森と林という題でかきはじめて、すっかり脱線してしまった。この際もう少し、転覆くらいまで行ってしまおうか。
つい先頃、生徒からとんでもなく恥ずかしい駅名があると聞いた。恥ずかしいというのは僕の感想だが。「ふれあいの丘」という。「こもれび」の比ではないね。
地下鉄の駅なのに丘なのか、というのは笑い話だけれども。第一地下鉄だからと「ふれあいの地下」では怪しすぎる。
こうした駅名は一般公募から選ばれるらしい。それにしても全国に広がるふれあいの輪には閉口する。フワフワ、フワフワおべんちゃらを聞かされ続けているような心地がする。こうした言葉が氾濫する時にはよほどギスギスした現実があるのだと思って良い。
脱線の脱線をするかな。誰それと仲間たちと謳う室内楽が多いが、これも若い人風に言うと「キモい」ね。
麻雀にだって使わないぞ。四人が対等であるにも拘らず。重松と仲間たちなんて言い方はなぜ使わないか?四人が和気藹々と、あるいは丁々発止とプレーしているのは当然だからだ。
要するに仲間仲間と喚いていなければ、というのが不適切ならば努力しなければ繋がりを保てないのだ。
麻雀なんて、僕は勝ちも負けもしない。ところが僕達のメンバーにはいつも勝つ奴がいて、当然いつも負けて失意のうちに帰宅する奴がいる。にも拘らずまた日程を調整して集まる。日程調整を積極的にするのは誰あろう負ける奴である。定年退職を楽しみにしている奴までいる。
話は脱線まで戻そう。
そんなことから僕がずっとずっと昔から歯が浮く思いをしてきた駅名の来歴を調べたら、大体予想した通りだった。
「自由ケ丘」これは大正時代かと思っていたが、昭和初期であった。自由ケ丘、すでに有名な土地になったから今更だが、この夢見心地は中学生の頃から居心地悪い思いをしていた。
「希望ケ丘」もある。これは戦後すぐに公募の中から選ばれたそうだ。戦後すぐ、というのは調べるまでもなく見当がついていた。イヤだねえ。
これなぞは希望がない時代というよりフワついたというのが正確だろうか。
誰でも希望は持つ。だからこそその言葉は普段は秘められている。ペラペラ口に出すと瞬く間に色褪せ、嘘臭くなる。「希望・・ステキ」とはならない方が良い。
耳に心地よい言葉ほど注意深く使いたい。今回の脱線はここまでにしておこうか。
つい先頃、生徒からとんでもなく恥ずかしい駅名があると聞いた。恥ずかしいというのは僕の感想だが。「ふれあいの丘」という。「こもれび」の比ではないね。
地下鉄の駅なのに丘なのか、というのは笑い話だけれども。第一地下鉄だからと「ふれあいの地下」では怪しすぎる。
こうした駅名は一般公募から選ばれるらしい。それにしても全国に広がるふれあいの輪には閉口する。フワフワ、フワフワおべんちゃらを聞かされ続けているような心地がする。こうした言葉が氾濫する時にはよほどギスギスした現実があるのだと思って良い。
脱線の脱線をするかな。誰それと仲間たちと謳う室内楽が多いが、これも若い人風に言うと「キモい」ね。
麻雀にだって使わないぞ。四人が対等であるにも拘らず。重松と仲間たちなんて言い方はなぜ使わないか?四人が和気藹々と、あるいは丁々発止とプレーしているのは当然だからだ。
要するに仲間仲間と喚いていなければ、というのが不適切ならば努力しなければ繋がりを保てないのだ。
麻雀なんて、僕は勝ちも負けもしない。ところが僕達のメンバーにはいつも勝つ奴がいて、当然いつも負けて失意のうちに帰宅する奴がいる。にも拘らずまた日程を調整して集まる。日程調整を積極的にするのは誰あろう負ける奴である。定年退職を楽しみにしている奴までいる。
話は脱線まで戻そう。
そんなことから僕がずっとずっと昔から歯が浮く思いをしてきた駅名の来歴を調べたら、大体予想した通りだった。
「自由ケ丘」これは大正時代かと思っていたが、昭和初期であった。自由ケ丘、すでに有名な土地になったから今更だが、この夢見心地は中学生の頃から居心地悪い思いをしていた。
「希望ケ丘」もある。これは戦後すぐに公募の中から選ばれたそうだ。戦後すぐ、というのは調べるまでもなく見当がついていた。イヤだねえ。
これなぞは希望がない時代というよりフワついたというのが正確だろうか。
誰でも希望は持つ。だからこそその言葉は普段は秘められている。ペラペラ口に出すと瞬く間に色褪せ、嘘臭くなる。「希望・・ステキ」とはならない方が良い。
耳に心地よい言葉ほど注意深く使いたい。今回の脱線はここまでにしておこうか。