保護猫界隈のイケニャンという言葉

2022年10月28日 18時23分00秒 | 巻二 起居注
猫の動画や画像を観るのが好きなので、幾つかのアカウントをフォローしている。
ざっと9割方、保護猫関係のアカウントだ。
素敵なネコさんたちの姿が、我が荒んだ精神をいつも靖んじてくれる。ありがたい。尊い。


それでなのだが、こうした「猫界隈」でよく使われるある言葉が、妙に気になって仕方がないのだ。


それは、「イケニャン」。
ほぼ同義語で「美猫」。
もしかしたら前者は雄むけで後者は雌むけなのかな。それはこの際どうでもいい。


流石に令和のこの世、「イケメン」や「美人」などという言葉を人間相手に使用する場面、目にすることは減ってきた。

もちろん、個人的な会話の中や、下世話なオヤジ週刊誌などでは依然健在だと思うのだが、見た目を至上の価値と捉える風潮は明らかに薄まってきたよね。令和の御代。よきこと。

この私だって例に漏れずそんなルッキズム全開の世を生きてきた昭和人間なので、感情の奥底には根深い外見至上主義を飼っていることは否定しない。はい。見た目大事。個人の胸の奥底では。




それで、かの「イケニャン」言葉なのだが、よく考えてみると、飼い主が自分の飼い猫に対して発した場合は全く気にならないことに気がついた。

また、道端で見かけたノラネコが超絶美猫でした!と言われれば、それも別になんとも思わない。

それでは、なにが気になるのか。気になる境界線とはなんなのか。


それはつまり、かの言葉を保護猫界隈の方が言う場合だ。

「このネコちゃんはこんなにイケニャンです!こんなイケニャンのこの子を貴方のおうちに迎えませんか?」
みたいなロジックに違和感があるのだ。

外見上、整っている(ように見える)事を売り文句にしている。セールスポイントにしている。
そこなのだと思う。違和感の源泉は。



過酷なノラネコ生活から救いました。
ノラネコにも幸せに生きる権利がある。

そんな主張(それ自体異論は全く無い)の隙間に、外形が整っている事を売りとして潜り込ませている。
そこが違和感の正体か。


もちろん、そんな界隈の方々も、イケニャンじゃなければ劣る(セールスポイント的に)とは思っていないはず。
片脚が無くても、片眼が欠損していても、一生懸命保護し人馴れさせてバトンを繋ぐ。素晴らし。

だからなお一層、イケニャンだとか美猫だとか、見た目の優位性(と思わされている事象)を、売りにすべきじゃないと思うんだけどね。






去年の春に道端で見かけた、妙に懐いてくれたシロネコさん。元気かな。
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