五月二十日(日)14時から幡ヶ谷のKMアートホールにて。
新音楽講座と、何の変哲もない気が利かぬ名前にするのは、世の中に気の利いた、耳触りのふわふわしたイメージばかりが乱舞することへのせめてもの抵抗でしょうか。本当は「新」も要らないのです。それとも「音楽の喜びをともに」とか「たったひとりの音色を大切に」とかキャッチコピーを付けたほうが通りが良いのでしょうか。「美神の競演」「ピアノの貴公子」そういったことに僕がうんざりしている、と理解してくださればよい。
今回は前回に続きモーツァルト「後宮からの逃走」序曲の連弾用編曲を6年生で指揮者に憧れるという女の子が指揮をします。好きなことを直接してみたいという率直な気持ちを買って、これは色んな人への刺激になるかもと思いました。そこからピアノ、また演奏一般の諸問題に入っていければと考えています。一人でも多くの人が聴講に来て下さるとうれしいです。
何度か書いたのですが、身体と(正確に言えば体の動きでしょう)心は大いに関係がある。テクニックについてだと理解してもよい。その難問についてできるだけ具体的な形を示したいと願っています。
反論、質問歓迎です。反論はその場で、質問は当ブログコメント欄でも。
新音楽講座と、何の変哲もない気が利かぬ名前にするのは、世の中に気の利いた、耳触りのふわふわしたイメージばかりが乱舞することへのせめてもの抵抗でしょうか。本当は「新」も要らないのです。それとも「音楽の喜びをともに」とか「たったひとりの音色を大切に」とかキャッチコピーを付けたほうが通りが良いのでしょうか。「美神の競演」「ピアノの貴公子」そういったことに僕がうんざりしている、と理解してくださればよい。
今回は前回に続きモーツァルト「後宮からの逃走」序曲の連弾用編曲を6年生で指揮者に憧れるという女の子が指揮をします。好きなことを直接してみたいという率直な気持ちを買って、これは色んな人への刺激になるかもと思いました。そこからピアノ、また演奏一般の諸問題に入っていければと考えています。一人でも多くの人が聴講に来て下さるとうれしいです。
何度か書いたのですが、身体と(正確に言えば体の動きでしょう)心は大いに関係がある。テクニックについてだと理解してもよい。その難問についてできるだけ具体的な形を示したいと願っています。
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