数日前に学校でのウサギの飼育について記事があった。この種の記事は数年に一度は繰り返される。
内容はと言えば毎度のことながら、繁殖しすぎる、不潔な環境、ウサギの受けるストレスなどの報告だ。他の話題で記事にするのは難しいのだろうか。
記事によると80匹にまで増えた学校もあるという。指導する立場の教員の知識が貧弱なのも問題で、彼らに対しての指導も必要なのだと指摘する。
ひとつ学校における動物飼育、を検索してみよう。
ウサギを家庭で飼っている人の憤慨、自身が子供だった時の学校ウサギの飼育状況への反省、獣医によるアドヴァイスなどが次から次へと出てくる。
共通しているのはこのように劣悪な環境下では飼育するべきではないという声なのである。
それはそれで良いと思う。ただ、ここでひとつ欠けていると僕が思うのは、学校で動物飼育をすること自体への疑念だろう。
既に本ブログで何度も書いたのだが、動物を飼育することにより子供たちが優しくなるという安直な発想は捨てるべきなのである。
子供たちは教師の思惑とは関係なく生活している。むしろ劣悪な環境に対して無感覚、無策な大人たちを見ているのだ。知らず識らずにそれを見て育つのだ。そう思う大人はいったい何人いるだろうか。
幾人かの子供は心ない飼育に憤慨するだろう。同時に教師の無関心をそのまま模倣する生徒もいるだろう。
そして優しい子を育てるというスローガンだけが居残る。世の中にスローガンほど無意味なものはあるまい。ここではむやみに立派な目標ですら可能になる。
実行することより少しでも立派な美しい言葉を掲げて唱え続ける。これがスローガンの持つ性質である。
愛情のある人間、然り。
強い人間、然り。
和を重んじる人間、然り。
団結心、責任感、平和、ぺんぺん草、然り然り然り。
誰も異を唱えることは出来まい。
飼育小屋をなくそう。これなら明日にでも実行に移せる。お題目ばかりの教育は子供にとって有害だ。そうした声は優しい子を育てるという魅力たっぷりのスローガンの前に影を潜める。