はじめに断っておきたい。これはグールド論とはまったく無縁であるから、それを期待する人は、読まない方が時間の無駄が省ける。
この人について、僕は長い長い間、得体の知れないピアニストとして敬遠していたように思う。
彼の名前を何となく見聞きし始めたのは、たぶん小学校高学年から中学校はじめにかけてだったはずだ。それも録音を通してですらなく、演奏会を否定する「奇妙な」ピアニストとして、雑誌あたりで目にしたのではなかったか。
僕は、いわゆる音楽教育熱心な環境にいたわけではない。もしかしたら本当は、現代と変わらない、やたらに周りからあおり立てられる環境だったのかもしれないのだが。最近になって、昔のことを振り返ってみると、どうもそうらしいことに気付いた。
やたらに我がつよく、それでいて怠け者だったおかげで、渦からは完全に外れて、音楽とは牧歌的というべき関係を保っていた。音楽界のさまざまな因習、うわさ話等から完全に隔絶されて、ただもう心奪われていた。
そんな少年にとって、演奏会を否定するピアニストは、どういえば通じるだろう、否定のための否定、ただのアヴァンギャルドとして認識されたのではなかったか。当時本気で考えたはずがないけれど、その時の漠然とした反感だけは憶えていて、それを今日あえて意識してみるとそんな風に言うしかないのだ。
それでも一度だけ、あれっと思ったことがあった。中2か中3のはじめ頃、シュヴァイツァーが亡くなった。僕は彼のオルガン演奏のレコードを聴き、たしか「文化哲学」を読んでいたと思う。オルガン演奏はともかく、「文化哲学」のほうは以前書いたように、できる限りの背伸びの一環である。この本はそれ以来読んでいないが、いくつかの文章はよく憶えている。ということは、僕という人間の形成に影響力を持っていたことを僕は今日認める。(この一節だけ、なんだかスタンダールの自伝ふうになってしまった。これは読んでいて胸が苦しくなる種類の読書であるが、大岡昇平さんがスタンダールから文学に入ったことがいやでも分かる本だ。最近読んでいたら影響されちまった)
シュヴァイツァーが亡くなったことを悼む記事がいくつか出た。朝日新聞だったと思うが、グールドが書いていた。「シュヴァイツァーのような人が亡くなった今、人類の(だったと記憶する)尊敬と愛(この言葉は記憶が曖昧だが、意味はこんなもので間違いない)を一身に受けるのは、ユーディ・メニューイン以外にいない」
グールドが?僕が当時抱いていたイメージによるグールドの口から、このような言葉が出るのか?そもそも、グールドがシュヴァイツァーについて語るのか?メニューインについて語るのか?(これらは事情通ならば不思議でも何でもないことだ。グールドはメニューインとテレビ用に共演しているのだから)
今となっては、その疑問に対して、なぜ答えを見つけようとしなかったのか、理解に苦しむ。若くて愚かだったし、直面しているイライラに対応するのが精一杯だったのかも知れない。でも、それが良かったのだろう。その時に生半可な「正解」をしていたら、他の道を歩いていたかも知れない。
あとどれ程続くか分からないが、続き物にする。