朝から何度も顔を合わせたが、透も雅人も隆平もそして晃に至るまで唐島とはあの話をしなかった。唐島も聞きたい気持ちを抑えているのか話かけてこなかった。
全く普段と変わりない1日が始まり、そして終わった。
史朗の忠告を守って、唐島はできるだけひとりにはならないように努めた。
ひとりになれば必ずまた河原先生に逢うことになる。先生だけならともかく御伴している連中が怖ろしい。
特別な力を持たない唐島はとにかく自衛策に出るしかなかった。
雅人を始め四人組は午後の授業を早引けし、紫峰家の迎えの車に乗ってそのまま紫峰家の祈祷所に向かった。
祈祷所の修練場では修と木田彰久が待っていた。
死霊との戦いでは鬼面川が最もその力を発揮する。
祭祀能力に優れた史朗とは違って自らに霊力を持つ彰久から紫峰や藤宮の者でも使えそうな業を少しだけ伝授してもらうことになっていた。
四人は丁寧に彰久に挨拶をした。礼儀には厳しい人だと聞いている。
「修さんにご指導頂ければ…僕などが偉そうにしゃしゃり出るようなことではないのですが、修さんが是非にと申されまして…。」
彰久は何処までも丁寧な人だった。
「死霊などを扱う場合にはわざわざ憑依させて対処する場合もありますが…これは皆さんには危険度が高いのでやめておきます。
隆平くん…きみには少し心得があるので手本になってもらいましょう。
先ず気を付けなければならないことは、間違っても自分が取り付かれないようにすること…。 」
紫峰の修練で習ったことはほとんど生きている人間の魂に関することなので、死霊相手では逆効果になったりするということを彰久から教わり、雅人も透も今更ながらにぞっとした。
あのまま戦っていたらとんでもないことになったかもしれない。
修が絶対手を出してはならないと釘を刺したわけが分かった。
丁寧で穏やかな態度とは裏腹に彰久は修練に関しては厳しい人で、初歩の簡単な業を教わっただけなのに、終了した時には四人ともふらふらだった。
「皆さんはある程度力を持った方ばかりですから、この程度で一応は身を護ることくらいはできますでしょう。
今回の場合、皆さんのお仕事は戦うことではないようですので護身を中心に講義致しました。 」
彰久はにこやかに終了を告げた。
四人はまた丁寧にお礼の言葉を述べた。
「それにしても、生霊と死霊のごっちゃまぜとは奇怪ですね。
史朗くんなら巧く引き離すでしょう。若いけれどあの人の祭祀は確かです。」
彰久は修にそう語った。
彰久とていま30代に入ったばかり、修などさらに幾つか年下でありながら史朗のことを若いというのは、彰久の前世鬼面川将平の亡くなった齢がかなりの高齢だったからである。
修、彰久、史朗には千年前の記憶が残っていて、時々会話がタイムスリップしたりするので、聞いているほうは戸惑うことが往々にしてあった。
「僕もそう思います。 あなたの祭祀も絶品ですが…。 」
修は彰久に惜しみない賛美を送った。彰久は上品に目を細めた。
「修さん…。 あなたは器用だから紫峰でありながら、藤宮の力も、鬼面川の力もある程度はお使いになれます。
今回はどうして他人任せになさるのですか? 」
彰久は率直に問うた。
「それは彰久さん。 餅は餅屋の例えありでしょう。 」
そう言って修は笑みを浮かべた。なるほど…と彰久も微笑み返した。
彰久はそれ以上のことは聞こうとしなかった。
修が言わないこと言いたくないことは彰久にとっては聞かなくていいことだ。
親友の在り方は人それぞれだが、修は彰久のそういう割り切ったところが特に気に入っていた。
わざわざ講義に来てもらった彰久を鄭重にもてなした後、修は西野に命じて自宅まで送り届けさせた。
高校生にもなった男の子が四人も部屋でごろごろしていると、紫峰家の居間であっても結構狭く感じられる。足の踏み場もない。
まさにゾウアザラシのハレムだな…と修は笑った。
いま四人は宿題や今日休んだ分の受験塾の課題と戦っている最中なのだが、敵は滅茶苦茶手強そうだった。
「そう言えば…さっき彰久さんが言ってたけど…修さんて藤宮や鬼面川の力まで使えるんですか? 」
晃が急に思い出したように訊いた。皆の目がいっせいに修のほうに向けられた。
「少しだけね…。 紫峰は藤宮とは昔から時々婚姻関係を結んでいたからね。
当然、藤宮の血は僕の中にもあるだろうね。
鬼面川に学んだのは…はるか千年も前のことさ。だから彰久さんが言うほど使いこなせているわけじゃないよ。
祭祀の所作や文言なんて僕にはまったく分からないし…。
だから僕は傍観を決め込むつもりだ。 」
修はそう答えた。
「おまえたちだって今回は戦うわけじゃない。
外部との接触を完全に絶つための壁になってもらうだけだからね。
内ふたり外ふたり…分担を決めておいてくれ。 」
二人組ね…四人は互いに顔を見合わせた。
「面倒だから同じクラス同士でいいよ。 僕と透で外。 隆平と晃で内。
そんなんでどう? 」
雅人がそう言うと三人も異議なしと答えた。
はるがみんなのために夜食を運んでくると子どもたちはハイエナのように群がった。軽く夕食をとったとはいえ、実質八時間に及ぶ特別修練であっという間に吸収されてしまっていた。
子どもたちの勢いに押されてはるは大至急追加を用意するために台所へ走った。
その食べっぷりに感心しながら自らは夜食を断り、修はひとり部屋に戻った。
携帯のその番号を選択するだけで修は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
いっそメールで済まそうかとも思ったがこの間のことがあるから悪戯と勘違いされても困る。
数回の呼び出し音の後、唐島の返事をする声が聞こえた。
「修です…。 今…よろしいですか? 」
『修くん…この間は見舞って下さって有難う…。お蔭で助かりました…。 』
唐島の嬉しそうな声が返ってきた。
「用件だけ申し上げます。
今週土曜日の夕刻6時に理事長室へ来て頂けますか?
その頃なら部活動なども終了していると思いますが…。 」
修は淡々と用件を述べた。
『理事長室…? なぜ…? 』
唐島は訝しげに訊ねた。
「河原先生の件で…。 」
『…。』
唐島の声が一瞬途絶えた。修には唐島の心の中にある恐怖が読めた。
「遼くん…? 」
『ごめん…修くん…虫のいいお願いなんだけど…少し話していて…。
僕の声…聞きたくないのは分かってるから…僕黙ってるから…。
何でもいいんだ…一分でもいい…。 』
未知の恐怖に怯えている唐島の姿が浮かんだ。
あの部屋でひとりで…生霊と死霊の迫り来る恐怖に耐えている。
気が狂いそうになるほど怖いのに…誰にも言えない…。
「遼くん…そこにいれば安心だから…。あいつらはまだそこへはやってこない。
ちゃんと眠るんだよ。 眠らないとまた倒れてしまうよ。
大丈夫…護っているから…僕が護っているから…。
遼くん…ひとりじゃないよ…。 」
言ってしまってから修は自分が口にした言葉に驚いた。
携帯の向こうで唐島の押し殺したような泣き声が聞こえた。
『有難う…有難う…修くん。』
携帯は修ではなく唐島のほうから切れた。
「お人好し…。」
扉の前で雅人が言った。
雅人ははるに頼まれて修に飲み物を運んできたところだった。
それを机の上に置くと不満げに唇を尖らせて修と向き合った。
「どうして? どうしていつもそんななのさ? ほっとけばいいじゃん。
取っ付かれようが殺されようがあなたに関係ないじゃないさ。
どれほど酷い目に遭わされたか忘れたわけじゃないでしょ…。 」
雅人の目が潤んでいた。修は悲しい笑みを浮かべた。
「もう…いらいらするよ。 見ててつらくなるよ…。 」
雅人は大きな身体で修の首に抱きついた。
修は受け止めたが雅人の重量のせいで仰向けに倒れこんだ。
「重いぞ…雅人…。 子どもみたいに…。 」
「子どもだもん…。」
雅人の頭を撫でてやりながら修は言った。
「なんかさ…ほっとけない性質なんだよね…。
自分でもあほかと思うようなこともあるけど。
やっぱり…ほっとけないんだ。 」
雅人は溜息をついた。
いいよもう…それで…。僕がちゃんと見ていてあげる。
あなたが傷つくことのないように…僕がホローしていくよ。
ふと史朗の顔が目に浮かんだ。
あの人も…きっとそうするだろう。
笙子さんや黒ちゃんやあなたを愛するすべての人があなたを護るよ。
あなたはもうひとりじゃない。
ひとりじゃ…ないよ。
次回へ
全く普段と変わりない1日が始まり、そして終わった。
史朗の忠告を守って、唐島はできるだけひとりにはならないように努めた。
ひとりになれば必ずまた河原先生に逢うことになる。先生だけならともかく御伴している連中が怖ろしい。
特別な力を持たない唐島はとにかく自衛策に出るしかなかった。
雅人を始め四人組は午後の授業を早引けし、紫峰家の迎えの車に乗ってそのまま紫峰家の祈祷所に向かった。
祈祷所の修練場では修と木田彰久が待っていた。
死霊との戦いでは鬼面川が最もその力を発揮する。
祭祀能力に優れた史朗とは違って自らに霊力を持つ彰久から紫峰や藤宮の者でも使えそうな業を少しだけ伝授してもらうことになっていた。
四人は丁寧に彰久に挨拶をした。礼儀には厳しい人だと聞いている。
「修さんにご指導頂ければ…僕などが偉そうにしゃしゃり出るようなことではないのですが、修さんが是非にと申されまして…。」
彰久は何処までも丁寧な人だった。
「死霊などを扱う場合にはわざわざ憑依させて対処する場合もありますが…これは皆さんには危険度が高いのでやめておきます。
隆平くん…きみには少し心得があるので手本になってもらいましょう。
先ず気を付けなければならないことは、間違っても自分が取り付かれないようにすること…。 」
紫峰の修練で習ったことはほとんど生きている人間の魂に関することなので、死霊相手では逆効果になったりするということを彰久から教わり、雅人も透も今更ながらにぞっとした。
あのまま戦っていたらとんでもないことになったかもしれない。
修が絶対手を出してはならないと釘を刺したわけが分かった。
丁寧で穏やかな態度とは裏腹に彰久は修練に関しては厳しい人で、初歩の簡単な業を教わっただけなのに、終了した時には四人ともふらふらだった。
「皆さんはある程度力を持った方ばかりですから、この程度で一応は身を護ることくらいはできますでしょう。
今回の場合、皆さんのお仕事は戦うことではないようですので護身を中心に講義致しました。 」
彰久はにこやかに終了を告げた。
四人はまた丁寧にお礼の言葉を述べた。
「それにしても、生霊と死霊のごっちゃまぜとは奇怪ですね。
史朗くんなら巧く引き離すでしょう。若いけれどあの人の祭祀は確かです。」
彰久は修にそう語った。
彰久とていま30代に入ったばかり、修などさらに幾つか年下でありながら史朗のことを若いというのは、彰久の前世鬼面川将平の亡くなった齢がかなりの高齢だったからである。
修、彰久、史朗には千年前の記憶が残っていて、時々会話がタイムスリップしたりするので、聞いているほうは戸惑うことが往々にしてあった。
「僕もそう思います。 あなたの祭祀も絶品ですが…。 」
修は彰久に惜しみない賛美を送った。彰久は上品に目を細めた。
「修さん…。 あなたは器用だから紫峰でありながら、藤宮の力も、鬼面川の力もある程度はお使いになれます。
今回はどうして他人任せになさるのですか? 」
彰久は率直に問うた。
「それは彰久さん。 餅は餅屋の例えありでしょう。 」
そう言って修は笑みを浮かべた。なるほど…と彰久も微笑み返した。
彰久はそれ以上のことは聞こうとしなかった。
修が言わないこと言いたくないことは彰久にとっては聞かなくていいことだ。
親友の在り方は人それぞれだが、修は彰久のそういう割り切ったところが特に気に入っていた。
わざわざ講義に来てもらった彰久を鄭重にもてなした後、修は西野に命じて自宅まで送り届けさせた。
高校生にもなった男の子が四人も部屋でごろごろしていると、紫峰家の居間であっても結構狭く感じられる。足の踏み場もない。
まさにゾウアザラシのハレムだな…と修は笑った。
いま四人は宿題や今日休んだ分の受験塾の課題と戦っている最中なのだが、敵は滅茶苦茶手強そうだった。
「そう言えば…さっき彰久さんが言ってたけど…修さんて藤宮や鬼面川の力まで使えるんですか? 」
晃が急に思い出したように訊いた。皆の目がいっせいに修のほうに向けられた。
「少しだけね…。 紫峰は藤宮とは昔から時々婚姻関係を結んでいたからね。
当然、藤宮の血は僕の中にもあるだろうね。
鬼面川に学んだのは…はるか千年も前のことさ。だから彰久さんが言うほど使いこなせているわけじゃないよ。
祭祀の所作や文言なんて僕にはまったく分からないし…。
だから僕は傍観を決め込むつもりだ。 」
修はそう答えた。
「おまえたちだって今回は戦うわけじゃない。
外部との接触を完全に絶つための壁になってもらうだけだからね。
内ふたり外ふたり…分担を決めておいてくれ。 」
二人組ね…四人は互いに顔を見合わせた。
「面倒だから同じクラス同士でいいよ。 僕と透で外。 隆平と晃で内。
そんなんでどう? 」
雅人がそう言うと三人も異議なしと答えた。
はるがみんなのために夜食を運んでくると子どもたちはハイエナのように群がった。軽く夕食をとったとはいえ、実質八時間に及ぶ特別修練であっという間に吸収されてしまっていた。
子どもたちの勢いに押されてはるは大至急追加を用意するために台所へ走った。
その食べっぷりに感心しながら自らは夜食を断り、修はひとり部屋に戻った。
携帯のその番号を選択するだけで修は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
いっそメールで済まそうかとも思ったがこの間のことがあるから悪戯と勘違いされても困る。
数回の呼び出し音の後、唐島の返事をする声が聞こえた。
「修です…。 今…よろしいですか? 」
『修くん…この間は見舞って下さって有難う…。お蔭で助かりました…。 』
唐島の嬉しそうな声が返ってきた。
「用件だけ申し上げます。
今週土曜日の夕刻6時に理事長室へ来て頂けますか?
その頃なら部活動なども終了していると思いますが…。 」
修は淡々と用件を述べた。
『理事長室…? なぜ…? 』
唐島は訝しげに訊ねた。
「河原先生の件で…。 」
『…。』
唐島の声が一瞬途絶えた。修には唐島の心の中にある恐怖が読めた。
「遼くん…? 」
『ごめん…修くん…虫のいいお願いなんだけど…少し話していて…。
僕の声…聞きたくないのは分かってるから…僕黙ってるから…。
何でもいいんだ…一分でもいい…。 』
未知の恐怖に怯えている唐島の姿が浮かんだ。
あの部屋でひとりで…生霊と死霊の迫り来る恐怖に耐えている。
気が狂いそうになるほど怖いのに…誰にも言えない…。
「遼くん…そこにいれば安心だから…。あいつらはまだそこへはやってこない。
ちゃんと眠るんだよ。 眠らないとまた倒れてしまうよ。
大丈夫…護っているから…僕が護っているから…。
遼くん…ひとりじゃないよ…。 」
言ってしまってから修は自分が口にした言葉に驚いた。
携帯の向こうで唐島の押し殺したような泣き声が聞こえた。
『有難う…有難う…修くん。』
携帯は修ではなく唐島のほうから切れた。
「お人好し…。」
扉の前で雅人が言った。
雅人ははるに頼まれて修に飲み物を運んできたところだった。
それを机の上に置くと不満げに唇を尖らせて修と向き合った。
「どうして? どうしていつもそんななのさ? ほっとけばいいじゃん。
取っ付かれようが殺されようがあなたに関係ないじゃないさ。
どれほど酷い目に遭わされたか忘れたわけじゃないでしょ…。 」
雅人の目が潤んでいた。修は悲しい笑みを浮かべた。
「もう…いらいらするよ。 見ててつらくなるよ…。 」
雅人は大きな身体で修の首に抱きついた。
修は受け止めたが雅人の重量のせいで仰向けに倒れこんだ。
「重いぞ…雅人…。 子どもみたいに…。 」
「子どもだもん…。」
雅人の頭を撫でてやりながら修は言った。
「なんかさ…ほっとけない性質なんだよね…。
自分でもあほかと思うようなこともあるけど。
やっぱり…ほっとけないんだ。 」
雅人は溜息をついた。
いいよもう…それで…。僕がちゃんと見ていてあげる。
あなたが傷つくことのないように…僕がホローしていくよ。
ふと史朗の顔が目に浮かんだ。
あの人も…きっとそうするだろう。
笙子さんや黒ちゃんやあなたを愛するすべての人があなたを護るよ。
あなたはもうひとりじゃない。
ひとりじゃ…ないよ。
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