学園が主催した新任の先生の歓迎会の後で、唐島は同僚から二次会に誘われた。
学園近くの小さな居酒屋には何のことはない、いくつかのグループに分かれてはいるが、他の先生たちもそこに集まっていて、唐島たちが来ると手を振って歓迎してくれた。店はさながら第二職員室といった様相を呈していた。
一番奥の隅の席が空いていて、唐島たちはそこに落ち着いた。
「唐島さん。聞きましたよ。どしょっぱつから雅人にやられたそうですね。
あいつが無断で出て行くなんて珍しいことだと皆が不思議がっていますよ。」
志水という唐島より少し若く見える教師がお絞りを使いながら無遠慮に言った。
「そうなんですか…。」
唐島は気のない返事をした。
「よっぽど虫の居所が悪かったんでしょう。 気にしなくて大丈夫ですよ。 」
唐島がよほど落ち込んでいるように見えたのか、松木という年配の教師が慰めた。
「雅人ならいつもは言いたいことがあれば、はっきり言いますからね。
唐島さんが新任なんで雅人もどう話していいか分からなかったんでしょう。
でもまあ紫峰の子どもたちは素直で扱いやすい方です。
ちゃんと話せば理解してくれますし、頼みごとも快くやってくれますよ。 」
「そうですか…。 安心しました。」
心にもない相槌を打って唐島はその場をしのいだ。
「紫峰と言えば修が来てましたね。 」
志水が言った。
「修って…志水先生。 修くんをご存知で? 」
唐島は訊ねた。志水の目が輝いた。
「知るも知らんも僕は同期なんですよ。 大山先生もだ。 」
「僕が何…? 」
隣の席から大山と思しき教師が訊いた。
「修のことだよ。 紫峰修! 」
「ああ…修ね! それならここに居るほとんどの先生がご存知だろう。 」
にこにこと笑いながら大山が言った。
修か…修ね…笑い声とともにそんな声があちらこちらから上がった。
唐島は意外に思った。唐島の知っている修は小さくておとなしい少年で、とてもこんなふうに人に強烈な印象を与えるような子ではなかった。
「僕は小さい頃の修くんしか知らないんで…良かったら話して頂けますか。 」
唐島は志水に言った。志水は快く承諾した。
「通常、藤宮学園では小学部から入学する子がほとんどなんですが、紫峰の子どもたちは大抵、高等部から入学してきます。修もそうでした。 」
志水は修のことを話し始めた。
「入学してきた時の最初の印象はとにかく背が高い。 皆と同じ制服なのに何処かひとりだけ目立つんですよ。顔立ちが整っているせいもあるのでしょうが…。」
高等部から入学してきたにもかかわらず、目立つ修の容姿はあっという間に学校中に知れ渡り、良くも悪くも他人から目を付けられる存在になった。
目立つといってもアイドル系ではないし、どちらかといえば秀才タイプで下手をすれば鼻持ちならない男に見られかねないが、いつも穏やかでよく笑う修は先生受けも友達受けも好かった。
修の包み込むような笑みに出会うとこちらも思わず微笑んでしまいそうになる。
修なら許せると他人に感じさせるような魅力があった。
最初のひと月くらいは陽気で優しいイメージのまま何事もなく過ぎていったのだが、目立つ修をよく思わない者もいて、時が経つにつれ、何のかんのとちょっかいをかけてくるようになった。
始めのうちは笑って受け流していた修も相手が腕力にものを言わせてくるようになると、黙っているわけにもいかなくなってきた。
同級生の中での乱暴な連中が修を取り囲んだ時、危険を感じた志水が女子生徒に先生を呼んでくるように頼んだ。喧嘩に自信がない訳じゃないが、まだそんなに修を知らないこともあって、志水は物陰からそっと覗いていた。
なんだかんだ言い合っている最中に手の早い奴が修に一発かました。
それを合図に数人が修に向かって行こうとしたのだが、修の表情がガラッと変わったのを見て思わず引いた。
「一発は受けてやったからな。二発はねえぜ! 」
その後の修の暴れようったらなかった。先生が飛んできたって止まりゃしない。
先生の声なんて耳に入ってないようだった。すげえとその時志水は思った。
「修! ストップ! それ以上は病院行きよ! 」
笙子が声をかけてやっと止まらせた。先生を呼んできた女子生徒から急を聞いて駆けつけたのだ。
修が大暴れしたことはすぐに全校に知れ渡った。
ぼこされた相手が相手なので先生たちも全く問題にしていなかったが、クラスの皆は修に恐怖感を抱いた。
クラスメートが引き気味なのに、当の修はいつもどおり温和で陽気で全く変わらず、びびっていた友達たちも次第にまた打ち解けた。
二年生に宇佐という男がいた。不良という訳ではないがこれがまた荒っぽい奴で、三年生でさえ一目置いているような喧嘩っ早くて腕っ節の強い男だった。
男気が強くて二年の男子生徒には人気があった。
ふたりが出会ったのは、ちょうど修が二年生の暴れ者をぼこしている最中で、笙子がストップをかけた時だった。
「こら。 てめえ。 先輩に対して何ちゅうことしよんじゃ! 」
宇佐は修にそう言った。
「そっちが殴りかかってきたんだ。 不可抗力ってもんだぜ! 」
修はそう言って笑った。その時までは笙子が傍にいたが、もう勝手にして頂戴と言わんばかりに何処かへ行ってしまった。
「てめえ! 生意気こいてんじゃねえぞ! 」
宇佐が殴りかかると修は簡単に身を翻して避けてしまった。
だが、さすがに喧嘩好きだけのことはあって、すぐに体勢を立て直し、修に一発食らわした。
「へえ…。 ちょっとは骨があるんだ。 今のは効いたぜ。 」
お返しとばかりに修も1~2発かました。おお…こいついけるじゃんと宇佐は思った。久々のヒットだぜ!
途端、修が構えるのをやめた。宇佐は訝しげに修を見た。
「腹が減った。 飯喰いに行こうぜ。 」
突然修が言い出した。宇佐は唖然とした。
何考えてんだこいつ…喧嘩の真っ最中に飯はないだろう。飯は…。
「なあ…学食行こうぜ。 」
「てめえ…俺を馬鹿にしてんのか? 」
宇佐は不服そうな声で訊いた。
「馬鹿になんかしてないけど。 おまえ…ぜんぜん敵意ないじゃん。
敵意のない奴、殴る気がしないもん。 」
宇佐はあっと思った。喧嘩好きなだけで宇佐は修にどうこうという悪感情を持っていたわけではない。修はそれを感じ取ったのだ。
「そっか…。 そんじゃ飯食いに行くか…。 」
何となくそんな雰囲気になってしまった。
ふたり仲良く学食に向かう姿は、傍から見ると信じられないような光景だった。
「まったく…こんな時間にあんたたち授業は大丈夫なのかい? 」
食堂のおばちゃんがカレーをよそってくれながら訊いた。
「だっておばちゃん。 腹が減っては戦ができねえっていうじゃない。 」
修はご機嫌で答えた。
しょうがないねえ…という顔でおばちゃんは首を振った。
宇佐はマイペースな修にずるずると引きずられている自分を感じた。
すでに午後の始業の鐘は鳴っていて食堂はガラガラだった。
食堂のドアが開いて先生が顔を覗かせた時、さすがの宇佐もドキッとしたが、修はまるで意に介してないようだった。
「修! 飯食ったらすぐ教室へ来るんだぞ! 」
数学の河原先生がそう声をかけて出て行った。
「わっかりましたぁ! 」
修は美味そうにカレーをほおばりながら手を振って答えた。
こいつの心臓はどういう構造をしとるんだ…?
宇佐はただただ呆れかえって修を見つめていた。
二年生もやられたといううわさが三年生の耳に届いたのはその日のうちだった。しかも、授業をさぼってあの宇佐と仲良くカレーを食っていたというので、三年生だけでなく職員室の教師の間でもその話で持ちきりだった。
当時の藤宮の教師には、男子校だった昔ながらの蛮カラ気質が残っていて、女子生徒を迎え入れた後でもその気風はそこかしこに漂っていた。
喧嘩を正当化するわけではないが、命にかかわるようなことや陰湿な虐めでない限りほとんど問題にしなかった。ただの喧嘩は言い分を聞いてやってから両成敗で終わらせることが多かった。
親が代々藤宮の卒業生だという場合が多いので、あまり問題にする人がいなかったこともある。
三年生の猛者たちは意地でも負けられないと息巻いた。うわさでは三年生の男子生徒全員が打倒修に立ち上がったということだった。
その話を修は宇佐から聞いた。修は腹を抱えて笑った。
「馬鹿げてら! たったひとりに三年生全員? 男じゃないね。 」
「おまえ怖くないのかよ。 すげえ数なんだぜ。 」
宇佐は呆れ顔で訊いた。宇佐ほどの男でも三年生全員が相手となれば躊躇する。
それを修は笑い飛ばしている。
「なあ…おまえ…何でいつもひとりで喧嘩買ってんだ…?
おまえの学年にゃ他に骨のあるやつぁいないのかよ。 喧嘩できる奴は。 」
前々から訊こうと思っていたことを宇佐は訊いた。
志水はこの時もたまたま物陰に隠れてふたりの話を聞いていた。
大山も志水の妙な行動を見て近寄ってきたところだった。
「喧嘩強い奴もいるだろうけど…これは僕に売られた喧嘩だ。
その喧嘩にわざわざ友達を引っ張り込んで痛い目に遭わせるのかわいそうだろ。
大好きな人たちが痛い思いをするところなんて見たくないじゃないさ。
僕ひとりですむことなんだ…もし負けてどんな目に遭わされても。 」
修はそう言ってまた笑った。
三年生全員相手にひとりで向かうなんて馬鹿としか思えないけれど、こいつってすげえいい奴なんだ…と宇佐は思った。
物陰で秘かに志水と大山が感動していた。 男だぜ!
遠巻きにそれらを見ていた笙子は、まったく…救いようがないわね…と呟いた。
それから数日後には、運動場の真ん中にぽつんとひとりの修を取り囲むように三年生の男子が大勢集まっていた。
誰かの号令のもとに藤宮学園創立以来の大喧嘩が始まった。
修が何人かの三年生をぶっ飛ばしたあたりで周りから喚声があがった。
修も三年生も何事かと周りを見ると、志水、大山率いる一年男子と宇佐率いる二年男子が三年生と修を取り囲んでいた。
「修ひとり相手に三年生全員はないぜ! 俺たち一年男子は修に加勢する! 」
「おおよ! 卑怯者どもを蹴散らすぞ! 二年男子の心意気を見せろ! 」
修は驚きながらもちょっと嬉しかった。
三年生は少し臆したかに見えた。各学年入り乱れての大乱闘。
いかに三年生が強くても二つの学年が協力して攻撃してきたのでは敵わない。
修だけでも手を焼いていたというのに。
やがて、三年生は運動場の隅に追い詰められた。
「くっそ~! 俺らの負けだ~! どうとでもしやがれ~! 」
指揮を取っていた三年生が観念したように言った。
修は加勢してくれた皆の方に向き直ると深々と礼をした。
「みんなありがとう…本当に…ありがとう。 」
日頃偉そうに威張っている三年生をやっつけたことで一年も二年も胸がいっぱいになって修の方を見つめていた。
「この喧嘩…僕…めちゃ楽しかったぁ~!! 」
修の心から楽しそうな叫び声に、おお~っという歓声が上がった。
喧嘩が終わった頃を見計らって職員室から教師たちが何人も駆けつけてきた。
「まあ全学年集まって どえらい騒ぎを起こしよって。 誰じゃ首謀者は? 」
生徒指導部の先生が訊いた。誰も答えなかった。
「僕です。 僕が皆を集めました。 」
修は笑みを浮かべながら言った。
「修か…おまえじゃなかろう。 三年生の首謀者がおるはずじゃ。 」
「体育祭に男子全員でど派手なパフォーマンスやるんですけどね。
人数が多すぎて合戦ものになっちゃっただけで…。 」
先生は唖然として修の顔を見た。
三年生たちはもっと唖然とした。
「じゃ…先輩たちそういうことで…もう一度ど派手なパフォーマンス考えてみていただけますか? 」
修は背中に回した手で三年生に合図を送った。三年生はお互いに顔を見合わせていたが、指揮を取っていた少年が詰まりながら返事をした。
「あ…うん…任せてくれ。 いいものを考えておくから…。 」
修は頷いた。一、二年生にも合図をした。
「他の皆さんもいい案があれば…三年生の方へ。 」
「おお…そうだな。 皆…わかったな。 」
おお~っと返事が返ってきた。
嘘だとは分かってはいるものの、狙われた本人の修がそう言うのだから、先生としてもどうしようもなかった。
取り敢えず何か集会を開く時は届け出るようにと念を押して皆を解放した。
修は三年生に大きな貸しを作った。それ以後三年生はわりと修に協力的だった。
この喧嘩をきっかけに藤宮学園には修伝説が始まったのだった。
志水はそこまで話すとお絞りで顔を拭いた。
「いやあ…いろんなことがありましたよ。 その後もねえ。 ほんといろいろ。
とにかく冷や冷やさせられましたが三年間楽しかったです。
修といると退屈しませんでしたね。」
大山が隣の席で嬉しそうに頷いていた。
唐島の知らないあれからの修。できれば本人に会って確かめたかった。
傷ついたに違いないその心を本当に癒すことができたのか…。
君は本当にそれほど明るく生きてこられたのかと…。
次回へ
学園近くの小さな居酒屋には何のことはない、いくつかのグループに分かれてはいるが、他の先生たちもそこに集まっていて、唐島たちが来ると手を振って歓迎してくれた。店はさながら第二職員室といった様相を呈していた。
一番奥の隅の席が空いていて、唐島たちはそこに落ち着いた。
「唐島さん。聞きましたよ。どしょっぱつから雅人にやられたそうですね。
あいつが無断で出て行くなんて珍しいことだと皆が不思議がっていますよ。」
志水という唐島より少し若く見える教師がお絞りを使いながら無遠慮に言った。
「そうなんですか…。」
唐島は気のない返事をした。
「よっぽど虫の居所が悪かったんでしょう。 気にしなくて大丈夫ですよ。 」
唐島がよほど落ち込んでいるように見えたのか、松木という年配の教師が慰めた。
「雅人ならいつもは言いたいことがあれば、はっきり言いますからね。
唐島さんが新任なんで雅人もどう話していいか分からなかったんでしょう。
でもまあ紫峰の子どもたちは素直で扱いやすい方です。
ちゃんと話せば理解してくれますし、頼みごとも快くやってくれますよ。 」
「そうですか…。 安心しました。」
心にもない相槌を打って唐島はその場をしのいだ。
「紫峰と言えば修が来てましたね。 」
志水が言った。
「修って…志水先生。 修くんをご存知で? 」
唐島は訊ねた。志水の目が輝いた。
「知るも知らんも僕は同期なんですよ。 大山先生もだ。 」
「僕が何…? 」
隣の席から大山と思しき教師が訊いた。
「修のことだよ。 紫峰修! 」
「ああ…修ね! それならここに居るほとんどの先生がご存知だろう。 」
にこにこと笑いながら大山が言った。
修か…修ね…笑い声とともにそんな声があちらこちらから上がった。
唐島は意外に思った。唐島の知っている修は小さくておとなしい少年で、とてもこんなふうに人に強烈な印象を与えるような子ではなかった。
「僕は小さい頃の修くんしか知らないんで…良かったら話して頂けますか。 」
唐島は志水に言った。志水は快く承諾した。
「通常、藤宮学園では小学部から入学する子がほとんどなんですが、紫峰の子どもたちは大抵、高等部から入学してきます。修もそうでした。 」
志水は修のことを話し始めた。
「入学してきた時の最初の印象はとにかく背が高い。 皆と同じ制服なのに何処かひとりだけ目立つんですよ。顔立ちが整っているせいもあるのでしょうが…。」
高等部から入学してきたにもかかわらず、目立つ修の容姿はあっという間に学校中に知れ渡り、良くも悪くも他人から目を付けられる存在になった。
目立つといってもアイドル系ではないし、どちらかといえば秀才タイプで下手をすれば鼻持ちならない男に見られかねないが、いつも穏やかでよく笑う修は先生受けも友達受けも好かった。
修の包み込むような笑みに出会うとこちらも思わず微笑んでしまいそうになる。
修なら許せると他人に感じさせるような魅力があった。
最初のひと月くらいは陽気で優しいイメージのまま何事もなく過ぎていったのだが、目立つ修をよく思わない者もいて、時が経つにつれ、何のかんのとちょっかいをかけてくるようになった。
始めのうちは笑って受け流していた修も相手が腕力にものを言わせてくるようになると、黙っているわけにもいかなくなってきた。
同級生の中での乱暴な連中が修を取り囲んだ時、危険を感じた志水が女子生徒に先生を呼んでくるように頼んだ。喧嘩に自信がない訳じゃないが、まだそんなに修を知らないこともあって、志水は物陰からそっと覗いていた。
なんだかんだ言い合っている最中に手の早い奴が修に一発かました。
それを合図に数人が修に向かって行こうとしたのだが、修の表情がガラッと変わったのを見て思わず引いた。
「一発は受けてやったからな。二発はねえぜ! 」
その後の修の暴れようったらなかった。先生が飛んできたって止まりゃしない。
先生の声なんて耳に入ってないようだった。すげえとその時志水は思った。
「修! ストップ! それ以上は病院行きよ! 」
笙子が声をかけてやっと止まらせた。先生を呼んできた女子生徒から急を聞いて駆けつけたのだ。
修が大暴れしたことはすぐに全校に知れ渡った。
ぼこされた相手が相手なので先生たちも全く問題にしていなかったが、クラスの皆は修に恐怖感を抱いた。
クラスメートが引き気味なのに、当の修はいつもどおり温和で陽気で全く変わらず、びびっていた友達たちも次第にまた打ち解けた。
二年生に宇佐という男がいた。不良という訳ではないがこれがまた荒っぽい奴で、三年生でさえ一目置いているような喧嘩っ早くて腕っ節の強い男だった。
男気が強くて二年の男子生徒には人気があった。
ふたりが出会ったのは、ちょうど修が二年生の暴れ者をぼこしている最中で、笙子がストップをかけた時だった。
「こら。 てめえ。 先輩に対して何ちゅうことしよんじゃ! 」
宇佐は修にそう言った。
「そっちが殴りかかってきたんだ。 不可抗力ってもんだぜ! 」
修はそう言って笑った。その時までは笙子が傍にいたが、もう勝手にして頂戴と言わんばかりに何処かへ行ってしまった。
「てめえ! 生意気こいてんじゃねえぞ! 」
宇佐が殴りかかると修は簡単に身を翻して避けてしまった。
だが、さすがに喧嘩好きだけのことはあって、すぐに体勢を立て直し、修に一発食らわした。
「へえ…。 ちょっとは骨があるんだ。 今のは効いたぜ。 」
お返しとばかりに修も1~2発かました。おお…こいついけるじゃんと宇佐は思った。久々のヒットだぜ!
途端、修が構えるのをやめた。宇佐は訝しげに修を見た。
「腹が減った。 飯喰いに行こうぜ。 」
突然修が言い出した。宇佐は唖然とした。
何考えてんだこいつ…喧嘩の真っ最中に飯はないだろう。飯は…。
「なあ…学食行こうぜ。 」
「てめえ…俺を馬鹿にしてんのか? 」
宇佐は不服そうな声で訊いた。
「馬鹿になんかしてないけど。 おまえ…ぜんぜん敵意ないじゃん。
敵意のない奴、殴る気がしないもん。 」
宇佐はあっと思った。喧嘩好きなだけで宇佐は修にどうこうという悪感情を持っていたわけではない。修はそれを感じ取ったのだ。
「そっか…。 そんじゃ飯食いに行くか…。 」
何となくそんな雰囲気になってしまった。
ふたり仲良く学食に向かう姿は、傍から見ると信じられないような光景だった。
「まったく…こんな時間にあんたたち授業は大丈夫なのかい? 」
食堂のおばちゃんがカレーをよそってくれながら訊いた。
「だっておばちゃん。 腹が減っては戦ができねえっていうじゃない。 」
修はご機嫌で答えた。
しょうがないねえ…という顔でおばちゃんは首を振った。
宇佐はマイペースな修にずるずると引きずられている自分を感じた。
すでに午後の始業の鐘は鳴っていて食堂はガラガラだった。
食堂のドアが開いて先生が顔を覗かせた時、さすがの宇佐もドキッとしたが、修はまるで意に介してないようだった。
「修! 飯食ったらすぐ教室へ来るんだぞ! 」
数学の河原先生がそう声をかけて出て行った。
「わっかりましたぁ! 」
修は美味そうにカレーをほおばりながら手を振って答えた。
こいつの心臓はどういう構造をしとるんだ…?
宇佐はただただ呆れかえって修を見つめていた。
二年生もやられたといううわさが三年生の耳に届いたのはその日のうちだった。しかも、授業をさぼってあの宇佐と仲良くカレーを食っていたというので、三年生だけでなく職員室の教師の間でもその話で持ちきりだった。
当時の藤宮の教師には、男子校だった昔ながらの蛮カラ気質が残っていて、女子生徒を迎え入れた後でもその気風はそこかしこに漂っていた。
喧嘩を正当化するわけではないが、命にかかわるようなことや陰湿な虐めでない限りほとんど問題にしなかった。ただの喧嘩は言い分を聞いてやってから両成敗で終わらせることが多かった。
親が代々藤宮の卒業生だという場合が多いので、あまり問題にする人がいなかったこともある。
三年生の猛者たちは意地でも負けられないと息巻いた。うわさでは三年生の男子生徒全員が打倒修に立ち上がったということだった。
その話を修は宇佐から聞いた。修は腹を抱えて笑った。
「馬鹿げてら! たったひとりに三年生全員? 男じゃないね。 」
「おまえ怖くないのかよ。 すげえ数なんだぜ。 」
宇佐は呆れ顔で訊いた。宇佐ほどの男でも三年生全員が相手となれば躊躇する。
それを修は笑い飛ばしている。
「なあ…おまえ…何でいつもひとりで喧嘩買ってんだ…?
おまえの学年にゃ他に骨のあるやつぁいないのかよ。 喧嘩できる奴は。 」
前々から訊こうと思っていたことを宇佐は訊いた。
志水はこの時もたまたま物陰に隠れてふたりの話を聞いていた。
大山も志水の妙な行動を見て近寄ってきたところだった。
「喧嘩強い奴もいるだろうけど…これは僕に売られた喧嘩だ。
その喧嘩にわざわざ友達を引っ張り込んで痛い目に遭わせるのかわいそうだろ。
大好きな人たちが痛い思いをするところなんて見たくないじゃないさ。
僕ひとりですむことなんだ…もし負けてどんな目に遭わされても。 」
修はそう言ってまた笑った。
三年生全員相手にひとりで向かうなんて馬鹿としか思えないけれど、こいつってすげえいい奴なんだ…と宇佐は思った。
物陰で秘かに志水と大山が感動していた。 男だぜ!
遠巻きにそれらを見ていた笙子は、まったく…救いようがないわね…と呟いた。
それから数日後には、運動場の真ん中にぽつんとひとりの修を取り囲むように三年生の男子が大勢集まっていた。
誰かの号令のもとに藤宮学園創立以来の大喧嘩が始まった。
修が何人かの三年生をぶっ飛ばしたあたりで周りから喚声があがった。
修も三年生も何事かと周りを見ると、志水、大山率いる一年男子と宇佐率いる二年男子が三年生と修を取り囲んでいた。
「修ひとり相手に三年生全員はないぜ! 俺たち一年男子は修に加勢する! 」
「おおよ! 卑怯者どもを蹴散らすぞ! 二年男子の心意気を見せろ! 」
修は驚きながらもちょっと嬉しかった。
三年生は少し臆したかに見えた。各学年入り乱れての大乱闘。
いかに三年生が強くても二つの学年が協力して攻撃してきたのでは敵わない。
修だけでも手を焼いていたというのに。
やがて、三年生は運動場の隅に追い詰められた。
「くっそ~! 俺らの負けだ~! どうとでもしやがれ~! 」
指揮を取っていた三年生が観念したように言った。
修は加勢してくれた皆の方に向き直ると深々と礼をした。
「みんなありがとう…本当に…ありがとう。 」
日頃偉そうに威張っている三年生をやっつけたことで一年も二年も胸がいっぱいになって修の方を見つめていた。
「この喧嘩…僕…めちゃ楽しかったぁ~!! 」
修の心から楽しそうな叫び声に、おお~っという歓声が上がった。
喧嘩が終わった頃を見計らって職員室から教師たちが何人も駆けつけてきた。
「まあ全学年集まって どえらい騒ぎを起こしよって。 誰じゃ首謀者は? 」
生徒指導部の先生が訊いた。誰も答えなかった。
「僕です。 僕が皆を集めました。 」
修は笑みを浮かべながら言った。
「修か…おまえじゃなかろう。 三年生の首謀者がおるはずじゃ。 」
「体育祭に男子全員でど派手なパフォーマンスやるんですけどね。
人数が多すぎて合戦ものになっちゃっただけで…。 」
先生は唖然として修の顔を見た。
三年生たちはもっと唖然とした。
「じゃ…先輩たちそういうことで…もう一度ど派手なパフォーマンス考えてみていただけますか? 」
修は背中に回した手で三年生に合図を送った。三年生はお互いに顔を見合わせていたが、指揮を取っていた少年が詰まりながら返事をした。
「あ…うん…任せてくれ。 いいものを考えておくから…。 」
修は頷いた。一、二年生にも合図をした。
「他の皆さんもいい案があれば…三年生の方へ。 」
「おお…そうだな。 皆…わかったな。 」
おお~っと返事が返ってきた。
嘘だとは分かってはいるものの、狙われた本人の修がそう言うのだから、先生としてもどうしようもなかった。
取り敢えず何か集会を開く時は届け出るようにと念を押して皆を解放した。
修は三年生に大きな貸しを作った。それ以後三年生はわりと修に協力的だった。
この喧嘩をきっかけに藤宮学園には修伝説が始まったのだった。
志水はそこまで話すとお絞りで顔を拭いた。
「いやあ…いろんなことがありましたよ。 その後もねえ。 ほんといろいろ。
とにかく冷や冷やさせられましたが三年間楽しかったです。
修といると退屈しませんでしたね。」
大山が隣の席で嬉しそうに頷いていた。
唐島の知らないあれからの修。できれば本人に会って確かめたかった。
傷ついたに違いないその心を本当に癒すことができたのか…。
君は本当にそれほど明るく生きてこられたのかと…。
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