あれから(約)100日。

2011年06月16日 22時41分16秒 | 巻二 起居注
長町駅付近の高架線で常磐線と並走する新幹線はやて・こまち。
「がんばろう」的なメッセージステッカーが車両に貼られています。
やべえ。眺めてたらマジで涙出そうになりました。
半分はかっこよさに。半分は得体のしれない切なさに。
やっぱり「あの日」以来確実に涙もろくなっています。

---------- キリトリ -----------

先月に続き、またもや某所でrisai証明申請受付事務従事中。
高速道路無料制度のせいもあり、
先月より明らかに申請数が鰻登り中。

ここでまた、俺はいろんな「渦中」の方々と向き合っているです。

家も船も流されたという、漁師のおっちゃん。
いかにも海の男、という風体で、
小学6年の息子と一緒にやってきました。
がんばろう東北のTシャツを着て。
避難所暮らしから応急仮設住宅への移転が決まったそうです。
自分ができることは、
そんな彼の言葉を真摯に聞き取ることくらい。
またいつかうまい魚を俺らに届けてほしいです。

どこかで見たことがあるな、っていう男性が来ました。
前職場への通勤路で毎朝すれ違っていた方でした。
もちろん名前も素性も知りません。
向こうも俺の顔をじっと見ていて、視線が合ってしまいました。
もしかしたら、「どっかで見たような…」とか
俺も思われているのかな。

仙台港の付近でたまたま車を運転していた「あの日」、
津波にもまれて命からがら脱出した若い女性も来ました。
そんなリアルな体験をした方と向き合うのはさすがに初めてです。
いろいろ聞いてみたい。その時の状況。
でも、あくまで事務的に必要事項を聴取するのが、俺の仕事です。
興味本位で根掘り葉掘り聞き出すことはしません。
あなたのその今の笑顔が、たぶんすべてを物語っているのでしょう。

一通り受付が終わった後、
ひとこと「がんばって!」と俺に言い残して帰って行ったおじさんがいました。
いやいや、大変なのはあなたですよ。被害にあった皆さんですよ。
俺なんか、情けないけど何もできませんよ。アホですよバカですよ。
彼のあの一言で、また涙でそうになってきたわけです。

---------- キリトリ -----------

いろいろ言いたいことはあります。
特に原発については、もうナンボでも語りたい。
でも、
ここまで渦中にいると、
情けないことに言葉が出てこないです。
チェルノブイリのことなら喋れても、ね。

「怒り」とかの前に、
無力感と脱力感のほうが大きいなあ。
たぶん俺は将来大きく後悔するかもしれません。けどね。

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