父が住んでいるので時折訪ねる。どんより曇った空の下では海も鉛色に広がる ばかりだ。
眺めていると、この景色からは「トリスタン」第3幕の開始、弦楽器群による変ロ短調の和音とそれに続く虚ろに空に上る眼差しのような音型は生まれないなとボンヤリ思う。
帰国後直ぐに親戚を訪ねて佐賀県に行った。玄界灘は日本の海の中では決して青く澄んだ海ではないが、それでも何と明るく伸びやかに見えたことか。
そんなことまでふと思い出す。
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無論、スタートからしばらくと最後の1、2時間を見ただけなのであるが。
耐久レースと聞くと何やら頑丈さを競うだけのような印象を与えるが、今日のレースはとんでもないレベルにある。僕は全くの素人だから、ただただ驚くしかないのだが、丸一日かけてのレースでも(当然真夜中でも)区間によっては時速300キロを優に超す。
そのような過酷なレースをずっとリードしていたのはトヨタのマシーンだった。ただ、驚くなかれ、24時間近く経った時点で2位のポルシェとの差はたったの30秒くらいだった。
残り時間があと5分ばかりになり、その差は急に90秒に開き、もう誰もがトヨタの初優勝を疑わなかった。ピットのドライバーやメカニック、そしてお偉方たちの安堵と喜びを押し殺した顔がなんども映し出され、独走態勢に入ったトヨタ車だけをカメラは追うようになった。当然のことだ。
しかし信じられないことが起こった。ドライバーが「ノーパワー!ノーパワー!」と叫び、あろうことかマシーンは止まってしまった。
いったい誰がこのことを予想しただろう。いったい誰がこの現実を受け入れられたであろう。ドライバー、メカニカー、その他全ての関係者、いや、世界中のTV観戦者でさえもが凍てつくような時間の中に立ちすくんだに相違ない。
今まで幾度となく書いてきたことだが、今回の結末の後、夢をありがとう、などと言うものはいない。僕がサッカーについて、これ以上強くなるはずがないと断定する、あのフレーズを発することは不可能である。改めてそれを思うしかない。
夢を夢で終わらせないだったか、そんなフレーズで語られる音楽の世界のことも頭をよぎった。ふわついた言葉はふわついた心からしか出ない。当たり前のことだが。
このレースを僕は忘れることはあるまい。
ドイツに住んでいた時、知り合いの日本人歌手が我が家に滞在したことがある。二期会で誰もが知る、有名な歌手である。
僕は仕事に出かけるので申し訳ないけれど一人で時間を潰してもらうしかない。そこで、レコードを自由に使ってもらうことにし、特に歌手のコーナーがお勧めだと言い残して出かけた。
夜帰宅すると家は真っ暗なのである。寝てしまったのかと部屋に入ったところ、床にへたり込んでいるではないか。ことの顛末はこうである。
退屈なので僕の言った通りにレコードを聴くことにした。どの歌手も知らない名前ばかりだったという。一枚かけてその素晴らしい声に驚いたそうだ。そこで次にもう一枚聴いたらこれまた驚嘆するしかない声だ。
そうやって次から次に聴いたのだが、どれも素晴らしくて文字通り腰が抜け放心状態のところへ僕が帰宅したのだという。どれもが素晴らしい、これは事実だ。なけなしの生活費をはたいて適当なものを買うはずがない。
以前書いたことがあるが、演奏する人たちは所謂音楽愛好家と比べると聴くことははるかに少ないものだ。それにしても往年の名演奏家くらいは、せっかく記録があるのだ、聴いてもらいたいものだ。
前置きが長くなったが。
マリア・チェボタリというソプラノを紹介しておく。愛好家には知られた歌手だろうが、本ブログを覗く人たちには馴染みのない名前かもしれない。非常な美声であるが、38歳だったか、36歳だったか、いずれにせよ若くして亡くなった。
リヒャルト・シュトラウスのお気に入りで、「サロメ」はチェボタリと決めていたという。(因みに「アラベラ」はデラ・カーザを指名したそうだ)
曲はここでもドイツ語によるヴェルディを。こういったよく響く声を聴き続けること、耳を養うには他に方法はない、残念ながら。
残念ながら?いい気分になるだけで耳が育つのだ、こんなに割りの良い話がまたとあろうか。音楽の勉強という言い方には尻こそばゆい気持ちになる。
ヴェルディはイタリアオペラの中では別格だ。オーケストラの単純な伴奏形を味わってもらいたい。どれほどの迫力を以って迫ってくることか。弾き方次第では演歌にも盆踊りにも聞こえてしまう単純な音形が。
チェボタリが唯一無二の存在だったわけではない。当時のベルリンのアンサンブルの層の厚さ、質の高さは無類であった。ハンゼンからも幾度となく聞かされた。芋づる式鑑賞法により僕もはっきりとそれを感じる。
若くして亡くなった美貌の歌手にキャスリーン・フェリアがいる。しかしこの人は戦後の人で、よく知られている。それにひきかえチェボタリは戦時中に活躍したような年代の人だからか、日本では一般には知られていない。それはいかにも残念なのである。本ブログを読んだ人の中から芋づる式に名歌手を知る人が出てくれたら嬉しいことこの上ない。
音楽の源流は歌にこそあるのだから。
芋づる式の手伝いをしておこう。チェボタリとペーター・アンダースの「ボエーム」のデュエットを。このテノールも働き盛りで交通事故で亡くなった。クナッパーツブッシュは彼の死を悲しみ、オペラハウスの楽員にこういったそうである。「諸君は私が寡黙であることを承知している。しかし今私は、彼の死によって我々はワグナーのテノールをもう有することはあるまい、と言っておきたい。諸君は後年私の言葉が正しかったことを思い出すだろう」
カタカナで検索してもほとんど出ないから、海外のYoutubeを検索したらいくらでも出てきた。ひとつ紹介しておこう。
序でにもう一人の大歌手との二重唱を。シュルスヌスといって、バリトンでありながらテノールをしのぐ人気があったと聞く。この人も前の記事で触れたように思う。神の声と讃えられたそうだ。ドイツ時代の生徒に老婦人がいて、この人はシュルスヌスを何度も聴いたと懐かしそうに話していたものである。
どちらも戦前のベルリンオペラのアンサンブルに所属していた。ここでの二重唱はヴェルディの「ドン・カルロ」だ。
音源を聴いてもらえば本稿の目的、ヘルゲ・ロスヴァンゲを紹介したいという目的は達成されるのだが、僕がこれらの歌手を知ったきっかけについてだけ記しておく。
最初、なぜだかもう記憶にはないのだが、ほんの3、4枚しか持っていなかったレコードの中にソプラノのエルナ・ベルガーのものがあった。
オペラのアリア集だったが、中には二重唱、三重唱のものもあった。この相手の歌手が実に上手なのである。自然にシュルスヌス、ペーター・アンダース、マリア・チェボタリ、ヨゼフ・グラインドル、そしてロスヴェンゲなどの名前を覚えていった。
これらの歌手のレコードを買う。するとまた他の名歌手に出くわす。芋づる式とはよくぞ言ったものだ。こうして僕の耳は作られていった。
今では(あまり感心しないとはいえ)YouTubeで次々に聴くことができる。感心しないと言いながら、この僕がロスヴァンゲを紹介しているのもYouTubeなのだから。このアイテムの欠点?は落ち着いて聴くことをしなくなる傾向ができることだ。それは注意したい。本当に良いと思ったならば是非CDを購入することをお勧めする。
試しに検索してみると、亡くなった時に出た記念CDは今でもアマゾンをはじめ、色々な所で手にすることができるようだ。
このピアニストは長年日本に住み、演奏と教育に尽力してきた人だ。
それにもかかわらず、名前で検索すると上記のCD紹介の他には、ひとりだけ受験の時に(だったかな)レッスンに行ったという記事が見つかるだけだ。
僕も名前だけは学生時代から知っていた。でもそれは誰かの経歴に書かれている名前として知っているに過ぎなかった。外国人がきわめて少ない時代だったから目立ったのであり、そのピアニストがどの様な演奏をし、レッスンをするのかを小指の先ほども知っていたわけではなかった。
少し前に偶然からこの人の録音を手に入れて聴いた。そして驚いた。
僕の学生時代にこれほど力量のあるピアニストが日本に住み、活動していたのだとは!
エッガーを名前しか知らなかったのは、僕が昔から所謂音楽界事情にまったく興味がなかったせいもあるだろう。
それにしても大きな話題になっていたならば、もう少し違った反応をしたのではなかろうか。師事した教師としてエッガーの名を載せている知己の誰からも彼について聞いたことはないのである。
録音にはシューベルトやトスティの弾き歌いまで入っているのだが、歌がまた実に上手い。そのまま声楽科の教授になっても良い。
昔ベルリンにロスヴェンゲという名テノールがいた。この人は化学専攻から独学で大歌手になったデンマーク人である。
少し脱線するが、当時の大歌手の経歴を見ると面白い。独学もロスヴェンゲのお家芸ではない。パツァークという名テノールもそうだし、バリトンでありながらテノール並の人気があったシュルスヌスなども郵便局員だったという。そうした話はそのうちに紹介しよう。
ロスヴェンゲは強靭な喉を持っていたらしく、公演を一度たりともキャンセルしなかったばかりか、キャンセルした同僚の代役として飛び入りで出演までしたという。
僕はこの歌手の録音を幾つか持っている。時には情念が燃え上がりすぎるのでは、と感じるほどだ。
エッガーの話が往年の大テノールの話になってしまったが、エッガーの歌うのを聴いてふとロスヴェンゲと同じような資質の人だと感じたからだ。(次の記事では出来ればロスヴェンゲを取り上げてみたい)
エッガーのピアノ演奏にようやく戻る。ショパンの「葬送ソナタ」からも歌で感じた特性ははっきりと聴き取れる。テンペラメントというのかしらん、奔放でありながら決して崩れたところのない見事な演奏である。叩き潰した音などはどこにもない。どうしてどうして、極めて高い能力を有したピアニストだ。
このような人が日本に住みながら、なぜ話題の中心の一人になっていなかったのか。僕には不思議でならない。大抵の場合がそうだ。神棚の上に祭り上げるか、無視を決め込む。エッガーの場合は後者かもしれぬ。もっとも、CDの宣伝文句には最後の巨匠とある。祭り上げて無視を決め込んだのだろうか。
生前に会う機会がなかったことが返すがえす残念な思いがする。せめて残された録音を聴こう。そして本ブログを読んだ人にも聴いてもらいたい。
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当初の計画では主立った地方都市で、芸大OBに予め選出された子供に教授陣がレッスンをするというものだったようだが、実際には、まず演奏のビデオを直接大学に送り、それにより選別することになったようだ。
また、開催される町もずいぶん多岐にわたり決定されている様子である。こうした変更はむしろ好ましいと僕は思う。
僕は残念ながらまだこの催しを聴きに行ったことがなく、何人かの感想文を読んだだけなのだが、公開のレッスンの雰囲気も当初考えられたようなものとはいささか違うのではあるまいか。
舞曲を習う際に教授がステップを踏んだりして楽しかった、このような感想文がある。つまり、ギスギスした緊迫した空気はなさそうである。
だが、と僕はここでも考えてしまう。(僕自身は早期教育がどうして必要なのか、よく分からないのは前の2つの記事で告白した通りだ。昨日投稿した記事は、実は発足する前に書いて、面倒臭いので打っちゃっておいたのに数行書き足したのだ)
ピアノを習う子供や関係者がギスギスせずに楽しむことは喜ばしいことなのかもしれない。しかし、その程度のレッスンは、むしろ子供を扱うことに慣れた先生の中にもっと上手に教えてあげることができる人がいるはずだ、と。
現役の芸大生による模範演奏もあるようだ。揚げ足をとるようだが、当の学生達の力量に不足を感じて発足したプロジェクトではないのだろうか。
早期教育が機能しておらず、遂に発足したプロジェクトというには、何とも半端な印象を受けるのは僕だけではあるまい。
ただでも多忙を嘆く教授連を動員してまで催す意味は、僕にはますます分からないというのが正直な感想である。
それを感じたから、打っちゃっておいた学長の挨拶文を読んだ時の薄っぺらい印象への感想文をも投稿しておこうと思ったのである。
もっとも、これまでの感想はあくまで参加者による感想文に基くものである。一度自身で足を運んでみなければと思っている。
芸大の早期教育プロジェクトについて学長の挨拶をみてみよう
曰く。
さらに、地域における卓越人材の発掘・育成はもとより、会場に集う全ての人々が“感動”や“ときめき”を体感・共有することで地域の活性化に繋げるなど、“音楽の魅力”や“芸術の力”を活かすことで、「地方創生」の一助となればと考えています。
この様なふわついた文章は一体誰が作るのだろう。演奏を聴いて、それも子供の演奏を聴いて「ときめき」を感じることはあるだろうか?
試しに「ときめき」をどんなシチュエーションで使うのか検証しよう。(どうだ、検証なんていうと偉そうだろう。丸谷才一は文章を書くコツはほんの少し気取ることだと、実に実際的な助言をしたが、この「検証」は何とも場違いな気取りすぎであるのは誰でも分かるだろう)
喜び、期待で胸がドキドキする。これがときめきの意味だ。
では宝くじが当たるように期待する時に使うか?使わないね。この場合は期待といってもどうせ当たらないという常識の方が強いからだと説明出来るかもしれない。
では野球でノーアウト満塁のチャンスを迎えた場合は?ここでもときめきなんて使わない。
それならばどんな時に使えるのだろう?
残念ながら僕には小説家になる種の才能が欠落している。色々なシチュエーションを案じることは難しい。平々凡々な例で勘弁して貰おう。
憎からず思っていた異性から誘いを受けたとする。彼は(彼女は)胸のときめくのを抑えることができなかった。
そんな風に使う。決して赤の他人である子供の演奏なぞに使う言葉ではない。うっかり使ったが最後、嘘だらけの大袈裟さを露呈してしまう。
上記の例にしたところで、すれっからしの男女に使う言葉ではないだろう。
思うにこのプロジェクトは充分に吟味された上でのものではあるまい。ただただ、早期教育は良いものに決まっている、そして我が国においてはそれが欠けている、という思い込みのみがあり、景気付けに感動とか、ときめきとかの最上級と思しき言葉を連ねた、そんな感じを抱かせる。
こんなうわっ調子の文章を芸術家を自認する人は書いてはならないのである。
芸術の力ということについても同様だ。なるほど芸術の力は、理を超えたものだろう。
しかしそれは騒々しいイベントからは遥かに離れたものだろう。
地方創生の一助、に至っては苦笑を禁じ得ない。クラシック音楽はそこまで人口に膾炙しているであろうか。僕は「私の存在感」と言ってのける人を知っているが、それと同じ滑稽さしか感じない。地方創生の一助を本気で言うのだったらあまりに自らを高く見積もり過ぎ、単なる挨拶だとしたらこれまた芸術家を自認する人が避けねばならぬ態度ではないだろうか。
繰り返しになるが、結局プロジェクト自体がしっかりとした認識を持っていなければ、それに関してこんな文章をものにするしかないということである。