3・11 がやってきて、静かに過ごした。
いくつかの追悼の場にも声をかけられたが、終日拙宅で過ごした。
2時46分には、両陛下臨御の集会の中継に併せ、わたくしも黙祷を献じた。
当事者ではないが、押し寄せるような怒涛の怒り、悲しみ、嘆きに、数多くの人々が圧倒された思い出は残る。
今週のある重賞だが、人気上位かはさて、どうしても今年のある本番レースで絶対登場してもらわなければならない1頭が出走を予定している。
無論、わたくしの馬券的関心も、この1頭に傾く。
今年を支配する、ある重要なテーマに沿い、どうしてもこの1頭が「あるレース」に出てきてもらわねば困るのだ。如何に今、その可能性は低いと思えても、去年も弥生賞4着・5着の馬がクラシックを分け合った。
突発的で予期せぬ突然の死は至るところで起こる。
また同時に、人生は怖ろしくスローで、退屈な瞬間にも満ち溢れている。
そして、永く生きていると、大概のことには驚かなくなる。
わたくしは魂が成長しているからだと思うのだが、心境を高めて行くことこそ、後半生の大きなテーマであり、幸せを得る方法だと思うのである。
ある、私と同年輩と思しき女性が、川筋を辿り、声を挙げ、肉親を呼び、何処までも歩いて行った。夫も母親も長男も一度に居なくなり、見当たらない。手掛かりすらないのだ。
「このままじゃ、あたしひとりになっちゃうよ ~」
今日も普通に昏れてゆく。