ネタバレあり。
観終わった瞬間。
うーーーーん、、、
という感じ。
作品についての事前情報は新聞の紹介記事程度だったのだが、想像(予想)の範囲で終わったな、というのが最初の感想。
狙っているのは承知だが、終始平板に流れる日常。
エンディング曲の強烈さも、狙いがあからさまに感じた。
最後のシーンで現代の様子が織り交ぜられるのも、なんとなく予想できた。
幸福(そうに見える)な生活の中でチラッチラッと狂気の空気が見え隠れする。主に音声で。
わかるんだけどなそれは。
なんだろう。どうすればこの自分がもっと満足できたのかはよくわからない。
もしかしたら、私がナチスドイツ回りの話に子供の頃から強い関心があって、書籍や映画にそれなりに接してきたせいもあるのだろうか。
(もっともシンドラーのリストは観ていない)
いや、マウント取りたいわけではないのだが、収容所の効率的運営や当時のドイツ市民の生活をある程度知識として知っていれば、「まあそうだよね」という感想が最初に出てしまうものなのかもね。
我ながら性格の悪さが如実に現れる感想文だ。嫌だ嫌だ。
しかしながら、この作品が言いたいであろうテーマについては深く共感する。これは間違いない。
まして、偶然ではあるがまさに今パレスチナで行われている凄惨な行いにおいて、ユダヤの民は一方の当事者なのだ。
中東、ウクライナ、アフリカ、ミャンマー、その他世界各地で残酷な事態が止むことはない。
いや、そんな地理的に遠い話だけではない。
この国にだって、大多数が見て見ぬふりしている事象があるのではないか。
それが見て見ぬふりなのか、「無関心」故の無知なのかは別として。
セレブの集い美味しいものをたくさん食べているタワマンの隣には、その日暮らしの人々が食費を切り詰め切り詰め毎日を送っている。
なんか表面的な比喩だが、そんな不条理はどこにでもあるのだ。
それが全ておかしいということではなく、想像力の問題だよね。想像力すなわち関心でもある。
この作品をわざわざ映画館に観に行くのが「関心」ある人たちだけではないことを、薄っすらと願う。
パンフはこれから手に取ります。
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