映画を見ることは殆んどないのだが、総じて欧米の子役は演技が上手なように感じる。
(ずいぶん前のこと)ホームアローンという映画を見てその子役があまりに上手だったのでびっくりした。
ハリー・ポッターの第1作も見たことがある。あそこで出ている子供たちもなかなか上手だった。この場合は上手というより自然だというほうが適切かもしれない。
ホームアローンの子役は一躍有名になったという。やはり誰が見ても上手だったのだね。それでも彼の演技から感じるものもやはり自然だということなのだ。成人した後は何をしていたのか知らないけれど、数年前事件を起こして逮捕されたというニュースを見た。人が歳をとることは難しいのだと改めて思った。でもそれは別の話。
目を日本の子役に移してみると、何ともいえぬ感情に包まれる。欧米の子役から感じる自然さをまったく感じさせない。
簡単にいえば、子供におとなの真似をさせて傍からそれを眺めて「可愛い」と言う構図。
これをひっくるめて言ってみれば、日本の子役は大人の見た子供像、可愛いと言われる像を演じているのだ。自然なものを感じないのはそのせいだろう。
これはテレビの中ばかりではあるまい。ちょっと外出すればすぐに目に付く。
どうしてこんな不自然になってしまうのか、その原因を知ることはできないけれど、演出を可愛いと言わないですむ感性は身に付くと思うのだが。だって子供は勝手に振舞って、それが可愛いのでしょう。時にはむきになって歳以上に見せようとしたりするけれど、あくまで自然に振舞っていて、それが周囲にも伝わる。それを可愛いというのでしょう。
日本の子供が、大人の描いた子供像にひたすら自らを当てはめようとしている姿をしばしば見る。これは少なくとも欧米では見られない。行ったこともないがアフリカなどでも見られないような気がする。日本の子供は可哀想だと思う。
もう少し目を広げてみれば、おそらく子役に限ったことではあるまい。日本中あちこちで同様の過剰演出が行われている。
理想的な高校生像だってある。理想的な会社員像もありそうだ。理想的な教師像、上司像、ここらは時たま雑誌などで特集しているでしょう。
理想的なものばかりではないよ。ちょいと前にちょい悪おやじだっけ、そんなのが流行ったでしょう。あれだって同じさ。そこで期待される姿に自分をはめ込んでいく。
子役を見ているとその不自然さがいちばん感じやすいだけなのかも知れない。
(ずいぶん前のこと)ホームアローンという映画を見てその子役があまりに上手だったのでびっくりした。
ハリー・ポッターの第1作も見たことがある。あそこで出ている子供たちもなかなか上手だった。この場合は上手というより自然だというほうが適切かもしれない。
ホームアローンの子役は一躍有名になったという。やはり誰が見ても上手だったのだね。それでも彼の演技から感じるものもやはり自然だということなのだ。成人した後は何をしていたのか知らないけれど、数年前事件を起こして逮捕されたというニュースを見た。人が歳をとることは難しいのだと改めて思った。でもそれは別の話。
目を日本の子役に移してみると、何ともいえぬ感情に包まれる。欧米の子役から感じる自然さをまったく感じさせない。
簡単にいえば、子供におとなの真似をさせて傍からそれを眺めて「可愛い」と言う構図。
これをひっくるめて言ってみれば、日本の子役は大人の見た子供像、可愛いと言われる像を演じているのだ。自然なものを感じないのはそのせいだろう。
これはテレビの中ばかりではあるまい。ちょっと外出すればすぐに目に付く。
どうしてこんな不自然になってしまうのか、その原因を知ることはできないけれど、演出を可愛いと言わないですむ感性は身に付くと思うのだが。だって子供は勝手に振舞って、それが可愛いのでしょう。時にはむきになって歳以上に見せようとしたりするけれど、あくまで自然に振舞っていて、それが周囲にも伝わる。それを可愛いというのでしょう。
日本の子供が、大人の描いた子供像にひたすら自らを当てはめようとしている姿をしばしば見る。これは少なくとも欧米では見られない。行ったこともないがアフリカなどでも見られないような気がする。日本の子供は可哀想だと思う。
もう少し目を広げてみれば、おそらく子役に限ったことではあるまい。日本中あちこちで同様の過剰演出が行われている。
理想的な高校生像だってある。理想的な会社員像もありそうだ。理想的な教師像、上司像、ここらは時たま雑誌などで特集しているでしょう。
理想的なものばかりではないよ。ちょいと前にちょい悪おやじだっけ、そんなのが流行ったでしょう。あれだって同じさ。そこで期待される姿に自分をはめ込んでいく。
子役を見ているとその不自然さがいちばん感じやすいだけなのかも知れない。