本年のGⅠ競走に関し、重要なことが分かりました。
GⅠレースが4つも終われば(まだあと7つ、今シーズンも残っているが)、結果が示される訳だから、重要な事柄が判明する。またそれが読み取れなければ、予想・見解など披瀝できるわけがない。
わたくしは、あるシーズンのGⅠ競走は、一連の連続ドラマとして、必ずある一貫したルール・システムに則り、それを約束事・決め事として挙行されていることを知っている。その原則が掴めるかどうか。それで、シーズンの勝利程度が決まる。またこれは原則なので、必ず例外、外しも向こうは作ってくる。
その一貫しているものを、如何に早く、掴むか。
一片を申せば、たとえばどうやって、桜花賞2着位置 8枠18番 が示されていたかを掴むことによって、今年の日本ダービー連対枠が特定できた。ダービーは○枠である。あとは、そこに馬が入るのを待てばよい。
わたくしは根拠をはっきり申し上げた上で、同意の上、レースに向かって頂きたいと考える主義である。
単に、8枠の馬が走った、というわけでなく、予めそれが決められ、その通り行われ、しかもそれが事前にある形で、提示されているのである。
横山ロジは、包まれたのでも、揉まれる競馬を未経験だったから走れなかったのもなく、走らなかっただけである。かつての名ジョッキー、も云っている。
騎手はアーティストである。その自覚を持って仕事をせよ。
・・・柴田政人
豊の場合はなんとなく物静かなレースだと思います。
・・・武邦彦
後者は、4月号のインタビューで、かつて名人といわれたパパがジョッキーである息子、天才と呼ばれる息子をどう見ているか問われ、語った言葉である。何故、ペース配分や馬の御し方、レース勘、、戦略などを先輩として批評せず、物静かなどと語るのか。
騎手の仕事が、競走ではなく、競走(という芝居)をどう見せるか、その見せ方のスタイルが重要だと知っているからである。上手いとか、未熟という以前に、武パパは息子の技量ではなく、詰まるところ性格を語っている。そして息子のレースを見ても、競走ではないので、スポーツ競技能力ではなく、姿、佇まいを見つめている。本当は、もっと豪快に、おとなしくないアーティストとして振舞って欲しいのだろう。それがパパの好みだと言える。
かつての競走馬の名前で、競馬を評すれば、競馬はスポーツであるよりもファッションショーに近い。ある大レースでは、事前に誰が勝つか、(出演者・演出者は)皆知っているので、勝つこと自体でなく、どう勝って見せるかが重要なのである。
が、豊という息子がここまで競馬会で重宝され、主役を演じさせられてきた最大の理由は、冷静で、ほぼ絶対にやり間違いがなく、また冷静沈着だからであろう。激せず、指先1つに何百億という金が左右される場面でも、たじろがない実務執行能力を保持し、インタビューでも、淡白で冷静で準備通りのコメントに終始し、的確なアドリブも専門の担当者から学んで身につけている。
例え2cm差であろうと、脚本通りに集団行動、群集劇を演じきれる個人能力と、当然それに付帯して必要な、人的交流能力、煎じ詰めれば、ある主役級の人々同士の相性と呼吸、アイコンタクト以上の意思疎通能力、こうしたものを練り上げる必要がある為、ほぼ大レースでの出演者、常連ジョッキーが、ある数十人程度に絞られているのであろう。無論、大前提は、絶対的厳秘たる、機密保持能力である。
アンカツも岩田も、岡部がいなくなった後、そのような観点で選び抜かれているのであろう。
GⅠの狭間、今週ご登録下さった方、ご登録ある方には、日本ダービーの連対枠を、根拠と共にお話しする。それ以外は、無論、ダービー週まで、口を噤む。お聞きになった方、妙な場所で口外しないで下さいよ。
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