何回か書いてるかも知れないけど、思っている事を書く。私が思っているような内容は、テレビなどではあまり見なくて、周りの人にもなかなか言いづらくて言えないので、専ら家族とのみ共有しているのだが、どうだろうか、みんな、本当はどう思っているんだろう。
①地元の為に尽くしたい子どもばかりじゃなくて、いいんだよ あの頃から、テレビに映る子どもたちは「地元が好き」「大きくなったら地元の為に働きたい」と言っている。高校の卒業式とか成人式とか。そういう子を選んで放送しているのか、カメラを向けられるとそう言ってしまうのか、そういう子がインタビューに応えるのか。でも、偏り過ぎている。ああいう子ばかり映っていると、まるでそうでない事は良くない事のように錯覚しないだろうか。そうでない子は肩身を狭くしないだろうか。私が子どもの頃は「地元を離れたい」「都会に行きたい」が当たり前。そしてその通り地元を離れて戻ってこない。なんだかんだ、今もそうなんじゃないかと思うんだけど。田舎がすべての人にいいわけじゃない。都会が向いている子もいる。都会に出て、居心地よかったらそっちに住めばいいし、田舎がいいと思えば戻って来ればいい。始めから選択肢を狭める必要はないよね。色々試して、自分に合うものを選べた方がいい。だから、ああいう偏った報道は不安。自由でいいんだよーって言ってあげたい。
②あきらめも大事 「できる範囲の事をするのは大事」もちろん、それを踏まえての話だけど。防潮堤の高さなどなど、震災の備えのインフラ整備に関しては色々話が出たけどね。高ーい防潮堤ができたし、ずーいぶんとかさ上げもしたけど。どんな備えをしても、それを超える災害が来る可能性がある。全ての災害に対応しようとしたら、果てしが無くなってしまうから。そのラインを決めるのが大変だったでしょうね。私のラインよりはだいぶ高いライン設定かなって、思います。インフラでカバーできない分は、行動でカバーです。でも、限界があるよね。「震災は忘れた頃にやってくる」。そして「津波てんでんこ」は、できなくてもしょうがない。もちろん、それを胸に留め置いて置くことは大事。でも、大切な人がいる時、動いてしまうのは仕方ない。人間だもの〜。目の前に動けない人がいたら、放って置けなくても仕方ない。誰かを心配して、誰かを助けようとして、自分が亡くなっても仕方ない。見殺しにしたっていう思いを背負って生きていくのも大変だよ〜。そして、見殺しにするのも仕方ない。人間だもの。そんな思いを抱えて生きている人達がいるはず、今も。どっちも、しょうがない。人間だもの〜。
③被災地を忘れないでっていつまで言うの? あの後、被災地がたくさんでき過ぎて、もはや「被災地」は東日本大震災の被災地を指す言葉では無いよね。たしかに、被災範囲が広くて、広いがあまりの支援の遅さとか、復興の遅さとかがあるんだけど、一人一人の単位で考えた時、他の震災も、自然災害も、事件や事故だって、同じ苦しさを感じているんだよね。私たちはもはや特別ではない。私だって、他の地の災害のことなんて忘れちゃうよ。沢山あったし、見えないし。だから、地元に住んでいない人が忘れるのは当たり前。しょうがないんだと思う。もう、特別なんだって、態度をとるのはやめようよ。
④本当に忘れちゃいけないのは福島の原発事故だ 地震・津波だけの被災地と一緒にしちゃいけない。人災ですから。日本国民が選択した結果の被害を、一部の地域の人たちに負わせてしまった。国や東電の責任もそうなんだけど、私たちに責任が無いかっていったら、無いことはないはず。天災は防げないけど、人災は防げるんです!!福島の方への支援は続けるべきだと思うし、忘れちゃいけないよねー。(余談だが、同じ理由で、沖縄の基地問題も忘れちゃいけない問題だと思う)。それに比べたら、我々のところの被災なんて、さほどのものではないと思うんだよ。