今にも走って行きそうな気がするほど手入れがされています。廃線から20年を経ても、組織的に守る有志が存在するのは本当にありがたいことです。
 谷汲口駅のオハフは、当時の村に寄贈されていて、経緯でいろいろ難しいことが多くあるかも知れません。

 ひととき谷汲の保存車で和んだあと、来た道を戻り、途中で美味しいお蕎麦を食し昼食としてから、元の樽見鉄道沿線に戻り、木知原駅に向かいます。

 

 木知原(こちぼら)駅、こちらもなかなかの難読駅ですね。ふりがな振ってあっても“こちばら”かと思ってしまっていました。県道に挟まれた小さい駅。運良く丁度列車が入ってくる時間でした。駅近くにはコンビニがあって、だいぶ人口が多い場所になって来たと感じます。

 

 木知原からは、川沿いのところどころ風情の残る旧街道を走って、織部駅へ。『道の駅 織部の里もとす』が出来た場所に隣接して新しく作られた駅。道の駅は結構賑わっていました。撮ってないけど、サイクルスタンドが置いてある。岐阜西部で、いろいろとサイクリングコースを設定してアピールしています。徳山ダム回るコースとかは、ロードでないと無理でしょうなぁ。

 

 線路脇に続くあぜ道みたいな道を走ると、最初の本巣駅。駅裏は車庫ですが裏手から見た格納庫の奥に、ハイモ230形と思われる車両が1台。2018年で廃車になっていますが解体せず保管中な様です。何かするのかな?気になります。

 本巣から次、糸貫駅までは、平坦で田畑の横を走ってゆくので割とすぐ着きそうな気がしていたら、以外と駅間が長くて見落としたんかな?と、地図を何度か見直したりしたものでした。地元民主体の小さな駅です。



 糸貫からも見えている、ショッピングセンターの大きな建物が「モレラ岐阜」、その最寄り駅として開設された、モレラ岐阜駅。ホームに屋根付きベンチだけの簡素な設備ですが、隣接する駐輪場の横にホームから少し離れてちょっと大きめの駅舎待合室がある。

ホームの駅名標を見ていると、下の方のモレラの看板に書いてあるキャラクター「モレ美さん」が、まるでアクビちゃんやなー、とよく見たら『タツノコプロ』って入ってある。タツノコにイメージキャラ作ってもらえるSCって、どんな繋がりがあるのか気になったけど、後で調べてもとくに出てこない。…お金鰍ゥったんちゃうんかなぁ?て余計な心配。

 

 次の北方真桑駅の南側には、その昔、名鉄揖斐線の線路が立体交差していて、先程の丸窓電車が、谷汲駅からの直通便ならこの跨線橋を越えて新岐阜駅前まで直通していた頃もありました。


…って言うTweetをこのとき打ちましたが、ちょっと記録を調べたら美濃北方から忠節までの乗車だったので、ここの跨線橋自体は実は乗っていなかったものでした。美濃北方駅の位置関係を間違えて覚えてしまってた様です。

 

 

 美濃北方から次の美江寺駅までは、樽見鉄道線で駅間最長の3.3kmあり、さらにこのとき、県道53号線の拡幅工事と立体交差化の高架工事が為されていて自転車の通行が制限されていて、かなり遠回りを余儀なくされたもので、余計に遠く感じた区間でした。
ちょうど樽見行きが到着しました。中高生の下車がそこそこある、ここから瑞穂市域になる住宅地の中の小駅です。ここも丁度樽見行きが来たときでした。

 線路沿いの梨畑のあぜ道を進んで、次の十九条駅。ここも住宅地の中の小駅。

 十九条から次の横屋駅までは駅間1.0kmですが、犀川という川を渡る橋が少なくて結構迷い遠回りしてたどり着きました。横屋も新しい住宅地の駅で、簡素な駅ですが通勤通学需要は多そうな立地です。ここも瑞穂市で、ホームの先の線路は大垣に向かって右に曲がっていく、その向こうに東海道本線の架線柱も垣間見えます。

 

 次の東大垣駅に向けて揖斐川を渡るのですが、手持ちのツーリングマップでは、樽見線・東海道本線を越えて、国道21号線の歩道で渡らんとあかんと思ってたら、東海道本線の手前に平行して歩行者専用の橋がありました。一見して元鉄道用橋梁を歩行者用道路に使っているのがわかる形状の橋です。こういうのはワクワクします。この橋を渡り、大垣市に入り東大垣駅へ。
 有人駅っぽい駅舎があるけど無人駅、近くに高校や中学校があり住宅街でもあり、駅駐輪場がいっぱいであるとこからして、大垣から一駅だけでも需要の多い駅なのがわかります。で、駅観察中にちょうど大垣行きが来ました。列車を見るのはいいけど、よく考えたらあの折り返し列車に乗らないと帰りがだいぶ遅くなるのに気付き、急いで大垣駅を目指す。こんなときに限って向かい風が強くてヒーヒーしました。

 

 そんなこんなで大垣駅に到着、全線伴走完了。そして先程の列車に何んとか間に合いました。車両の形から元三木鉄道車かと思って期待しましたが、残念ながら違う車両でした。
車内は下校の学生が多く座席満席で、モレラ岐阜まで立席で、それからちょっとの間座って、日没寸前の、勝手にベース基地、本巣へ無事到着帰着。




 GPSログで58.7km走行。よきでした。

STRAVAで記録した走行ルート

STRAVAでの走行ルート記録


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