ある小学生のこと。差別のこと。俺の立ち位置のこと。

2011年04月17日 22時31分47秒 | 巻二 起居注
震災直後の朝日新聞に、
行方の分からなくなった両親祖母いとこの名前をボードに掲げ
避難所を黙々と探し回る小学生の話が載った。

個人名を出していいものかアレだが、
名前は相澤寿仁くんという。

自分の衣服は全部失ったのだろう、
大人ものの防寒着と帽子。
その、カメラの向うを射抜くような目があまりに印象的で忘れられなかった。

続報で、数日後にいとこの一人と再会した、と記事があり、
さらに先日、両親の遺体が見つかったと後日談。

寿仁くんは、祖父と一緒に暮らしているんだという。
ぼさぼさだった髪は祖父がキレイに坊主頭にしてくれ、
全国からの手紙を笑顔で読む寿仁くん。
その手紙への返事は、わざわざ下書きして書いてる寿仁くん。
両親発見の報を聞き、外で一人号泣してたという寿仁くん。

こうしている間にも、
なぜか知らんが俺の目には涙が溜まってくる。
鼻水が止まんねえ。
たとえば通勤途中に、彼のことを思い出し、
涙を流しながら歩いたことも一度ではない。

としくんが俺の息子にそっくりな容姿だ、っていうのも
あるんかなあ。
どうしても重ね合わせてしまう。

俺は、広義でいえば被災者の端くれかもしれん。
ライフラインや家具の被害は実際あった。
だが一方で、被災者を外から見つめる立場にもある気がする。
阪神の震災の時は正直傍観者で居られた。
でもイマは、一体自分の軸足がどこなのか、
ようわからん。
わからんままでいいんだろうけど。

首都圏に避難した福島の人々が
差別発言を受けたという話。
福島の瓦礫は引き受けるなという声。
それらは、おそらくたぶん、
福島で造られた電力による生活を享受していた人々の声なのだ。(※)
お前ら、ろくな死に方しないぞ、と。
ああ言っちゃった。この際俺は不謹慎宣言。
避難している方々はそんな無遠慮な暴言を発せないかもしれないけど、
曖昧な立ち位置の俺は言える。言ってやる。
「日本は強い国」?
ことさらに「日本」を強調する昨今の啓蒙CM。ぬかせ。
キレイなお題目「だけ」が流れる空間が健全とはとても思えない。

(※)トカイの人々がみんなそんな考えの持ち主だとはもちろん思ってないが。


…と熱くなってもしょーがないな。
俺は目の前のことでいっぱいだ。
公私でいえば、「私」のほう。

ともかくも、寿仁くんの行く道に幸あらんことを。
俺も応援しています。

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4 コメント

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その発言は、現実化するかも (パソコン修理屋 横浜代表「今津」)
2011-04-17 23:36:41
「情けは人のためならず」があるように、その逆バージョンもあると思います。絶対法則として。人の気持ちの解らん奴は、人並みの人生の結末は無いというものです。

都会でも90パーセント以上はまともな奴だと思いますが、残りの数%は、目立ちますよね。

お話は、とっても心に残りました。
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Unknown ()
2011-04-19 00:04:34
パソコン修理屋 横浜代表「今津」さま

こんな放言ブログにコメントありがとございます。

我ながら少々言いすぎた感もありますが、
原発絡みの差別発言はあまりに許せませんでした。
確かに9割の方は「まとも」だと思いたいです。
でも、残りの1割に、救いようのない業みたいなものを感じずにはいられません。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-05-28 09:12:12
何度も何度も読み返しています。
偶然5月ころ、このページを見つけて何度も読み返しています。
先週いわきに行ってきました。浜通りを歩いてきました。行って初めて分かることも多いけど、行かなくても見なくても離れていても痛みを感じる心を持たなくてはと反省しました。
返信する
Unknown ()
2012-05-28 23:39:16
コメントありがとうございます。
こんな駄文をお読みいただき恐縮いたします。

1年が過ぎて、どうしてもインパクトという意味では薄れてしまいがちなのかもしれませんが、
やっぱり「忘れない」「語っていく」ことが大事なんじゃないかなと思います。

正直自分個人としてはなんもしてないようなものなんですけど。
行動力が足りない分、言うべきことは言っていこうかなと考えてます。

よろしければまたおいでください。
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