マーラー:交響曲第7番テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1993ライヴ東芝EMI('A`) |
きのう(金曜日)はテンシュテットのマーラー5番と1番を聴き、
そして日付変わり今、7番を繰り返し聴いている。
テンシュテットはそう日常的に聴けるものではない、とも言われるが、
やっぱ好きなんだから聴いてしまう、ということもある。
壮絶とか、情念、とか。
テンシュテットを修飾する言葉は数あれど、
全てが虚しくさえ感じる。
だって、億の言葉はひとつの音符を完璧に表現することさえ出来ないのだから。
自分だって、テンシュテットのすべてをわかってるわけじゃない。
マーラーに限っても、
LIVEの1番5番6番7番、全集の3番4番だけの付き合いでしかない。
いまのところ。
でも、それらの殆どをここでエントリしてしまったことからも明白なように、
現時点ではこの指揮者の演奏に完全に魅入られてしまった、と
言わざるを得ない。
だから、7番だってまたここにこんな時間に書きたくもなったのだ。
彼の7番を初めて聴いてこの1ヶ月ちょっと。
いろんなことがあった。
というかいまも続いているいろんなこと。
概ね鬱心情になることが速射砲のように襲ってきたが
そのたびに、僕はテンシュテットに頼っていた、とも
ある意味言える。
たかが音楽で容易く「感動」するんじゃない!
たかが音楽で涙などみせる勿かれ!
…でも
阪神がいくら勝とうが
この子との関係がいくらうまくいこうが
ひとりの人間として
一人の「属性」を全て失った個人として
こんな歌にすがりたくなる日がある。
毎日。
その輝かしくも狂おしいファンファーレ。
激しくも激しいティンパニ。
「夜の歌」のテンシュテットは
こんな自分になんの啓示も与えてくれはしないし、
ましてや答えを教えてくれることもない。
だから、テンシュテットに自分は突き落として欲しいのだ。と思う。
二度と這い上がれない奈落に。
夜の後には必ず朝が来ぬ。
どんなに残酷な闇のあとにも
それ以上に残酷な太陽が昇ってくるのだ。
悪意ある、悪意のいっぱい詰まった太陽。
偽善と真善とがない交ぜになった、
本当に無期懲役級に残酷無慈悲な朝がやって来る。
だからいつまでカレンダーを数えればいいの?
ほらそうやっていつもはぐらかす。
そうやって、あなたはいつも
夜の歌を止める事はないんだ。
電波を遮断している。
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