季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

フレーズの最後の処理

2020年01月20日 | 音楽
ピアノを習った人はまず例外なくフレーズの終わりを小さく、絶対に大きくしてはいけませんと習ったはずだ。金切り声とともに記憶している人もいるかもしれない。

覚えがない人は次の3パターンのどれかである。

1:天才的で生まれながらにそう弾いていた。
2:言われていたのにそれを覚えていない。
3:その注意をされるようになるまで練習したことがなかった。

実際、教えていて(殆どの生徒は他の先生から移ってくるわけだから)よく教えが守られていることに感心する。

で、この教えが正しいのかといえばノーだ。「腑抜け」と題した文章で指摘したとおりだ。しかし余りに教えを守り抜いて自動化されているので、いくら注意しても直らないことが多い。

そんなこともあって日本人の弾くピアノはえらくちんまりしている。表情を出そうとすればするほど小さくなる。

日本人の弾くピアノと書いたが昨今では世界のどの地域のピアノ弾きも似たようなものなのだ。

観念的には長いフレーズでと思っているので、そうした意識が高ければ、そして表情を豊かにと思えば思うほど語尾が力なく消え去るのである。

メンデルスゾーンは歌詞の無い歌といって無言歌を書いた。それを逆から入ってみたら良かろう。歌曲をよく聴き、そのメロディをピアノで模倣してみれば良い。そうすれば僕のこの駄文は次第に無用になるはずである。

日本人以外のピアノ弾きにもアドヴァイスしたい処だが、残念ながらさっさと英文、独文をものにする能力が欠如している。