徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

徳川美術館夏季特別展「徳川慶勝」にて

2013-09-16 22:03:50 | ひとりごと
 数日前の涼しげな風は何処へやら…本当に秋かっ!…ってぇ暑さの中…第四回UMA観光イベント開催…。 
今回のコースは…徳川美術館にて「徳川慶勝展」鑑賞と徳川園での日本庭園撮影会…。

猛暑に負けてしばらく鳴りを潜めていたUMAの会…13日金曜日仏滅…活動再開ですっ!

(怖っ!)

なんか言ったか~っ? 
 

 まずは…「徳川慶勝」…歿後130年記念特別展…。
館内は撮影禁止なので建物の外観画像しかありません…。  

こちらは徳川美術館…。

        

こちらが蓬左文庫…。

        

        

 蓬左とは名古屋の別名です。
熱田の宮を蓬莱の宮と呼ぶところから、蓬莱の宮の左に開けた町ということで蓬左…。
中国における仙人の住む蓬莱山が熱田の宮にあたるという言い伝えがあるのだそうです。


 さて…この蓬左文庫の展示室で開催されているのが今回の「徳川慶勝」の歿後130年記念特別展…。
徳川美術館の展示会には過去二度訪れていますが、正直、写真以外の展示物にはそれほど期待していませんでした。

 勿論、個人的には前々から、写真家大名としての徳川慶勝に興味がありました。
機会があれば、是非にもその為人や業績に触れてみたいとも、ずっと思っていましたしね。

 しかし、歴史的な人物としては世間一般にはあまり知られていない慶勝のこと、博物館のちょっとした催しのように目玉となる展示物以外はさらっと流せるようなものだろうと考えていました…。

 ところがどっこい…三度目の正直というか…今回ばかりはすごかった。
展示されている展示物の多さや規模にも驚かされたけれど、それ以上に、展示物の質の高さ、徳川慶勝という存在の大きさに唸るばかり…。
徳川美術館が如何にこの記念特別展に力を注いだかが窺い知れます。

素晴らしかったっ!


        (徳川園の橋から下がる朝顔の蔓)


 徳川慶勝は尾張藩の14代・17代藩主です。
慶勝が藩主になるまで、尾張藩では4代続いて将軍家周辺からの押し付け養子が藩主となっていました。
中には…藩主でありながら一度も尾張に来たことがない…なんてのもいたそうです。
藩を顧みない藩主では、当然、藩士の士気に影響します。
それ故、尾張藩の支藩である美濃高須藩藩主の次男慶勝が藩主になることは、藩士たちの切望でもあったわけです。

 しかし、井伊直弼との日米修好通商条約を巡り対立したため隠居謹慎させられ、弟の茂徳が15代目藩主を継ぎます。
桜田門外の変で井伊直弼が殺害された後、茂徳が隠居すると慶勝の三男義宜が僅か6歳で16代目となりますが、幼い藩主故に実質は慶勝が実権を握っていたようです。
18歳で義宜が夭折すると慶勝が再び17代目藩主を継承しました。

 此処は歴史ブログではないので、慶勝の歴史的功績を長々述べるのは控えますが、幕末においては有能な藩主であり、維新を経て明治に至る激動の時代においては優れた政治家のひとりであったと考えています。
美術館のパンフレットのキャッチコピーそのもの、まさに…慶勝なくして維新なし…う~ん良い響きだね。

もっと歴史上の人物としてスポットライトを浴びてもいいのにな~。


             (徳川園の萩棚)
    

 慶勝はまた、非常に多彩な分野において才能を発揮した文化人でもありました。
書や絵画などはまあ当時の大名の嗜みとしても、彫刻を施した調度品を作ったり、昆虫採集や植物採集をして標本まで作っています。

 遠征に行った先の宿舎などの間取り図を、簡易ではあるけれど飛び出す絵本のような仕組みにして覚書に貼り付けておいたり、折り畳み式の本物の茶室を実際に作ったりするなど、この時代には珍しい三次元思考、建築に興味があったと思われます。

 写真に至っては、単に撮影するだけでなく、写真機の構造を研究し、必要な薬剤まで自ら調合。
当時のカメラといえばたった一枚撮影するだけでも相当な時間を要するのに、同じ位置から角度を変えて数枚撮り、組み合わせてパノラマ写真を作り…。
しかし…一枚の写真でさえ珍しい時代にパノラマ写真を作ろうという発想がすごいね…。
普通の写真の枚数、展示してあっただけでも展示会ができそうな枚数だし…しかも…鮮明…撮影の技術も相当なもの…。
Webで調べたところでは慶勝の撮った写真は1000点近くあるそうです。
徒歩か馬以外交通手段のほとんどない時代に、広島など遠征先にまで写真機を運んで撮影しています。
何もかもが変わって古いものが消えた現代においては、これらはすべて貴重な記録写真です。


 そうそう…これは慶勝の性格の一面と言えるかどうか分かりませんが、藩の財政を立て直すために尽力した藩主らしく、自分の私的な出費はきちんと御手許金から出していたようで、きちんと出納記録を残しています。
写真に使う薬剤など、何に幾らなどと、几帳面に事細かにつけられてあります。

殿さまがつけた小遣い帳…そう思うとなんだか微笑ましい…。

 盛り沢山で上質な特別展においら大満足でしたっ!
出来ればもう一度行きたい…行けそうにはないですけど…。

 

 
 さて…時間に追われてメニュー選択の余地のなかった昼食後…。
徳川美術館に隣接する日本庭園「徳川園」での撮影会…。

徳川園では季節ごとにいろいろな花を観賞できます。


              


              


 流れ落ちる大曽根の滝…落差6m三段…岩を下る清流…。
自然を模して作られたものですが、ここだけはひんやり涼しく過ごせます。


        

川岸に繁っているフッキソウ(富貴草)…常緑の葉が繁る様子は繁栄を表すそうです。


              

池の端の藪辺りに咲いていたホトトギス(杜鵑草)…。


        

園内のあちらこちらの繁みなどに見られるヤブミョウガ(藪茗荷)…。


              

池の端の草地にぽつんと咲いていたツルボ(蔓簿)…参内傘(公家が参内する時に従者がさしかけた傘)ともいう。


              

蓮…名前は分かりませんが蓮でしょうね。


        

水琴窟…です…。
手前の円筒形のものが置いてある位置に近づくと、地下から微かですが、水滴の滴る涼やかな音が響いていました。


        


        


        

 この三枚は春に行った時に撮っておいた園内の池と人工川の様子です。
季節的に、現在はもっと草木が繁っています。
色彩は今の季節に合わせてあります。
春はもう少し淡い緑…。
園内の様子を御紹介する為に今回の画像に加えました。

 牡丹がたくさんあったから、開花の季節にもう一度行くのも良いかな…。
あれだけたくさんの株があれば、きっと見ごたえがあるだろう…。

 さて…今回のUMA観光は如何でしたでしょうか…?
支那門天さん、妖美女さん、この暑い中、おいらの個人的な趣味に長時間御付き合いくださいまして有難うございました。
また、妖美女さんには車を出して頂き、本当に御面倒をおかけしました。
御蔭で楽させて頂きました。


 またそのうちに、近い・安い・美味しい・楽しいを探しに出かけましょうっ!
これに懲りず御付き合いくださいまし~。