祐さんの散歩路 Ⅱ

日々の目についたことを、気ままに書いています。散歩路に咲く木々や花などの写真もフォトチャンネルに載せました。

・ 平和の翼(ピースイング)の輪

2014-07-12 00:53:49 | 政治
松坂市の山中光茂市長が、狂った政府の決断に対して提訴してく事を7月2日に発表しています。そして、国民の多くの人たちが参加していくために「ピースイング」の輪を広めようとしています。山中光茂氏のブログより転載します。

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世界に誇る「平和国家日本」を守るために
未来につなげる「平和への翼(ピースウイング)」の輪を広げる活動をみんなで進めていきましょう
!』


昨日から多くの皆様からメッセージをいただきました。
市役所へのファックス、メール、電話、そして、私のフェイスブックへのメッセージやコメントをあわせて、優に1000を超える「想いのこもった言葉」をいただきました。

「政治的意向」や「活動家」、「イデオロギー」に基づく内容ではまったくなく、そして、単なる政権批判でもなく、 多くのメッセージが「純粋に平和を希求する」「当たり前に平和のなかで生きる幸せを感じたい」そのような思いからのメッセージがほとんどであり、右翼でも左翼でもなく、「平和への翼」を次の世代に届けようとする「ピースウイング運動」にぜひ参加をしたい、という声もたくさんいただきました。

この活動の原点は、日本も世界もこれから平和であるために、
 「武力による抑止」による平和を求めるのではなく、
 「徹底した平和主義を貫くことによる抑止」により、
この国の平和と安全を守り、そして、唯一の被爆国でもある日本が世界に向けて半世紀以上にわたって「平和国家」として守ってきた国家としての誇りと信念を伝えていき、 世界全体の核廃絶への流れを先導し、平和を願う諸国に向けて、日本の歴史的な経験を踏まえた平和の素晴らしさを伝え続けていくことだと思います。

これからの世代を支えていく子どもたちに、
「世界には悪い国がたくさんいるから、日本も武力でその問題を解決していくんだよ」と教えるのではなく、
日本という国は、世界のなかで『戦争をしない』『武力を持たない』と誇りある宣言をし続けて、多くの国から尊敬を受ける国家なんだよ。そんな国を世界に増やしていく役割をこれから君たちが担っていかなくてはいけないよ」と教育するほうが前向きではないでしょうか。

集団的自衛権の必要性を主張される方の論拠として、周りに刃物を持っている人がいるのに丸腰で平和を叫んでいても安全は保てないという例をだされます。
本当にそうでしょうか。

周りの多くの良識的な方々がいるという仮定のなかで、仮に刃物を持っている悪党があらわれたときに、悪党にとって「私は絶対にあなたとは戦いません」と明らかな丸腰で毅然と宣言している人と、悪そうな仲間とつるみながら中途半端な刃物を振り回そうとする人とどちらと争おうとするでしょうか。

国際社会という一定の秩序と国際的なルールのなかにそれぞれの主権国家があるなかで、これまで多くの戦争は、
自分勝手な理屈に基づく「自衛権の発動」という無理やりの理由をつけて実質的な「戦争」を起こしてきました。「ベトナム戦争」や「イラク戦争」はまさにその典型です。

国際的に危険と言われている国家においても、 国際社会に向けて戦争や内戦を起こしていく「理由」を必ず創ります。そんななかで、日本が「徹底した平和主義」を貫くということは決して理想主義的な目標ではなくて、現実として他国から武力行使を受ける理屈を失わせていく高度に現実的な平和を守る国家戦略だと考えています。

日本は、戦後68年間平和憲法のもとで多くの国々から信頼を受け、そしてそのもとで経済的な発展を成し遂げてきました。そして、何より穏やかに人を思いやれる優しい国民性のもとで、「他者への愛」を持った人道的な武力を用いない国際貢献活動を行ってまいりました。日本国憲法のなかの「単なる一機関」にしかすぎない内閣の閣議決定により、そして国民の声を聴かない「狂った為政者」により、これまで歴史のなかで積み重ねてきた「平和国家」としての日本を壊されるわけにはいきません。

私は、アフリカの地において、為政者の過ちによって、そして国家としてのあやまちによって、壊されてしまった「現場の苦しみ」をたくさんみてきました。そこにおいては、現場で当たり前に生きる方々が幸せを取り戻そうとしても、なかなか現場を変えていけないもどかしさがありました。

私が政治の世界に入った理由も、現場の当たり前の幸せが壊されてしまわないように、1人1人の当たり前に生きる方々の日々の幸せのために、1人1人の痛みに寄り添うために、政治に携わる人間として一つ一つのやるべき判断とやらない判断を緊張感をもって行っていく。そして、この社会が派手な発展をしなくても、次の世代にも「当たり前の幸せ」が「当たり前」につながっていく、そんな社会にしていきたいという思いが原点でした。

今回の日本に住む1人1人の、そして次の世代に生きるこどもたちの「当たり前の幸せ」を奪っていく方向に進む、今回の独断的で狂った政府の解釈改憲は市長としてだけでなく、1人の国民として見過ごすわけにはいきません。 私は、組織もありませんし、今回の活動の事務局もなにもありません。ただ、今行動できることを一歩一歩でも自分にできることを最大限行いたいと思っています。 私は、毎日市長としての公務が当然最優先で行っており、私だけではこの活動を広げることも、提訴に結び付ける実行的な活動も進めることができません。

私たちみんながそれぞれ1人1人の今と次の世代を生きる責任として、できることから動きませんか?
ピースウイング、みんながそれぞれの翼を持って次の世代にまで平和のなかで羽ばたいていけるように。。。。