季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

絵画鑑賞ツァー

2008年04月07日 | 芸術

日本ではあまり無いような気がする。旅行社が企画するツアーで、名画の鑑賞の旅、これはヨーロッパではずいぶん多かったのではなかろうか。要するにインテリ向けの高級ツアーだ。

僕が参加したのではない。僕がピアノを教えていた、博士号を有した老婦人がこの手のツアーにさかんに参加しては、後日僕に説明をしてくれたものだ。

彼女は僕をインテリの端くれだと勘違いしたらしく、あれこれの最新の研究結果やら、芸術上の見解やらを説明してくれるのだったが、こちらは退屈の極みで、ドイツ語であくびをしていた。

そもそも僕はインテリが嫌いだ。

渥美清演じるところの「寅さん」が、何かにつけて「は~ん、おめぇ、さしずめインテリだな~」と言うのだが、こんな紋切り型でも気分はよく分かる。

たとえば誰それの宗教画がある。イエスと幾人かの人物が描かれている。研究者たちはその場面を、聖書の一場面として特定しようとする。

僕はそうした努力を笑いはしないし、否定もしない。彼らがその作品を高く評価すれば(あえて評価といったが、一番素直な言い方は、心を打たれたならば、だろう)その詳細を知りたくなる、これはじつに自然なことだと思うから。

ただ、研究者の「成果」はいつでも最初の感動に支えられ続けなければならない。断るまでもないが、作品に対する関心が変化することもあるのは、まったく違った話だ。

これは当たり前のようでいて、なかなか難しい。

以前書いたが、十字架上のイエスは昔、ほぼすべての画家が描いた。オランダの画家たちは、皆同じように室内を、レースの衿と袖口の男達を描いた。

それなのに、ある画家は才能があり、他の画家は凡庸なのだ。結局、テーマではない、絵そのものだけが大切だ、という常識から離れるわけにはいかないのである。

はじめてアムステルダムの国立美術館に行ったときの戸惑いを、僕は忘れない。忘れてはいけないと思っている。

美術を好きなつもりで、若気の至りとでも言おうか、勇躍乗り込むといった昂ぶった気持ちだったのだが、どこを見ても同じレースの飾りをつけた男の肖像画ばかり。上手いも下手もまるで見当もつかぬ。ゴッホは手紙の中で、それぞれの画家を論評しているのだ。それを読んでいただけで、僕は何も見ていたわけではなかったのだ。その時、僕は深く思い知らされて反省した。

研究の成果というものが、僕たちの素朴で健康な感受性を損なうという皮肉と、いつでも隣り合わせになっていることを忘れてはならない。忘れた途端、僕たちはインテリに成り下がるのである。

フランス・ハルスの肖像画を1枚載せておく。

ゴッホの自画像

2008年02月22日 | 芸術
自画像をたくさん描いた画家といえばレンブラントとゴッホだろう。僕は絵について詳しく知っているわけではないから、ことによるともっともっといるのかも知れないけれど。

ゴッホはレンブラントについてたくさん語っている。弟宛の手紙のなかで。

画風の違いは2人の自画像に決定的な相違をもたらす。そもそも自画像を描くという行為を想像してみるのが難しい。画家に、できれば自画像を描いたことのある画家に訊ねてみたいものである。いったいどのような気持ちで自分自身を描くのだろうか。自分を一個の物体と観じるまで見つめるというのだろうか。

近代の心理学(もどき)の深層心理だの無意識だのはここでは無縁である。といって画家の心境とやらが安易に出たものはやはり駄目である。

レンブラントの自画像は背後の褐色の中に溶け込もうとするようにも、暗い背景から浮かび上がったようにも見える。僕たちはその像に対し、ためらいながら語りかける。

対して、ゴッホの自画像は画面一杯に光を浴び、身を隠すことなくすべてをさらけ出している。そして僕たちに向かって語りかけるかのようだ。教えてくれ、ここにいる男はいったい何者なのか、と。

それでいながら、画家の目は自身を一個の物体として捉えている。キャンバスを前にした像、亡くなる少し前の、薄い緑で渦巻くような背景の像、どれもが実に沈着に描かれている。どこにもゴッホという不幸な男を訴えるようなものは見当たらない。そしてそれ故に僕たちは否応なしに異様なまでの緊張の許にさらされ、目の前にいるのが紛れもなく不幸な男であると感じる。僕らはかろうじて訊ねる。いったいこのゴッホと呼ばれる男とは何者であったのか。

耳を切った時ゴッホは錯乱状態にあった。平静を取り戻したゴッホは頭を包帯で巻かれた自画像を描く。この絵のカーンと静まりかえった世界は無類である。手紙で弟に訴えている不安も、病気に対する疑念も、一切が無い。あるのは一人のパイプをくわえた男の姿ばかりだ。

美術史家の高階秀爾さんは、ゴッホの自殺が、弟の気を惹きたいがための狂言であり、不幸にも本当に命をおとしたことを「証明」したそうである。そのことは僕は洲之内徹さんの本で知ったのだが。

洲之内さんは、高階さんのような専門家に自分のような素人は太刀打ちできるはずがない、と言いながら高階さんの説を覆して行く。その絡み方がじつにうまい。それこそ僕のような素人にできる芸当ではない。

最後に彼は言う。「耳を切った自画像」と自殺の1ヶ月前の最後の自画像を載せておく、それをよく見て欲しい、これが弟の気を惹くために狂言をうつ男の顔に見えるだろうか、と。

僕が付け加える必要はあるまい。洲之内徹「さらば、きまぐれ美術館」を読んで下さればそれですむ。


マハ

2008年02月05日 | 芸術
生徒がグラナドスの「嘆き、またはマハと夜鶯」を弾いてきて、僕ははじめてレッスンしたのだが、その直後に学校の卒業試験で同じ曲を聴いた。それで思い出したから書いておく。

このマハとはいうまでもなくゴヤのマハのことである。

以前NHKでマドリッドの美術館を特集していて、当然ゴヤもあった。番組冒頭に「裸のマハ」が丹念に映し出される。これはゴヤを代表する作品のひとつだから誰でもがそう構成するだろうな。

しかしナレーションがいけない。「生きる喜びに溢れる云々」と解説は言っていたが、どうも心に響かない。正確ではないと感じる。殊にあの局特有の嘘くさい口調でやられると、もういけない。僕は若いころ「ミカン山のような健康さ」を嫌悪していた。その時のいらついた感じが戻ってきてしまう。

少し説明しておこうか。蜜柑の木は濃い緑色の葉を持っているでしょう。それに実の黄色が大変映える。冬の陽射しを浴びた景色はなんとものどかだ。僕が若いころ、世の中ではいろんなことが起こったかも知れないが、おしなべて、それでも日本は発展を続ける、といった空気が充満していたように思うのだ。たとえ学生デモが多発しようと。

みかん山の陽射しを眺めていると、その空気が連想されて若い僕はいらだった。

僕にとって、これは充分に嫌悪するにふさわしい理由だった。今となってはその気持ちをただ振り返るだけであるが、勘は正しかった、という苦い思いもある。

そうそう、マハだった。

実によい絵だ。それ以上ことばが見つからない。馬鹿みたようなものさ。小林秀雄さんがこの絵について語っているのは、うーん、うまい。それを紹介だけしておこう。といっても相変わらずのうろ覚えだ。正確な表現を知りたいというひとは探して下さい。対談集かなにかにあります。

マハはいいな。着衣と裸とあるが、裸の方が良い。あんなエロティックな絵は見たことないな。ありゃ、着物を脱げって言うのかい、脱げば良いんだろ、そんな女の表情だよ。

以上、付け加える必要はない。実に正確だ。それを婉曲に、教条主義的に言って、みなさまのNHKという包装紙(放送紙ではない)でくるむと、冒頭に紹介したナレーションにもなるのかな。

グラナドスの曲は、青白い影でしかない。

ニセ物(続)

2008年01月11日 | 芸術
フェルメールほど謎めいて、作品にまつわるスキャンダルの多い画家も少ないだろう。まず生涯がはっきりしていない。デルフトの画家の組合に所属していたこと以外、確実なことはわかっていないらしい。

生前はそれなりの評価をされていた様子なのに死後急速に忘れ去られ、再評価されたのは19世紀も後半に入ってからである。

ゴッホは手紙の中でたしか「デルフトの風景」について熱っぽく語っていたように記憶するが、これは再評価の時期とほぼ重なる。ルノアールも「お針子」(僕が勝手に呼んでいるのだけで、どうやら刺繍をする女、と呼ばれるのが一般らしい)の手前の赤だけのためにルーブルに行く価値があると言ったそうだ。こうした19世紀の画家達の目も再評価の機運を高めたのだろうか。それとも再評価されるような時代の空気が画家達の目を育んだのだろうか。忘却の長さから言えばバッハをも凌ぐ。


絵にまつわるエピソードもドラマティックである。貸し出された先で額から切り裂かれて盗まれたり、アイルランドのテロリストに強奪されて仲間の釈放を要求されたり!この辺の状況に関心がある人はお調べ下さい。僕はうろ覚えで書き連ねているので。

なんと言っても極めつけに面白いのは贋作事件、ナチスドイツがからんだ事件であろう。ヒトラーが「画家のアトリエ」を買い上げ、それに触発されたゲーリングが「キリストと悔恨の女」と題する絵を買った。戦後それがオランダの至宝を敵国に売った売国行為として、売り主のメーヘレンという画家が逮捕された。(Meegerenというのはオランダでは多分メーヘレンと読むのだと思う)

メーヘレンは裁判の過程で、それが自分の描いた贋作であると告白した。それどころか、本物であると名だたる専門家から折り紙付きの数点も彼の手による贋作だという。メーヘレンは自らの才能に自信を持っていたらしい。しかし認められなかった。贋作に手を染めたのは彼の画家としての才能を認めなかった「専門家」たちへの復讐の念ゆえであったというのだ。

この告白は誰にとってもにわかには信じられることではなかった。そこでメーヘレンは証拠としてもう一点「フェルメール」を人々の前で描いた。このあたりの経緯も興味のある人はもっと詳しくどうぞ。

日本でも永仁の壺事件というのがある。陶工加藤唐九郎による贋作?事件である。重要文化財に指定されるなど、その道の専門家の目をも欺いた点も似ている。白州正子さんとの対談の中で、そのうち真相を語ると言っているが果たさぬまま他界した。

メーヘレンは結局詐欺罪で禁固1年だったか服役中に獄死し、忘れ去られたが、加藤唐九郎はますます有名になった。僕の関心はそちらへ向く。この違いは何なのか?柳宗悦らの民芸運動をはじめ、作者の分からない陶磁器に本物の美を発見しようという、日本独特の美観が作用しているのだろうか。こんなことはいくら考えたところで結論は出ない。でも面白いことではないか。ものを考えるとは結論を出すこととは限らない。






贋物礼賛

2008年01月09日 | 芸術
フェルメールは大変好きな画家である。昨年「ミルクを注ぐ女」が来たのだが、混雑がいやでぐずぐずしている中に終わってしまった。ものすごく粗悪な画集をあらためて眺めて過ごす。救いようのない粗末な印刷なのに、しんと静まりかえった空気だけは感じ取る。考えてみれば不思議だ。本物とは何か?

僕の家はこの手のニセ物に溢れている。本物だったら大変だ。ソファーの横にフランス・ハルス、ピアノの向こうにはセザンヌといった具合だから。名画のコピーばかりではないか。その通り。理由は簡単、落ち着くからだ。今までに何度か、ああ欲しいなという「本物」に出会ったが高価で手が出なかった。「本物」を避けるのではない、経済が僕を避けるだけの話だ。壁に何かを架けるのならばせめて落ち着きを与えて欲しいのだ。

展覧会に行って「本物」を見るのも部屋でコピーを見るのも同じ僕だ。僕の心の側からするとそれだけは本物だ。アムステルダムの国立美術館やウフィチやクレラー・ミュラー、何遍も足を運んだところにまた行ってみたい気持ちは強い。ただ、画集に見入っているときにそんなことを考えていないのも本当だ。

本物を見ないと分からないというが、その前に親しんでいることはもっと大事だろう。僕の目なんぞは節穴だから正直に言えば本物をみたおかげで分かったことなぞめったにない。画集で見て詰まらないと思い、実物を見ていっぺんに宗旨替えしたのはブリューゲル(百姓ブリューゲル)くらいだ。

話のついでに部屋に架けてある複製について。これらは造幣局の版画師たちの技量を上げるため?の習作である。写真印刷と違って発色も美しくとても気に入っている。写真印刷が手軽に出来るようになるまではヨーロッパ中に複製専門の版画家がいたようである。ゴッホもそういう仕事に就こうかと真剣に語っている。僕のは造幣局の学習用という特異な目的のため、サイズが全部同じで、それだけは残念だ。ともあれ昔の絵画愛好家は今よりずっと美しいコピーを手に入れていたわけだ。今もそういう複製版画はどこかで刷られているのだろうか。知っている方はぜひ教えて下さい。