岩波新書版はなんども読んだが
「しゅ(石ヘンに朱)批諭旨解題」が併録されていることに今さらのように気づき
改めて読んでみた。
清朝は暗愚な皇帝が少ない(いない)と言われるが、
それにしても雍正帝はその究極であろう。
地方官から皇帝への親展状で全国の状況を報告させ、
朱筆でこまごまとコメントする。
下手なことを書いてたりすると物凄い罵倒を書いて返されてくる。
今でいえば、2chなみの煽りコメントを首相が各知事に送っているようなものだw
少数民族の身で質量ともに巨大な漢民族を支配していくというプレッシャーと義務感もあったんだろうな。
自分の厳しい姿勢に対する不評は雍正帝も解っていたらしく、
死後に自分をディスる話が出回るのに先んじて、
その私信録(しゅ批諭旨)を出版してしまった。
それを読めば、自分のやり方を誤解されて伝わることはないだろう、と。
結果的にそれは正解だった。
さらに結果として清代史の一級史料を我々に残してもくれたのだ。
雍正帝は一体寝る時間があったんだろうか。
毎日大量のメールを読みつぶさに返信する社長みたいだ。
そんな人いるのかどうか知らんけど、いても身体壊しそうだな。
ていうか、さらに気になったんだが
西太后に幽閉されていた光緒帝時代の奏摺はどういう処理をされてたんだろうか。
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宮崎先生の筆致は相変わらず「一つの王朝」「一人の皇帝」のみを描写するに終わらない。
常に世界史的な視点をもち、さらに中国史全体を踏まえて論ずる。
縦糸と横糸が張り巡らされて近視眼的でないのだ。
しかもこれは大事なことなのだが、小難しい文章表現をしないので読みやすい。
思えば、寺田隆信先生のしゅ批諭旨購読を聴講するという人生の選択もあったのだが、
まあそうなってたらいったいどんな道を歩んでたんだろうな。
「しゅ(石ヘンに朱)批諭旨解題」が併録されていることに今さらのように気づき
改めて読んでみた。
雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫) | |
宮崎 市定 | |
中央公論社 |
清朝は暗愚な皇帝が少ない(いない)と言われるが、
それにしても雍正帝はその究極であろう。
地方官から皇帝への親展状で全国の状況を報告させ、
朱筆でこまごまとコメントする。
下手なことを書いてたりすると物凄い罵倒を書いて返されてくる。
今でいえば、2chなみの煽りコメントを首相が各知事に送っているようなものだw
少数民族の身で質量ともに巨大な漢民族を支配していくというプレッシャーと義務感もあったんだろうな。
自分の厳しい姿勢に対する不評は雍正帝も解っていたらしく、
死後に自分をディスる話が出回るのに先んじて、
その私信録(しゅ批諭旨)を出版してしまった。
それを読めば、自分のやり方を誤解されて伝わることはないだろう、と。
結果的にそれは正解だった。
さらに結果として清代史の一級史料を我々に残してもくれたのだ。
雍正帝は一体寝る時間があったんだろうか。
毎日大量のメールを読みつぶさに返信する社長みたいだ。
そんな人いるのかどうか知らんけど、いても身体壊しそうだな。
ていうか、さらに気になったんだが
西太后に幽閉されていた光緒帝時代の奏摺はどういう処理をされてたんだろうか。
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宮崎先生の筆致は相変わらず「一つの王朝」「一人の皇帝」のみを描写するに終わらない。
常に世界史的な視点をもち、さらに中国史全体を踏まえて論ずる。
縦糸と横糸が張り巡らされて近視眼的でないのだ。
しかもこれは大事なことなのだが、小難しい文章表現をしないので読みやすい。
思えば、寺田隆信先生のしゅ批諭旨購読を聴講するという人生の選択もあったのだが、
まあそうなってたらいったいどんな道を歩んでたんだろうな。
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