季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

無条件

2008年01月30日 | 
シェパードを飼い始めてから、もう25年になる。今いる子で3代目になる。最初の子はハンブルクに住んでいるときに、ほんとうにひょんなことから飼い始めた。

僕は子供の時から動物が好きで、鳩、金魚、兎、犬、猫、あと何だったかな、そうそう雷魚まで飼ったことがある。雷魚は怖い。池代わりの水槽に入れたらじっとして動かないので、心配して口の処にえさを持った手を差し伸べたら噛みつかれた。もっとも雷魚にしてみれば、慣れない環境で緊張していたら、わけの分からぬ子供が何度も口をつついたという次第で、噛みつく以外なかったろう。

今思い返すと、どの子達にもきちんとした環境や世話をしてあげられなかった。猫くらいだろうか。時間を取り戻せるならば、まずこの子達をもう一度飼いなおしたい。

そんな感慨を持つのも、3頭のシェパードは以前の動物たちとは比較にならぬ環境の許に暮らしているからだ。我が家にはその他2羽のウサギがいる。

ドイツでシェパードを飼い始めるなどとは予想もしなかった。ドイツで結婚するなどと予想もしなかったのだから、無理もないだろう。人生で計画を立てたところで仕方ない、という行き当たりばったりの生き方はこうやって確立されたのである。(と書くと論文にありがちな気取った感じになる)

人間にとって一人になる時間というものは大切だ。学生寮などでいまだに3人部屋、4人部屋があると聞いただけでぞっとする。潜水艦乗りというのは途轍もないストレスを抱えているそうだ。常に他人と顔を突きあわせているのは屈強な男達にとっても耐え難いのだ。

常に誰かに監視されているジットリした感じ、これだってたまらない。想像してみて欲しい。それが仮に恋人であっても、耐え切れまい。幸せな気分になるのはほんの数日だろう。

これが犬になると逆になるから不思議だ。考え事をしていて、ふと何か気配を感じる。見るとシェパードが僕を見つめている。心は一瞬にして和む。こんな強力な作用は他にだれが持っているだろう。

なんの保留も無しに自分の犬(犬に限らないけれど)を自慢できるのも面白い。誰かが自分の夫なり妻なりを、本気で「彼は(彼女は)すばらしくハンサムで(美人で)頭が良くて、性質も良くて・・・・」とやったらまずたいていの人は引いてしまうだろうね。鼻白むひともいるかな。

これが犬になると、僕のようなシャイな男でも「うちの子は・・・」と犬自慢がはじまる。いったいどのあたりまでがその手の自慢の種になるのだろう。ウサギも勿論なる。鳩もなりそうだ。雷魚になるとどうか・・。雷魚の好きな人にとっては自慢の種になるのか。それとも擬人化しやすい動物の方がそういうことには適しているのだろうか。

人がじぶん自身を労ることは、なかなか難しいだろう。犬を通して間接的に自身を労るのであろうか。そんなふうに思うこともある。

フランスにアランという哲学者がいた。数ページの短い文(プロポという)をおそろしくたくさん残した人だ。高校生のころ、この人の「幸福論」なる本を開いたところ、「犬が炉端であくびをする。心配事は明日に延ばせという合図だ」とあって大いに面食らったものだ。引用は正しいかどうか心許ないけれど。こんな一文も犬好きには非常に分かりやすい。

犬好きの人はよく「犬好きに悪い人はいない」と言うが、それだけはないな。ちゃんといますよ、悪いのも。我田引水も過ぎればただただ滑稽だ。

木のホール

2008年01月29日 | 音楽
県立音楽堂について、すこしほかのことも書いておこう。

このホールの音響の良さはすでに書いたとおり。ホールの案内でも、音響の良さがうたい文句らしい。ホールの自慢が音響の良さ以外にもあるらしいというのが腑に落ちないが、からむのはやめておく。

県立音楽堂のうたい文句にかならずついて回るのが「木のホール」のため音響がよいという説明である。

僕はこれは止めたほうが良いと思う。現代の日本人の最大の欠点が顕れていていやだ。町でよく手作りハンバーグとか、やたら手作りという語を強調した看板を見かけるでしょう。手で作ったものは旨いのか。旨いものは旨いから旨いのである。手で作ったから旨いのではない。旨いハンバーグだけで良いではないか。

手作り、手作りと僕らの世界が殺風景なのを言葉で糊塗している。

木のホールだから県立音楽堂は音響がよいのではない。音楽堂は良い音響で、それは木でできているのだ。東京文化会館はコンクリートむき出しであるが良いホールだ。

なぜ、こんなことにこだわるか。それは多くの人が耳を信じずに言葉を信じるからだ。いや、正確に言うべきだ。言葉を信じているわけでもない。言葉の漠然としたニュアンスに寄りかかっているのだ。木のホールが新しくできれば、すなわち良い音響だという。木イコールぬくもり、といった具合にイメージを付け加えていく。木のホールでも悪いホールはいくらでもあるだろう。判断できる自信のある人は何人いるか。それを僕は危惧する。

うたい文句は「木のホール」ばかりではない。長い残響然り。長い残響の度が過ぎれば、次にはほどよい残響といううたい文句が来る。多くの人が言葉と観念を身にまとってうろつく様を僕は見る。

神奈川県立音楽堂

2008年01月27日 | 音楽
神奈川県立音楽堂、その名の通り神奈川県にある。したがって訪れる人も限られているのだが、ここの音響は秀逸である。

フルオーケストラにはちょっと狭すぎる。しかし合唱、ピアノソロ、室内楽等、音が響くと同時に拡散せずに、手に取るように聴こえる。言葉にしてしまうと何のことはない、当然のことといった感じになるのが癪だが。

かつてこのホールに建て替えの計画が持ち上がって、一所懸命に反対の署名を集めたことがある。幸いホールは存続することになった。

さて書きたいのは実はそのことではない。いや、書きたい気持ちはやまやまだが、ホールの良さを言葉にするのは不可能に近いし、第一県立音楽堂の音響の良さは認知されているのだ。いまさら言葉を重ねても仕方がない。

書いておこうと思うのはこういうことだ。

せっかく存続しているにも拘わらず、このホールが有効には使用されていないようで大変残念なのだ。正確に言うと、ホールのクオリティに見合った使われ方をしていないのだ。

なるほど、使用されない日などは一日もなさそうである。が、くわしくホールの案内を見ると、高校のコーラス、ブラスバンド、そういった類の催しが大変多い。

彼らに責任はない。演奏家と自認する人たちが、見てくればかり良いみなとみらいホールを好んで使用する、そこが分からないのである。それとも彼らは単にホールの善し悪しが分からないのだろうか。

演奏会を催すには様々の条件を比較検討しなければいけない。それは理解できる。しかし、アクセスの利便だけを考えていては、自分にとっても不利なのだが。自分の音にある程度の自信がある人ならば、この音楽堂で弾いた方が、自分の意図したことが聴き手に届くのである。

と、弾き手に厳しい意見を述べた後で、公平を保つためにもうひとつ。アクセスの利便云々と書いたが、このホールが持つ最大の(と言ってかまわないだろう)問題は、かなり急な坂をえっちらおっちら上ったところに建っていることだ。年配の方、足を怪我した方には辛いことこの上ない。

ホールの他に図書館などの県の施設もあるのだ。利用者にとって不便だ。

移築するわけにもいかないが、せっかく技術も進歩したのだ、坂に屋根付きのエスカレーターを付けたらどんなに良いだろう。たいした予算はかからないと思う。一度は新しいホールを計画したくらいだ、それに比べればずっと安い。

もうひとつ、桜木町駅の、反対側に改札を設ける。この2点が実現するだけで県立音楽堂のアクセスの悪さは改善されてしまう。

みなとみらい(なんというひどい名前だ)側には動く歩道がある。じつに間抜けな感じである。こういう中途半端なアイデアを誰が出すのだろう。

県民の声をきく窓口に上記のようなアイデアを寄せる声が増えれば実現できるかも知れない。そうすれば、音楽堂を使って演奏会をする人も、遠慮無く案内できるだろう。今のままでは「大変申し訳ありませんが」という気持ちになるのも無理はない。

究極の贅沢

2008年01月27日 | 骨董、器


いつのことだったか、誰だったかまったく思い出せない。

多分雑誌か何かで読んだのだと思う。(我ながらこういう記憶がなくなりすぎる。だからこうしてメモのように書くことにしたのだが)

ある女性の父親が美しい器を集めていたそうだ。ある日、娘に「本当に気に入ったものがあればあげよう」と言った。

彼女は「こんなみすぼらしい家に住んでいて、器と釣り合いがとれないからいらないわ」と断った。

父親は「馬鹿、こういうみすぼらしい家に住んでいるからこそ、ひとつ本当に美しいものを持っておくのだ」と諭したという。

すばらしい父親だし、それを素直に受け止めた娘も素敵だ。器に限ったことではあるまい。こういったのを本当の贅沢というのだ。本当の贅沢を欠いた生活を貧しいという。

勝手に好きな?あばら屋を想ってみて欲しい。そこに大変美しい器がひとつ置いてある。器の周りの空気だけが張りつめている。音もなく、湿気も、暑気も冷気もない。そんな想像力ならば誰でもあるはずだ。素晴らしいではないか。美しいものにはそういう不思議な力がある。

現代人は美しいものを、生活の単なる潤滑油として捉えているのだろうか。衣食足りて知るのは礼節かもしれないが、美しいものへの心の働きは、はるかに本能的なものだと言ってよいと僕は思う。はるかな昔、狩猟に明け暮れ、あすの命も定かではなかった縄文人でさえも美しい土器を作った。そんな昔にさかのぼらなくとも、少し以前までは文明から隔絶された地に住む人々がまだ多くいて、彼らは実にきれいに我が身を飾っていたではないか。

いったいどんな心の働きによるのか。僕は分からない。僕が知っているのは、美しいものを求める心は、衣食足りた後の贅沢品ではないということだけだ。

もしこの文章を読んでくれた人が、はじめに挙げた父娘の話に少しでも共感したならば、その人の心の中にも、幾ばくかの似た心があるということなのである。

究極の正確さ

2008年01月25日 | 音楽
先日メトロノームについて書いていたら、僕がひとつ大切なものを失っていることに気付いた。ゴールドベルク変奏曲のCDだ。

むかしある人がこんな演奏はいかがでしょう、と持ってきたものである。たいへん参考になり、生徒たちにも聴かせたことがある。気が付いたら見当たらない。部屋を片づけたのがまずかった。散らかしたままにしておくべきだった。

これは実はコンピューターによる演奏である。持ち込まれたとき、あまりのばかばかしさに聴く気にもなれず放っておいた。それをある日急に思い立って、この際徹底的に馬鹿にしてやろう、と一念発起して聴いたのである。

この気紛れな思いつきは予想通りの結果しかもたらさなかった。CDをごみ箱へ放り込もうとした瞬間、もうひとつの気紛れな思いつきが芽生えた。そうだ、これをメトロノームにコンプレックスを抱いている人に聴かせよう、捨てるには惜しい、二度と手に入らないかも知れない。

こちらの思いつきは僕の予想をはるかに上回る働きをした。なにせ泣く子も黙るコンピュータだ。勘違い、思い違い、数え違いなどがあるはずがない。

究極の正確さによる早いパッセージを聴かせると、たいていの人が驚いて思わず口にするのだ。不埒千万にもコンピュータに対して「間違っている」と。

コンピュータが音楽的な演奏はできるはずがない、と全ての人が考えている。しかし、所謂正確さを必要とされる箇所を正確無比に弾くことだけはできる、とどこかで信じ切っている。

しかし論より証拠。機械的な正確さで弾かれると、面白いことに、つんのめって聞こえるのだ。僕らの用語で「ころぶ」というやつだ。逆はない。つまり、間延びして聞こえることはない。なぜかは分からないが。それを考えてもあまり実りはなさそうなので、うっちゃってある。

ドガは走る馬、踊り子など動きというものに関心をもった画家であった。そのころ写真技術が発達し、飛ぶ鳥や走る動物の様子が人間の肉眼で見るのとは大いに違ったことを教えた。ドガも大変驚いた。写真は画家に動きを見る目を教えた。

音楽ではそうはいかない。コンピュータの「転んだ」演奏から、新しい正確さを知った、という演奏家は現れるはずがない。トスカニーニが生きていないのはかえすがえす残念だ。コンピュータに向かって「No!No!」と絶叫しただろう。そして現代の演奏も少しは違ったことになったかも知れない。

コンピュータの扱いに自信のある人はひとつ作ってみたらいかがだろう。たとえば二声のインベンションのヘ長調などを使って。僕もCDを見つけ出さなければ。



良い耳

2008年01月24日 | 音楽
インタビューされるくらいだから、きっと著名な演奏家なのだろう。自分は小さいころから耳が良かった。どんな小さな音も聞き逃さず、みんなから「うさぎちゃん」と呼ばれていた、云々。こんな記事を読んで吹き出したことがある。

でも本人も気付かないことなのだから、人は案外読み飛ばしてしまうかも知れない。現在の音楽を見聞する機会が増えれば増えるだけ、そんな気がしてくる。

音楽家に耳の良さは必要不可欠だが。でもいったい何人の人が良い耳とは何だろうと問いかけただろうか。良い耳とは良い耳のことでしょう、訊くまでもない。第一そんなこと考えても仕方がないではないか。そんな声まで聞こえる気がする。僕の妄想であれば幸いだ。

猫舌とは敏感な舌のことだ、と言っても間違いではない。しかしどこかのシェフが「私の舌は猫舌です、おいしくお召し上がり下さい」と言ったらどうだろう。

まあ、小さな音をも聞き逃さない、というのは忘れよう。たしかに良い耳ではある。こんなことに突っかかるのは横車に等しい。自慢さえしなければ見逃していたことだ。

さて、あらゆる和音を聴き分けるのも当然良い耳だ。リズムやテンポの変化を感じ取るのも。しかし、それらに劣らず大切なのはニュアンスに対する反応であろう。ニュアンスというと強弱をはじめとする音量の増減を指すのが一般であるが、今僕が言うのは(それを含んでも良いけれど)声や音の調子のことである。

恋する者は恋人の声の微細な変化にも気付くであろう。自分の聴き取りたいニュアンスのかすかな徴を受け取ろうとして耳を澄ます。

それを聴き分ける能力、音楽におけるもっとも大切な能力はこのような「質」を聴き分ける能力だろうが、それは傍からは容易に判定できないほど密かに隠されてもいる。とても聴音などで訓練したり、判定したり出来るものではない。

耳を澄まして、もしかしたら鳴っていない響きまで聴こうとする。その努力を耳というのだ。そこには非常な緊張が張りつめるだろう。ぼうとした耳に、もしも実際にはない恋人の声が聞こえたら、それは単なる妄想である。音ならば耳鳴りである。

ある音をどう聴いているか、どこに焦点をあてて聴いているか、それがその人の感受性そのものと言ってもよい。ことばで説明しようとすると大変難しくきこえるのであるが。

フルトヴェングラー最終弁論

2008年01月23日 | 音楽
中学生になったころ始めてベートーヴェンのシンフォニーを聴いた。レコードを買って、それがたまたまフルトヴェングラーだった。中学生の懐にとってレコードは決してたやすくできる出費ではなかったから、何点も聴き比べた結果であるが、なにしろ子供のこと、偶然に過ぎない。すでに人の風貌には関心が向いていたから、もしかすると彼の風貌に惹かれたのかもしれない。

次第に、オーケストラ作品でフルトヴェングラーの演奏があればそれを買うようになって、そのうちに著書にも親しみ始めた。相前後して、ナチスドイツでの行動について記述された本や記事に接し始めたように記憶する。自分が気に入った演奏家が、人間としてもきわめて正直な人であったことに少年の僕は満足した。

フルトヴェングラーは戦後、ヒトラーへの協力的態度を疑われて長い裁判にかけられた結果、ようやく無罪を勝ち取って演奏に復帰できたのである。彼の戦時中の行動はいまだに賛否の間を揺れ動いている。ほとんどが、戦争中にヒトラーのドイツに留まったことの是非なのである。

つい先頃、この非ナチ化裁判におけるフルトヴェングラーの最終弁論を、これまたネット上で、見つけた。

こういう人のどこが問題になるのか。これほど力強い、確信に満ちた言葉を僕は知らない。盛大な拍手が鳴りやまなかったそうだが、それもむべなるかな。実際に語られる声を聞いた人にとってはなおさらであっただろう。

周知のようにカザルスは独裁政権に抗議してスペインを後にした。彼もまた及びがたい信念の人であった。

カザルスはフルトヴェングラーとは違った行動をとった。しかし非難することはしなかったと僕は想像する。この最終弁論における確固とした、それでいて柔軟な心の動きはまさにフルトヴェングラーの演奏そのものだ。あのような演奏をする人が、このように考え行動したのだ。人の心を打つ、とはこうした徹底であって、あれやこれやの立場、意見ではないのである。

僕はパソコンの扱いに不慣れで、この最終弁論の載ったサイトをここに記すことができない。フルトヴェングラー最終弁論で検索すれば出るので是非読んで欲しい。日本語訳も適切且つ平易にされていて読みやすい。ドイツ語に関心のある人はドイツ語でも載っているのでどうぞ。僕の怪しげなドイツ語能力でも、非常に格調高い文だと感じる。

先達て力士、文士の士は侍の意であるが音士というのは無い、と書いた。実際は楽士という呼び方があるが、これではさむらいという感じはまるでしないので、やむを得ずごまかしたのだ。楽士フルトヴェングラーではどうにもならないでしょう。つまり楽士ということばは日本語になりきっていないということだ。文士と同じような風格の音楽家は我が国にいなかったともいえるのである。

僕はこの人のレコードを手にした偶然に感謝する。



ベートーヴェンとメトロノーム

2008年01月22日 | 音楽
メトロノームが発明されたとき、ベートーヴェンは小躍りせんばかりに喜んだという。これで馬鹿なやつらに私の曲の正しいテンポを示すことが出来る、というわけだ。

さて時が過ぎ、彼が自分の曲をメトロノームに合わせて弾いてみたところ、全くうまくいかない。「こんなものは悪魔の発明だ」と叫んで投げ捨てたそうだ。

ベートーヴェンが癇癪持ちだったおかげでこういう逸話も残る。それを読んだ人はいかにもベートーヴェンらしい話だと笑う。


上記の逸話を読み人が安心するのは、ベートーヴェンといえども自分と同じ欠点を多少なりとも持っていたのだ、という安堵感からだろう。


ひとつ逆を考えてみよう。あなたが作曲をする。べつに名曲である必要はない。ひとつひとつの音符をメトロノームに合わせて確認するだろうか?これは付点八分音符か、はてさて複付点かと。そんな人がいるはずがない。(と言ったものの多少の不安が残る。猫も杓子も原典版だ、この調子ならハノンの原典版がでるかも、と冗談を言ったら本当にあった。そこまでこだわるのならアノンと表記すればよいものを。世の中は広い)

さてその曲をメトロノームに合わせて弾いてみればよい。やはりうまくいかないことが判るだろう。つまりベートーヴェンの場合と同じである。してみるとベートーヴェンと一般人の差は、かたやたたき壊し、こなたは自分が間違っているかもと恐れる、そこにしかない。

以前ジュリアードのピアノ科教授の講座があった。僕は行かなかったけれども詳しい講義内容を見せてもらった。

曰く、まずメトロノームでよく練習しなさい。そして勿論それでは音楽にならないから、徐々に外していきなさい。

こういう時、僕は反射的に「勿論」に目がいく。

彼はメトロノームに合わせたら音楽にならぬことを承知しているのだ。そして少しずつそこから(テンポを)外して行きなさいと。いったいどうやって?外していくのもあなたの感覚を用いてだろう。

長年音楽の中で生きてきて、こんなことしか言えないのだろうか。ずいぶん寂しいことだと思う。

現代人の中にはどうしようもないほど大きな科学コンプレックスがあるのだと言わざるを得ない。何をびくびくしているのだろう?メトロノームはイン・テンポを示すことは出来ない。刻まれた時間と流れる時間は違う、それだけのことだ。

この結論は分かりにくいと思う。そういう人たちが時々このブログを覗いてくれると嬉しい。僕としてはこの結論の周りを巡って行ければと思っている。


高い買い物

2008年01月19日 | 音楽
高い修理代があったから、今度は何の買い物か、と期待した人にはお気の毒さま、肩すかしかもしれない。

ピアノを選定するのは難しいという話だ。新品でも難しいのだが(本当はね)それでも、いいえ、私はこれが好きです、と言い張られればどうぞと言うしかない。それで不都合はない。所謂不良品など出回ってはいないのだから、その点から言えば「安全」なのである。

では中古はどうか。ここでは様相はがらりと変わる。ここでは鮫肌あり、ヤーさんのような音あり、くぐもり声あり、死んだものありで、良い条件の下うまい具合に育った(あるいは保たれた)楽器は考えられているよりずっとずっと少ない。

プレイエルはショパンが好んだ楽器だという知識が生半可にあるおかげで、耳は観念に引きずられてしまう。僕はプレイエルの話をしているのではない。どのメーカーでも同じである。多くの人がそうやって、僕から見ると危なっかしい買い物をしている。

ピアノアトラスという冊子がある。売っているのかな。これは現在に至るまでの全てのメーカーの製造番号を列記したもので、そこにある番号を見て楽器の製造年を特定できるというものである。4545○○のスタインウェイは1977製造といったふうに。

この冊子に記載されているメーカーの数は膨大なものだ。有名な大メーカーから小さな、数年造って消え去ったものまで合わせて何百もあるだろう。数える気は起きないが、こだわりのある人はどうぞ。そして教えて下さい。

消え去ったメーカーは必ずしも質が悪かったわけではない。中にはびっくりするくらい上等なものもあるのだ。経済力に劣って撤退を余儀なくされたものもたくさんある。いつの時代でも、どの製品でも同じである。

ドイツに住んでいて一番楽しかったことのひとつが、中古楽器を見て回ることだった。時折すばらしい音の楽器に巡り会う。誰も知らない、とうの昔につぶれたメーカーであれば、値段は笑いたくなるくらい安い。

度胸のある人はひとつこういう楽器を探してみてはいかが。安いといっても数十万(場合によっては一桁に近いくらいのこともあったが)はする。いざ買おうと思ったら耳を試されているのがよく分かるだろう。

骨董では買わなければ分からぬ、という。もっと徹底すればニセ物を買えずに骨董が分かるか、というところまでいく。楽器だって同じである。懐を痛めるだんになれば、とたんに気が弱くなるものだ。第一試されるのは耳でもあるが、楽器を扱う技量でもあるのだから。

僕の所有しているスタインウェイのアップライトはブラームスが生きていた時代のものである。昨年亡くなった調律師の辻文明さんをはじめ、多くの技術者の方が「家一軒分かかりますね、すばらしい出来映えだ」と感嘆する。これは、でも40万円くらいで購入したのである。

刀剣を扱う業者の言葉をひとつ紹介しておこう。刀を扱う手つきでその人の鑑識眼が判る。「あとはもうなにを仰っても駄目でございます」

高い修理代 2

2008年01月17日 | 骨董、器
心臓部が壊れた古い時計を直してくれそうな人を見つけたことを書くはずだったのに、話がそれて長くなり仕切り直しだ。

ネットで検索することを思いつくまでに時間がかかったが、思いついたらすぐ行動できるところは便利ではある。何件かのホームページのうち、これは時計が好きなだけではなく、時計という機械を通して人間的な何かを見ていそうだ、という人を見つけた。幸いごく近い。

あやうく見落とすような、店構えとは言えないほど箱だの紙だのが散乱した店。どう見ても店じまいしたような店舗に入り、お母さんと覚しき老婦人から最近の時計屋事情、店の由来などを聞きながら待つこと小一時間。

ようやく来た店主は40過ぎくらいだろうか。二言三言会話しただけで、この人なら直せるのではと期待感がふくらんだ。ホームページの印象通り、徹底的にこだわる人らしい。ただ、職人というよりロマンティストだと感じる。

持参した時計を見るなり「良い時計ですねぇ」レンズを眼にはめて機械部分を詳しく見ながら「もったいないことをしましたねぇ」「以前に手をいれた人はとても良い仕事ぶりです」「うちのホームページで修理例に挙げてあるのよりずっと良い品です」とまるで独り言でも言う口調で話す。

ネジを巻くためのスクリューというのだろうか、それもオリジナルで一層価値がある。それが無いと値打ちがガクンと下がるのだとか、文字盤の材質も上等だとかひとしきり講釈を受けた。楽しかった。

どうやらこの人の中には、時計が作られた時代や、その時計を所持、使用していた人を「追憶」する傾向があるようだ。

乱雑にうち捨てられたように見える箱や紙は全てが日本全国から送りつけられた壊れた時計とその部品である。中には沖縄とか長野の住所が貼り付けられた、開封前の箱もある。汚れた紙は、それぞれの時計の油を拭き取って置いてあるのだ。整頓なぞしてしまったらかえって混乱するのだそうだ。

肝腎の僕の時計だが、直せるかも知れない、断言はできないとのことだった。古いものを直すのは基本的には同じものを買ってそこから部品を取るのだそうだ。でも僕のと同じものを手に入れることはまず不可能、何とか工夫する以外に無い、という。

保証は出来ないし、修理代は十万から二十万はかかる、いつ出来るかも約束できない、数年かかるかも知れない。自分の気分次第だ、とのことである。僕は、構わない、それでお願いすると言った。この人なら多分やり遂せるだろう。ここで無理なら諦めもつく、そう思えた。買った値段よりも高い修理代だが、それは僕の気持ちひとつ。

数年は長い。でもすぐ出来たら支払いに困るというのが本当のところだ。ここ数ヶ月はビクビク、その後は首を長くして待つことにしよう。

これを書いていて気付いたのであるが、預かり証もなにももらっていない。こういうところも気に入った。

東京町田にある橋本時計店といいます。興味のある方はHPをご覧になると良いです。なかなかおもしろいです。