すやすやと眠っている子供たちの方をノエルはじっと見つめていた…。
西沢のために産んだ吾蘭と来人…今のところは兄弟の間に何の問題も起きては居ない。
それでも…絶えず不安はつきまとう。
このまま無事に…仲良く育っていってくれるだろうか…。
ノエル…。
不意に西沢が子供部屋に入ってきた。
滝川が怪我をしてからノエルはほとんど子供部屋で寝ている。
西沢の落ち込みが激しくて、ふたりの間に居るのがつらかった…。
最近ちょっと持ち直して、毎日どこかへ出掛けて行っているようだけれど、それでも西沢のベッドにはなんとなく戻り難かった…。
ベビーベッドを片付けてしまったので、吾蘭と来人が大人用の柵付きベッドで眠っている。
ノエルは床に大き目のマットレスを敷いてごろ寝をしていた。
西沢の大きな身体が潜り込んできた時、久々に西沢の肌の温もりを感じた…。
「クルトは…まだ風邪気味なの…? 」
西沢はそう訊ねた。
ノエルがここに居るのは来人の風邪のせいだと思っているようだ…。
「もう…治ったみたい…。 今日は祖母ちゃんと公園へ行ったらしいけど…今のところ喉も鼻も大丈夫だから…。 」
そう…と西沢は微笑んだ…。
「北殿から…アランとクルトの話を聞いたよ…。
クルトは…アランを止める役目を背負って生まれてきたんじゃないかって…。
そう言っていた…。 」
クルトが…?
ノエルは驚いたように西沢を見つめた。
「宗主方の主流の血を引く者は、生まれ持っている力が強大過ぎて、場合によっては自らの抑制力がそれに追いつかなくなるのだそうだ…。
強い力を持つ子供たちは幼い頃から自分を抑え、穏やかに過ごせるように修練するらしい…。
僕の場合…一族から離れて育ったために思うように修練ができなかった…。
相庭は懸命に指導してくれたんだが…環境的に無理があって…。
それに…御使者になる前の僕は自分が裁きの一族の主流の子だなんて知らなかったし…そういう家門があることさえ信じてなかった…。
祖父や養父が僕を利用するのは…どこか大きな一族の血を引くからだとは思っていたけど…。
正体も明かさずに懸命に僕を護り育ててくれた相庭に感謝しているよ…。
相庭が居なければ…僕はとうに壊れてたからね…。
子供の頃は相庭が…少し成長してからは恭介がずっと僕の抑制装置だったんだ…。
だから…恭介を失うことは…僕にとっては最大の恐怖…。
歯止めの効かなくなった僕が周りに及ぼす被害を考えると…震えが来るくらい…。
お伽さまも…いざという時には宗主の抑え役を務めるらしいよ…。
宗主は僕よりはるかに歯止めが効くので、宥め役に近いということだけど…。」
宥め役…お伽さまは…宗主のいい人ってだけじゃなかったんだ…。
ノエルは子供たちの方へ目を向けた。
「この子たちは兄弟で…大きな荷を背負うことになるんだね…。
なんか…可哀想…。 」
そうだな…と西沢は切なげに頷いた。
「すべては…僕のせい…だよ…。
僕が望まなければ…この子たちも生まれてはこなかったんだ…。
きみももっと自由に生きられたのにな…。
でもね…ノエル…僕はこの子たちに会えて本当に嬉しかった…。
きみのお蔭で…やっと本物の家族を得られて…最高に幸せ…。 」
幸せ…と…どんな時でも西沢は言う…。
もしかすると…そう自分自身に言い聞かせているだけなのかもしれない…。
壊れてしまわないように無意識に暗示をかける…僕は幸せだよ…と…。
「紫苑さん…なんでもかんでも自分のせいにしちゃだめ…。
紫苑さんの傍に居たいと願ったのは僕の方でしょ…。
赤ちゃん…産むって決めたのも僕自身なんだからね…。 」
ノエルの言葉に…西沢はまた微笑んだ…。
大人になったノエル…出会った頃のノエルはもう…どこにも居ない…。
忘れかけていた悲しみが再び心に甦って…西沢の顔を曇らせた…。
「いつか…きみが居なくなる日が来る…。
ずっと…そう思っていた…。 覚悟も決めてた…。
その日が来たら僕は笑って…ここからきみを送り出してあげるつもりだった…。
きみが幸せになれるように…。
でも今は…その日が来ないことを祈ってる…。
子供たちのため…なんて言わない…。 僕のために…。 」
僕の我がままだけどね…と西沢は自嘲した…。
ノエルはにっこり笑ってそっと西沢に身を寄せた…。
「まだそんなこと言ってる…。 困った人だなぁ…。
ずっと傍に居るって…約束したでしょ…。 」
何処へも行かない…。 だって…考えられない…。
紫苑さんの居ないところだなんて…。
「僕は十分幸せだよ…紫苑さん。
ここに居れば…僕は誰にも嘘をつかないで済む…。
紫苑さんは僕のこと心から大切にしてくれてるし…有り難いと思ってる。
たとえ…紫苑さんにとって…僕が一番の存在じゃないとしても…。 」
そう…それは最初から分かってはいた…。
当の本人が気付いていないだけで…。
いつもそう…誰に対しても…紫苑さんは鈍感だよ…。
「大丈夫…そんな日は来ないよ…。
でも…浮気だけは覚悟しておいてね…。 お互いさまだけど…。 」
西沢は噴出した…。
笑いながらノエルを抱きしめた…。
分かった…。
もう…考えないようにするよ…。
耳元で囁く声が温かくノエルを包んだ…。
仲根がその店に到着したのは約束の時間を少しだけ過ぎた頃だった…。
店の駐車場から急いで駆けて来たので…扉の内側に入った時…すぐには言葉が出ないほどだった…。
季節の花がさり気なく飾られた落ち着いた雰囲気のコンパートメントで、西沢は仲根が現われるのを待っていた…。
仲根の姿を見ると…あの人懐っこい笑みを浮かべた…。
またまたまた…兄貴…そのにっこり…たまらんぜぇ…。
「お待たせしました…。 」
そう言って仲根は頭を下げた。
「どうぞ…掛けて…。 御免ね…忙しいとこ呼び出したりして…。 」
なに…構いませんよ…と言いながら仲根は西沢の向かいの席に腰を下ろした。
店主が仲根のお茶と…頼んであったコースのお通しを運んできた…。
相庭家の経営するこの店は和洋折衷の創作会席料理を売り物にしていて…肩の凝らない客の持て成しなどに利用する人が多い…。
お飲み物はどうなさいますか…と店主が訊ねた…。
西沢が好きなものを…と勧めるのを…仲根は下戸なので…と辞した…。
仲根がいける口なのは知っていたが、まだ仕事があるのだろうと西沢は察した…。
「恭介が…写真を撮るんだ…。 」
店主が行ってしまうと…前置きもなしに西沢が話し出した。
「滝川先生が…? だって…まだ…眼が…。 」
驚いたように仲根は言った。
「そう…見えてないわけじゃないけど…MRI画像でも見ているような状態…。
とてもひとりで撮影は無理…。
若いスタッフと組んで…より巧く撮影する訓練を始めた…。
集めたデータを頼りに…本番を…という計画なんだが…そんなに簡単にいくものじゃない…。 」
西沢はフーッと溜息をついた…。
「データ…ですかぁ…。
在り来たりの写真なら撮れるでしょうが…先生級の作品となると…難しいですね。
で…俺に何を…? 」
仲根は窺うように西沢を見た…。
「きみは見たままをストレートに人に伝えることができる…。
瞬間的に的確に…。
恭介が被写体を見る時の…眼になって貰えないだろうか…?
データに頼るよりはずっと生きた写真が撮れるはずだから…。 」
滝川先生の眼に…ですか…?
西沢の申し出に仲根は戸惑った…。
できないことは…ないかもしれないけど…。
「これは…治療の一環でもあるんだ…。
きみが恭介に送る像が刺激となって…能力のスイッチが切り替わってくれるんじゃないかと…僕は考えているんだが…。 」
時間のある時だけでいいんだ…訓練段階から協力して貰えないだろうか…。
勝手なお願いで…申しわけないんだけど…と西沢は遠慮がちに言った…。
相変わらず…控えめな人だなぁ…。
特使の権限を以って命令すればいいのに…と仲根は思った…。
滝川の治療については協力を惜しむな…と宗主からも通達が回っている…。
西沢が仲根を使うにあたっては…遠慮する必要など何処にもないのだ…。
「分かりました…。 大原室長と相談して…滝川先生とも時間を合わせます…。
俺にできるだけの協力はさせて頂きますから…。 」
仲根がそう返事をすると…安堵したように西沢はまた微笑んだ…。
兄貴に…そんな顔されて断れるやつぁ居ないよ…。
う~ん…これでまたしばらくは兄貴とお仕事…何となく…ラッキー…。
仲根は内心ほくそ笑んだ…。
その頃…西沢の本家ではちょっとした騒ぎが起こっていた…。
西沢が土地を物色しているらしい…という情報が不動産屋を通じて養父祥の耳に入ったのだ…。
祥はすぐに息子たちを呼び寄せた…。
「そんなに心配要りませんよ…お父さん…。
子供が増えたから…あのマンションでは手狭になってきたのでしょう…。
紫苑が西沢家を出て行くなんて有り得ないことですよ…。 」
話を聞いて怜雄が笑った…。
「そんなに心配なら…いっそこちらで建ててやったらどうです…?
紫苑は何れ設計事務所か建築屋を訪ねるでしょうから…そちらに手を回して…紫苑の好みの家を建ててやればいいんですよ…。 」
手は…とうに回した…と祥は答えた…。
問題は紫苑がすんなりこちらの申し出を受けるかどうか…ということだ…。
「お父さん…あのマンションを僕の新居にするから…という理由を付けて新しい家に移らせたらどうです…? 」
思いついたように英武が言った。
英武は来年…ようやく千春と式を挙げることになっていて…新居を選んでいる最中だった…。
「新築マンションを買おうと思っていましたが…あの部屋なら環境も設備も十分ですし…なんと言っても勝手が分かっていますからね…。 」
それはいいかもしれん…。
それなら…紫苑も断りきれまい…。
祥は満足げに頷いた。
西沢が木之内家に戻るようなことがあれば、祥としては養父の面目をなくすことになる。
そればかりか…族長会や連携組織に於ける西沢本家の信用問題にも関わってくる。
孫の吾蘭が木之内家を継ぐのは仕方ないとしても…西沢だけはなんとしても手放すことはできなかった…。
西沢のスケジュール表の中に…急遽加えられた幾つもの新しいスケジュールを確認しながら…玲人はあれこれ予定を算段していた…。
「実は…紅村先生からちょっとした申し出があったんだよ…。
仲間内でコラボ作品展やらないかって…。 」
突然…西沢がそんなことを言い出したので…玲人は睨んでいたスケジュール表から顔をあげた…。
「コラボって…作品持ち寄りで開くってことか…?
聞いてねぇぞ…そんな話…。 」
繋ぎ屋玲人は訝しげに訊ねた…。
西沢の仲間内…と言えば…写真家の恭介を初め…華道家の紅村旭…作家の花木桂…イラストレーターの田辺…画家の須藤…ディレクターの金井…宝飾彫金の輝…等々。
「職種が多過ぎて煩雑だなぁ…。 どうまとめるんだよ…。 」
エージェントの自分が知らないうちに…紅村が直に仕事の話を持ち込んだのは少々気に入らなかった…。
玲人の父親…相庭の時には紅村も相庭にかけあっていたのに…。
「たまたま…食事の席で出た話だ…。
恭介が治ったら…ってことで…。
まだ…恭介が写真を撮ることは話してないんだけどね…。 」
まとめるのは金井の得意分野だろう…?
そう言って西沢は笑った…。
何にしても…恭介が復活しないことにはなぁ…。
「共同作品を作り上げるんだそうだ…。 それぞれの担当を決めて…。
夢みたいな話だけど…案外…面白いかもな…。 」
楽しげに話す西沢を尻目に…玲人は肩を竦めた。
紅村の持って来た話じゃ…まず…儲けはないな…。
スケジュール表に目を戻しながら…フッと諦めたような溜息を吐いた…。
次回へ
西沢のために産んだ吾蘭と来人…今のところは兄弟の間に何の問題も起きては居ない。
それでも…絶えず不安はつきまとう。
このまま無事に…仲良く育っていってくれるだろうか…。
ノエル…。
不意に西沢が子供部屋に入ってきた。
滝川が怪我をしてからノエルはほとんど子供部屋で寝ている。
西沢の落ち込みが激しくて、ふたりの間に居るのがつらかった…。
最近ちょっと持ち直して、毎日どこかへ出掛けて行っているようだけれど、それでも西沢のベッドにはなんとなく戻り難かった…。
ベビーベッドを片付けてしまったので、吾蘭と来人が大人用の柵付きベッドで眠っている。
ノエルは床に大き目のマットレスを敷いてごろ寝をしていた。
西沢の大きな身体が潜り込んできた時、久々に西沢の肌の温もりを感じた…。
「クルトは…まだ風邪気味なの…? 」
西沢はそう訊ねた。
ノエルがここに居るのは来人の風邪のせいだと思っているようだ…。
「もう…治ったみたい…。 今日は祖母ちゃんと公園へ行ったらしいけど…今のところ喉も鼻も大丈夫だから…。 」
そう…と西沢は微笑んだ…。
「北殿から…アランとクルトの話を聞いたよ…。
クルトは…アランを止める役目を背負って生まれてきたんじゃないかって…。
そう言っていた…。 」
クルトが…?
ノエルは驚いたように西沢を見つめた。
「宗主方の主流の血を引く者は、生まれ持っている力が強大過ぎて、場合によっては自らの抑制力がそれに追いつかなくなるのだそうだ…。
強い力を持つ子供たちは幼い頃から自分を抑え、穏やかに過ごせるように修練するらしい…。
僕の場合…一族から離れて育ったために思うように修練ができなかった…。
相庭は懸命に指導してくれたんだが…環境的に無理があって…。
それに…御使者になる前の僕は自分が裁きの一族の主流の子だなんて知らなかったし…そういう家門があることさえ信じてなかった…。
祖父や養父が僕を利用するのは…どこか大きな一族の血を引くからだとは思っていたけど…。
正体も明かさずに懸命に僕を護り育ててくれた相庭に感謝しているよ…。
相庭が居なければ…僕はとうに壊れてたからね…。
子供の頃は相庭が…少し成長してからは恭介がずっと僕の抑制装置だったんだ…。
だから…恭介を失うことは…僕にとっては最大の恐怖…。
歯止めの効かなくなった僕が周りに及ぼす被害を考えると…震えが来るくらい…。
お伽さまも…いざという時には宗主の抑え役を務めるらしいよ…。
宗主は僕よりはるかに歯止めが効くので、宥め役に近いということだけど…。」
宥め役…お伽さまは…宗主のいい人ってだけじゃなかったんだ…。
ノエルは子供たちの方へ目を向けた。
「この子たちは兄弟で…大きな荷を背負うことになるんだね…。
なんか…可哀想…。 」
そうだな…と西沢は切なげに頷いた。
「すべては…僕のせい…だよ…。
僕が望まなければ…この子たちも生まれてはこなかったんだ…。
きみももっと自由に生きられたのにな…。
でもね…ノエル…僕はこの子たちに会えて本当に嬉しかった…。
きみのお蔭で…やっと本物の家族を得られて…最高に幸せ…。 」
幸せ…と…どんな時でも西沢は言う…。
もしかすると…そう自分自身に言い聞かせているだけなのかもしれない…。
壊れてしまわないように無意識に暗示をかける…僕は幸せだよ…と…。
「紫苑さん…なんでもかんでも自分のせいにしちゃだめ…。
紫苑さんの傍に居たいと願ったのは僕の方でしょ…。
赤ちゃん…産むって決めたのも僕自身なんだからね…。 」
ノエルの言葉に…西沢はまた微笑んだ…。
大人になったノエル…出会った頃のノエルはもう…どこにも居ない…。
忘れかけていた悲しみが再び心に甦って…西沢の顔を曇らせた…。
「いつか…きみが居なくなる日が来る…。
ずっと…そう思っていた…。 覚悟も決めてた…。
その日が来たら僕は笑って…ここからきみを送り出してあげるつもりだった…。
きみが幸せになれるように…。
でも今は…その日が来ないことを祈ってる…。
子供たちのため…なんて言わない…。 僕のために…。 」
僕の我がままだけどね…と西沢は自嘲した…。
ノエルはにっこり笑ってそっと西沢に身を寄せた…。
「まだそんなこと言ってる…。 困った人だなぁ…。
ずっと傍に居るって…約束したでしょ…。 」
何処へも行かない…。 だって…考えられない…。
紫苑さんの居ないところだなんて…。
「僕は十分幸せだよ…紫苑さん。
ここに居れば…僕は誰にも嘘をつかないで済む…。
紫苑さんは僕のこと心から大切にしてくれてるし…有り難いと思ってる。
たとえ…紫苑さんにとって…僕が一番の存在じゃないとしても…。 」
そう…それは最初から分かってはいた…。
当の本人が気付いていないだけで…。
いつもそう…誰に対しても…紫苑さんは鈍感だよ…。
「大丈夫…そんな日は来ないよ…。
でも…浮気だけは覚悟しておいてね…。 お互いさまだけど…。 」
西沢は噴出した…。
笑いながらノエルを抱きしめた…。
分かった…。
もう…考えないようにするよ…。
耳元で囁く声が温かくノエルを包んだ…。
仲根がその店に到着したのは約束の時間を少しだけ過ぎた頃だった…。
店の駐車場から急いで駆けて来たので…扉の内側に入った時…すぐには言葉が出ないほどだった…。
季節の花がさり気なく飾られた落ち着いた雰囲気のコンパートメントで、西沢は仲根が現われるのを待っていた…。
仲根の姿を見ると…あの人懐っこい笑みを浮かべた…。
またまたまた…兄貴…そのにっこり…たまらんぜぇ…。
「お待たせしました…。 」
そう言って仲根は頭を下げた。
「どうぞ…掛けて…。 御免ね…忙しいとこ呼び出したりして…。 」
なに…構いませんよ…と言いながら仲根は西沢の向かいの席に腰を下ろした。
店主が仲根のお茶と…頼んであったコースのお通しを運んできた…。
相庭家の経営するこの店は和洋折衷の創作会席料理を売り物にしていて…肩の凝らない客の持て成しなどに利用する人が多い…。
お飲み物はどうなさいますか…と店主が訊ねた…。
西沢が好きなものを…と勧めるのを…仲根は下戸なので…と辞した…。
仲根がいける口なのは知っていたが、まだ仕事があるのだろうと西沢は察した…。
「恭介が…写真を撮るんだ…。 」
店主が行ってしまうと…前置きもなしに西沢が話し出した。
「滝川先生が…? だって…まだ…眼が…。 」
驚いたように仲根は言った。
「そう…見えてないわけじゃないけど…MRI画像でも見ているような状態…。
とてもひとりで撮影は無理…。
若いスタッフと組んで…より巧く撮影する訓練を始めた…。
集めたデータを頼りに…本番を…という計画なんだが…そんなに簡単にいくものじゃない…。 」
西沢はフーッと溜息をついた…。
「データ…ですかぁ…。
在り来たりの写真なら撮れるでしょうが…先生級の作品となると…難しいですね。
で…俺に何を…? 」
仲根は窺うように西沢を見た…。
「きみは見たままをストレートに人に伝えることができる…。
瞬間的に的確に…。
恭介が被写体を見る時の…眼になって貰えないだろうか…?
データに頼るよりはずっと生きた写真が撮れるはずだから…。 」
滝川先生の眼に…ですか…?
西沢の申し出に仲根は戸惑った…。
できないことは…ないかもしれないけど…。
「これは…治療の一環でもあるんだ…。
きみが恭介に送る像が刺激となって…能力のスイッチが切り替わってくれるんじゃないかと…僕は考えているんだが…。 」
時間のある時だけでいいんだ…訓練段階から協力して貰えないだろうか…。
勝手なお願いで…申しわけないんだけど…と西沢は遠慮がちに言った…。
相変わらず…控えめな人だなぁ…。
特使の権限を以って命令すればいいのに…と仲根は思った…。
滝川の治療については協力を惜しむな…と宗主からも通達が回っている…。
西沢が仲根を使うにあたっては…遠慮する必要など何処にもないのだ…。
「分かりました…。 大原室長と相談して…滝川先生とも時間を合わせます…。
俺にできるだけの協力はさせて頂きますから…。 」
仲根がそう返事をすると…安堵したように西沢はまた微笑んだ…。
兄貴に…そんな顔されて断れるやつぁ居ないよ…。
う~ん…これでまたしばらくは兄貴とお仕事…何となく…ラッキー…。
仲根は内心ほくそ笑んだ…。
その頃…西沢の本家ではちょっとした騒ぎが起こっていた…。
西沢が土地を物色しているらしい…という情報が不動産屋を通じて養父祥の耳に入ったのだ…。
祥はすぐに息子たちを呼び寄せた…。
「そんなに心配要りませんよ…お父さん…。
子供が増えたから…あのマンションでは手狭になってきたのでしょう…。
紫苑が西沢家を出て行くなんて有り得ないことですよ…。 」
話を聞いて怜雄が笑った…。
「そんなに心配なら…いっそこちらで建ててやったらどうです…?
紫苑は何れ設計事務所か建築屋を訪ねるでしょうから…そちらに手を回して…紫苑の好みの家を建ててやればいいんですよ…。 」
手は…とうに回した…と祥は答えた…。
問題は紫苑がすんなりこちらの申し出を受けるかどうか…ということだ…。
「お父さん…あのマンションを僕の新居にするから…という理由を付けて新しい家に移らせたらどうです…? 」
思いついたように英武が言った。
英武は来年…ようやく千春と式を挙げることになっていて…新居を選んでいる最中だった…。
「新築マンションを買おうと思っていましたが…あの部屋なら環境も設備も十分ですし…なんと言っても勝手が分かっていますからね…。 」
それはいいかもしれん…。
それなら…紫苑も断りきれまい…。
祥は満足げに頷いた。
西沢が木之内家に戻るようなことがあれば、祥としては養父の面目をなくすことになる。
そればかりか…族長会や連携組織に於ける西沢本家の信用問題にも関わってくる。
孫の吾蘭が木之内家を継ぐのは仕方ないとしても…西沢だけはなんとしても手放すことはできなかった…。
西沢のスケジュール表の中に…急遽加えられた幾つもの新しいスケジュールを確認しながら…玲人はあれこれ予定を算段していた…。
「実は…紅村先生からちょっとした申し出があったんだよ…。
仲間内でコラボ作品展やらないかって…。 」
突然…西沢がそんなことを言い出したので…玲人は睨んでいたスケジュール表から顔をあげた…。
「コラボって…作品持ち寄りで開くってことか…?
聞いてねぇぞ…そんな話…。 」
繋ぎ屋玲人は訝しげに訊ねた…。
西沢の仲間内…と言えば…写真家の恭介を初め…華道家の紅村旭…作家の花木桂…イラストレーターの田辺…画家の須藤…ディレクターの金井…宝飾彫金の輝…等々。
「職種が多過ぎて煩雑だなぁ…。 どうまとめるんだよ…。 」
エージェントの自分が知らないうちに…紅村が直に仕事の話を持ち込んだのは少々気に入らなかった…。
玲人の父親…相庭の時には紅村も相庭にかけあっていたのに…。
「たまたま…食事の席で出た話だ…。
恭介が治ったら…ってことで…。
まだ…恭介が写真を撮ることは話してないんだけどね…。 」
まとめるのは金井の得意分野だろう…?
そう言って西沢は笑った…。
何にしても…恭介が復活しないことにはなぁ…。
「共同作品を作り上げるんだそうだ…。 それぞれの担当を決めて…。
夢みたいな話だけど…案外…面白いかもな…。 」
楽しげに話す西沢を尻目に…玲人は肩を竦めた。
紅村の持って来た話じゃ…まず…儲けはないな…。
スケジュール表に目を戻しながら…フッと諦めたような溜息を吐いた…。
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