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祐さんの散歩路 Ⅱ

日々の目についたことを、気ままに書いています。散歩路に咲く木々や花などの写真もフォトチャンネルに載せました。

・ 日本は子供の天国だった

2014-02-09 02:52:42 | 社会・経済・政治
インターネットに子供についてのブログ(魚住昭さん)があります。日本人が持っていた子供に対する愛情が、来日する海外の人々から驚きの目で見られていたようです。正に「日本は子供の天国」と思われていたようです。転載します。

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わき道をゆく第45回 往事、日本は子供の天国であった

▼バックナンバー 一覧NEW!2014 年 2 月 7 日 魚住 昭


 担当編集者のN君(30歳)と両国の江戸東京博物館に行った。開館20周年を記念して公開中のエドワード・モース(1838~1925年)展を見るためである。
 モースは明治10年に来日した米国の自然科学者だ。来日3日目に横浜発新橋行きの汽車に乗り、車窓から大森貝塚を発見したという話は読者もよくご存じだろう。
 モースは近代日本の考古学・動物学・生物学の創始者で、ダーウィンの進化論を初めて紹介した人物でもある。日本滞在中の彼の見聞を記した『日本その日その日』は明治初期の庶民の暮らしぶりを伝える貴重な記録として、今も広く読み継がれている。

 私がモースに惹かれたのは、そのなかで彼が「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」と書いているからだった。
 彼は「子供たちは親切に取り扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、(中略)刑罰もなく、咎めることもなく、叱られることもなく、うるさくぐずぐず言われることもない」と語り、「日本はたしかに子供の天国である」とまで言い切っている。

 本当にそんな子供の楽園があったのだろうか。私は疑り深いので人の言葉を鵜呑みにはしない。
 もしかしたら、モースは大の親日家だったから、無意識のうちに日本の子供たちを美化したのではないだろうか。
 展示されたモースの収集品(当時の下駄から、台所用品、お菓子、 民具など生活全般に及ぶ)を2時間ほどかけて見て回ったのは、その疑問を解決するためだ。一通り見て回った後で、N君に「どう思う?子供の楽園はホントにあったんだろうか」と聞いてみた。
欧米では子供は寄宿舎に入れられ、鞭で引っぱたかれる教育が一般的でしたからね。モースはそんな学校生活になじめず、退学を繰り返した子供だったので、余計に日本の子供たちののどかさに感動したんじゃないでしょうか」

 さすがN君である。以前からモースに興味をもって調べていたというだけのことはある。日米の教育法の違いというのは重要な視点だ。しかし、まだ何かが足りない。
 私は、モースコレクションのなかでも農村風景や子供たちの笑顔を撮った写真や、彼のスケッチを見て、魂を吸いとられてしまいそうな郷愁にとらわれた。かつての自分がたしかにそこにいた
 むろんモースの滞在時期と私の子供時代は80年ほど隔たっている。だから服装や風景は同じではない。しかし親や子供たちの佇まいや表情は寸分変わらない。私は親が残してくれた子供時代のアルバムを見るような錯覚に陥った。

 私が生まれたのは終戦から6年後の熊本の田舎町である。物心ついたころにはまだテレビなどなかった。往来を通るのは車より馬車が多く、馬は馬糞を垂れ流しながら荷車を引いていた。つまり我が故郷の文明は大都会に比べて何十年か遅れていたのである。
 ある日、家の前をバスが通るようになった。私にはバスが怪獣のように見えた。そこで、角材を用意して、怪獣をやっつけてやろうと待ちかまえた。バスが来た。私は角材を小脇に抱えてバスの車体をめがけて突進した。
 幸いバスのスピードに追いつけず、角材は車体に届かなかったが、運転手から大目玉をくらった。ウソのような話だが、ホントの話である。私は周囲が手を焼くイタズラ坊主だった。しかし不思議なことに親からひどく叱られたり、折檻された記憶がほとんどない。

 やはり5~6歳のころのことだ。私は実験のつもりでオモチャの日本刀を火で熱してみた。熱したはいいが、どれぐらい熱いかわからない。そこで居間で寝ていた父親を実験台に選び、「父ちゃん、アツかね?」と言いながら、いきなり父親の額に剣の先をあてた。
 父はギャッと叫んで跳ね起きた。額はやけどで赤く膨れあがり、父は一瞬、すご い形相で私をにらんだ。それで初めて私は自分が何をしたのかを理解し、ぶたれるのを覚悟した。ところが、父は痛みを必死でこらえながら「もう、すんなよ」と言うだけだった。
 万事がそんな調子だったから、私は小学生になるとますます増長した。肥料店を営んでいた家に大事なお客さんが来ると、居間に通され、ちゃぶ台の上に饅頭などのお茶請けが出される。甘いものが少なかった時代なので、私はそれが食べたくて仕方がない。
 私はいつもふすまの陰から様子をうかがった。タイミングを見計らって居間に駈け入り、客のお茶請けをかっさらって脱兎のごとく逃げた。もちろん両親はそのたびに「コラーッ」と叱るのだが、本気で怒っているわけではないことが幼心によくわかった。
 両親は お客に「すみませんね」と謝りながら、心の底では息子がヤンチャで、すばしこいのをむしろ喜んでいるようだった。父はよく母に「昭(=筆者。5人兄姉の4番目だった)は、戦災孤児になっても生きていける」と言ってうれしそうに笑っていた。

 そもそも私の両親には子どもを怒鳴ったり、行儀をしつけたりする発想があまりなかった。良く言えば自由放任主義。別の言い方をすれば、ほったらかしである。それでも両親に愛されているという実感はありあまるほどあった。
 私は江戸東京博物館から帰宅して、他の文献も漁ってみた。そして渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)を読んで驚いた。明治中期以前に来日した外国人たちは皆モース同様、日本に子供の楽園を見ていた。
 明治11年に来日した英国の紀行作家、イザベラ・バードは「私はこれほど自分の子どもに喜びを覚える人々を見たことがない」と言い、日本人の子どもへの愛はほとんど「子ども崇拝」の域に達していると感じていた。
 幕末の長崎に来たオランダ軍人カッテンディーケも「子どもがどんなにヤンチャでも叱ったり懲らしたりしている有様をみたことがない。その程度はほとんど『溺愛』に達していて、『彼らほど愉快で楽しそうな子供たちは他所では見られない』」と書いている。
 同じような例を挙げればきりがない。かつての日本には子どもの楽園が実在したのである。それはたぶん外国との行き来がほとんどない東洋の島国が独自に育んできた文化だったのだろう。

 子供の虐待やいじめ、体罰 が頻発する日本の現状を考えると、失われたものの大きさに呆然とする。しかし、それでも私の心の底には楽園の記憶がまだ息づいていて私を幸せにしてくれる。おそらくは、また、読者諸兄の思い出のなかにおいても。後略。(了)
(編集者注・これは昨年の週刊現代連載「わき道をゆく」の再録です。モース展はすでに終了しています)

・ 安倍首相の介入とNHK

2014-02-07 03:39:34 | 社会・経済・政治
安倍首相が送り込んだ経営陣の発言が今話題になっています。口火を切ったのが籾井勝人氏。自分の会長就任の挨拶で「政府が右ということを左というわけにはいかない」といったことに始まり、会長を推薦する経営委員の百田尚樹氏や長谷川三千子氏が好き放題を言っています。中立の立場であらねばならぬはずが、とんでもない発言・・・・・
このことをファイナンシャル・タイムズがニュースとしている翻訳がありましたので転載します。

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安倍首相の介入でNHKの姿がぶれる
フィナンシャル・タイムズ(翻訳gooニュース)2014年2月5日(水)23:55
フィナンシャル・タイムズ 2014年2月4日初出 翻訳gooニュース) ジョナサン・ソーブル東京支局長


もう何年も前からその人たちは、日本の公共放送NHKの門前でいつもやかましく騒いでいた。いろいろな右翼の末端組織が、公共放送の内容がリベラルに偏向しているとメガホンを通して抗議していたのだ。

自分たちこそが日本の愛国精神を守っているのだと自認する人たちは、いつもなにかしらNHKの放送に怒っている。NHKがもつたくさんのテレビやラジオのチャンネルを通じて放送される何かが、彼らの逆鱗に触れるのだ。それは戦争ドキュメンタリーだったり中国報道だったり。時には韓国のメロドラマでさえもが。

それが今ではこの人たちは、国の最高権力者を味方につけている。安倍晋三首相は(「日本のBBC」としばしば呼ばれる)NHKの役割をめぐって、激しい論争に火をつけてしまったのだ。保守派の安倍氏は日本の文化や教育に関わる組織・制度を改変しようとしていて、NHK経営委員会人事はその一環だという見方もある。

首相のこうした動きは先月末、裏目に出たように見えた。昨年12月にNHKの新会長に選ばれた元ビジネスマンの籾井勝人(もみい・かつと)氏がその発言の中で、第2次世界大戦中の日本軍による女性への性的虐待を大したものではなかったかのように扱うという、日本の保守派としてあまりに相変わらずの失態を重ねたのだ。

さらにこの発言と同じくらい物議を醸したのが、NHKの報道姿勢に関する籾井氏の発言だった。バランスのとれた報道がNHKの正式な責務であるはずなのだが、新会長はそれとプロパガンダをごっちゃにしているかのようなことを言った。NHKの国際放送において「政府が右ということを左というわけにはいかない」と述べたのだ。

この発言を受けてNHK内部からも、政府の不興を買うかもしれない報道を管理職たちが抑え込もうとしているとの指摘が相次いだ。NHKラジオで経済コメンテーターを長年務めていたエコノミストの中北徹東洋大教授は先週、番組を降板。教授によると番組で原発問題を取り上げようとしたところ、2月9日の東京都知事選に向けて原発の話は止めてほしいと言われたのだという。

原発問題は安倍氏の率いる自由民主党にとって気まずいテーマだ。2011年の福島第一原発事故を受けて国民の多くが原子力発電に警戒感を抱いている中で、自民党は原発継続を指示している。

元NHK記者で1990年代に研究者となり、NHKと政治家の関係についての著作もある川崎泰資氏は、何か言えばどうなるか分からないという空気が今のNHKの中にはあり、それが自己検閲につながっていると指摘する。

イギリス人のピーター・バラカン氏は、NHKや民放ラジオに番組をもつ日英バイリンガルなラジオパーソナリティーだ。バラカン氏も最近、東京都知事選が終わるまで原発に関する発言を控えるよう2つの番組のディレクターたちに言われたと、民放ラジオで発言。原発の話題を控えるよう指示したのがどの放送局のディレクターかは、明らかにしていない。

公共放送が政府の規制監督機関に圧力をかけられるのは、NHKだけの話ではない。オーストラリアの保守派を率いるトニー・アボット首相は先週、公共放送ABCが「地元チームに対する愛情」に欠けていると批判。似たような話でおそらく最も有名なのは、BBCによるフォークランド紛争報道を愛国的でないと批判した当時のサッチャー政権だろう。

NHKではもっと最近のBBCと似たような問題も起きていた。NHKは義務的に払われる受信料を財源としているが、職員による横領など身内のスキャンダルでも評判を落としていたのだ。そしてNHKの報道内容は保守や右翼だけでなく、リベラルや左派からも批判されていた。たとえば原発事故の際には、国民に警戒感を抱かせたり政府に恥をかかせる情報は放送を控えていると思われていた(今回騒ぎとなった籾井氏の発言についても、NHKが自ら報道するまでに3日かかった)。

しかし何よりNHKを揺るがしてきたのは、右派から向けられる政治的な敵意だ。安倍氏は以前にもNHKと対立した経験がある。朝日新聞によると首相は2005年、別の自民党政治家と共にNHKに圧力をかけ、戦時中の「慰安婦」に関するドキュメンタリーの内容を変更させた。同紙によるとNHKは、旧日本軍の「慰安婦」強制連行と性的虐待について昭和天皇に責任があるとする市民団体の「模擬裁判」の映像を、安倍氏らの要請を受けてカットしたという。安倍氏はこれを否定している。

安倍氏は昨年、複数の仲間をNHKの経営委員に任命したことで、籾井氏の会長就任の道筋をつけた。安倍人事で任命された経営委員たちの物の見方は、日本でまともとみなされる保守思想の限界を試す内容だ。経営委員のひとりで作家の百田尚樹氏は週末、都知事選の右翼候補のため公然と応援演説をした。その中で百田氏は、日本軍が南京で中国の民間人を大量虐殺した事件は「なかった」と断定。戦後の東京裁判は、広島などで連合軍が行なった日本人の「大虐殺」を「ごまかすための裁判だった」と述べた

同じく安倍人事で経営委員となった長谷川三千子氏は新聞のコラムに先月、女性の社会進出が出生率を低下させたとして、女は家で育児をするのが「合理的」だと書いた(長谷川氏自身は大学教授として働きながら子供を育てた)。

籾井氏の発言が批判の嵐を巻き起こしたのを受けて、安倍氏は国会で先週、「籾井会長はじめNHK職員のみなさんには、いかなる政治的圧力に屈することなく中立公平な放送を続けてほしいと願う」と述べた。

安倍氏はさらに、日本の教育現場はリベラルすぎるという考えの持ち主で、そこにもまた手を入れようとしている。教育改革のため首相が設置した諮問機関・教育再生実行会議は、各地の教育委員会の弱体化を提案。これまた保守派が毛嫌いする日教組の組合員が教育委員会には大勢いるからだ。そこで首相の諮問機関は各都道府県の教育長の任命権を首長に直接与え、教育委員会の弱体化を提言している。

さらに安倍政権は先月、日本の領土問題についてより愛国的な論調での指導がされるよう、学習指導要領解説書を改訂した。新しい解説書には、領有権が争われている3カ所の島々(ロシアが実効支配する北方領土、韓国が実効支配する竹島、日本が実効支配するが中国と台湾が領有権を主張する尖閣諸島)について「我が国の固有の領土」と明記されている。


Finacial Times