芸のないタイトルになっているが。
テンポひとつとってみたまえ。ずいぶん色々なテンポが可能なはずだ。そしてそれにつれてアーティキュレーションをはじめ、表現は変わってゆく。
ヘ短調インヴェンションを例にしようか。
今日もっとも多く聴かれるのは恐らくmoderatoでレガートを主体とする演奏だろう。
ところがこの曲はallegro giusto で演奏することもできる。こちらが多数派だった時代もあるのではないだろうか。この場合はノンレガート主体の演奏になる。
どちらが正しいのかという詮索はする必要がない。どちらも充分に音楽的である。僕自身あれこれの表情を楽しむ。
人の演奏を聴く場合はなおさらだ。ノンレガートで弾かれた演奏に対してレガートが出来ていないと論評するのは、うどんを注文してそば粉が入っていないとクレームをつけるようなものだ。
インヴェンションにせよ、平均律にせよ、すべての曲がこの様な多様性を持つわけではない。しかし半数くらいは様々な表現が可能だろう。
かつてある人と試験後にした会話を思い出す。バッハの曲について、あんなテンポあると思います〜〜?と言うのだ。ところが有るんだな、これが。
似たことはオーディションやコンクールの評でしばしば出くわす。それはいかにも残念なのである。
上記の曲でもよし、平均律vol.1変イ長調などでもよし。
後者なぞ驚くほど違った表情を見せてくれる。それを楽しんでみることを勧める。
テンポひとつとってみたまえ。ずいぶん色々なテンポが可能なはずだ。そしてそれにつれてアーティキュレーションをはじめ、表現は変わってゆく。
ヘ短調インヴェンションを例にしようか。
今日もっとも多く聴かれるのは恐らくmoderatoでレガートを主体とする演奏だろう。
ところがこの曲はallegro giusto で演奏することもできる。こちらが多数派だった時代もあるのではないだろうか。この場合はノンレガート主体の演奏になる。
どちらが正しいのかという詮索はする必要がない。どちらも充分に音楽的である。僕自身あれこれの表情を楽しむ。
人の演奏を聴く場合はなおさらだ。ノンレガートで弾かれた演奏に対してレガートが出来ていないと論評するのは、うどんを注文してそば粉が入っていないとクレームをつけるようなものだ。
インヴェンションにせよ、平均律にせよ、すべての曲がこの様な多様性を持つわけではない。しかし半数くらいは様々な表現が可能だろう。
かつてある人と試験後にした会話を思い出す。バッハの曲について、あんなテンポあると思います〜〜?と言うのだ。ところが有るんだな、これが。
似たことはオーディションやコンクールの評でしばしば出くわす。それはいかにも残念なのである。
上記の曲でもよし、平均律vol.1変イ長調などでもよし。
後者なぞ驚くほど違った表情を見せてくれる。それを楽しんでみることを勧める。