ドビュッシーの花火は華々しい音楽だと思っている人へ。
華々しい曲の割には打ち上がる花火はずいぶん少なくて寂しいと思わないだろうか?
隅田川でも熱海でもいい、眺めてそれに曲を付けようとしてみたらどうか。音の洪水のようになるだろう。
この曲に於いてはむしろ打上げ音の後の静寂に作曲家の努力は注がれているのではないか。
こういうところから、作曲家は花火大会の賑わいの中に入っておらず、ぼんやりと無感動に花火を眺めているように僕は感じる。最後に国歌の断片が聞こえるのも同じ印象を与える。
念のために付け加えると、以上を了解しなければこの曲が弾けないというのではない。fを華やかに弾かなければならないとムキになっているような演奏者が、ふと我に帰ることもあろうかと記したのである。
華々しい曲の割には打ち上がる花火はずいぶん少なくて寂しいと思わないだろうか?
隅田川でも熱海でもいい、眺めてそれに曲を付けようとしてみたらどうか。音の洪水のようになるだろう。
この曲に於いてはむしろ打上げ音の後の静寂に作曲家の努力は注がれているのではないか。
こういうところから、作曲家は花火大会の賑わいの中に入っておらず、ぼんやりと無感動に花火を眺めているように僕は感じる。最後に国歌の断片が聞こえるのも同じ印象を与える。
念のために付け加えると、以上を了解しなければこの曲が弾けないというのではない。fを華やかに弾かなければならないとムキになっているような演奏者が、ふと我に帰ることもあろうかと記したのである。