季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

絨毯

2009年11月18日 | 骨董、器
我がボロ家を建ててすでに20年経つ。歳月人を待たず、なんていう言葉が身にしみるなあ。

シェパードのいない生活をするつもりはまったく無かったので、抜け毛対策としてすべての部屋をフローリングにした。犬を飼っている人にしか理解できない悩みである。

さて、いざ生活を始めてみると、床が安物のフローリングむき出しだと何とも殺風景である。ウィークリーマンションだってそんな寒々しいことはあるまい。

かくして我が家の絨毯選びが始まった。

これもまた楽しいものである。その楽しさはハンブルクで毎日のように絨毯屋の前を通って、ガラス越しに(きっと羨ましそうに)覗き込んでいた時から知っていた。

あれは良い、これは下品だと買いもしないのに品定めばかりしていた。

ペルシャ絨毯といえばわが国ではほぼ決まった文様ばかり目にする。メダリオンという文様である。

それはつまらない。大きなモスクの石の床には似合うかもしれないけれど、日本の家屋に似合うものは少ないだろう。

また、シルクを高級品だと決めてしまっている人も多いようだ。実際はウールのほうが発色もよく、質感も豊かである場合が多い。

「ペルシャ絨毯文様辞典」というのがある。一時絨毯が面白くて仕方がないころ書店で見つけて、喜んで購入した。ひと口にペルシャ絨毯といっても、なかなか日本には入ってこない、複雑なのにすっきり素敵な文様もある。

アンティークとして非常な価値のあるものばかり載っている。これをコピーして載せようかと思ったが、画像検索をかけたらどこか都心の店らしいものを見つけた。

この店は良いものを扱っているようだ。画像だけで判断してしまうけれど。興味を持った人はホームページに行って、さらに関心があれば訪ねてみたらいかが。「文様辞典」を載せるより面白そうだからこちらを載せておく。

なに、買わなくても訪ねて行くとよい。何でも実地で見ておくと目が肥える。買わなければ本当の目にはならないというのも真理だが、まず何となくの感じをつかむだけでもよい。

たとえばオルゴールの飛び切り綺麗な音を知りたければ、デパートの宝石売り場に行き、リュージュ社の製品を聞かせてもらうとよい。ハイドンやブラームスを弾く人には是非とも一度聞いてもらいたい音だ。

売り場の人には申し訳ないけれど、ここはひとつ勘弁してもらおう。感激して買ってしまう人がいないとも限るまい。絨毯屋だって同じことだろう。

まず関心を持つ人を増やして目を養っておけば、その人たちの中から本当に値打ちがあるものを買ってみたいと思う人が育つのだ。

僕が求めた絨毯はなかなかのものですぜ。どうです、こう書かれるとホントかいな、と心が動きませんか。

本当のことだけを書いておくとね、5,60年は経っているのです。さいわいまだ擦り切れていない。その時期はまだ染料が自然のものばかりで、発色が美しい。婆さんと歳のいかぬ女の子たちが辛抱強く織ったのだろうか。そんな空想も楽しいのである。

絨毯といえど工業製品の側面もあり、同じ型自体は残っている。一度都心の絨毯屋で偶然我が家のものとまったく同じ文様の絨毯を見たことがある。

色の配置まで一緒だったが、現代に織られたその絨毯は、もうまるで違う生き物のように思われた。価格はほぼ同じだが、こちらはくれると言われてもお断りするような代物であった。色彩が死んでいるのである。

上に載せた写真の店を検索したところ、これらの絨毯は展覧会のために置かれているもののようだ。きれいなはずである。

ついでに国内の絨毯屋を検索していたら「足で踏める唯一の美術品」だったかな、そんなコピーがあった。

本当にそうだ。壁に掛けたって面白くない。床に敷いて毎日踏まなければ。






青山二郎

2009年07月02日 | 骨董、器
昨年、いや一昨年になるのか、世田谷美術館で青山二郎展が開催された。会場は空いていて落ち着いて見ることができるのがありがたかった。青山二郎とは、と書いてみてはたと困る。展覧会というからには何かが展示されたのである。

展示されたものは、彼が収集した焼き物だ。しかし、その道の人だと紹介できない、不思議な人なのだ。絵も描いた。本の装丁もたくさん手掛けた。それらはどれも実に独特な、正確さと美しさを併せ持つものだ。それにも係らず、すべてが余技であった人。

知る人ぞ知る、天才、奇人である。知らない人のために少しだけ紹介しよう。実は展覧会を見た後すぐに書いておこうと思ったのだが、どうにも書きようがなくてずるずると引き延ばしてきたのだ。彼には「陶経」という本があるけれど、難解で、それをブログで書く気には到底なれず、とはいっても紹介したい、というのが本当のところなのだ。

青山二郎という人は、小林秀雄さんの周りの文士たちと深い交流のあった人である。深い交流というよりも、大きな影響を与えた人というべきだろうか。

僕は昔小林さんの全集で知り、ついで河上徹太郎さんの書くもので知り、宇野千代さんの「青山二郎」白洲正子さんの「いまなぜ青山二郎なのか」など、目に入るものを次々に読んできた。

ここに載せた写真は骨董屋における小林さんと青山さんの姿だ。若いころ見て、近づき難い迫力を感じた。最近は「トンボの本」で青山二郎特集があって、若いころの風貌に接することもできる。それをネットで探して載せようと思ったがなかなか見つからなかったので、気になる人は本屋で立ち読みして見てください。いや、できたら購入することを勧める。僕は人を顔で判断することが多い。ここで見られる若い青山二郎の顔には圧倒される。

河上さんが青山の風貌を、ヴァレリーのテスト氏を思わせる、つるんとした顔に眼光だけ鋭い、と書いていたように思うが、まさに言いえて妙だ。

若くして死んだ中原中也をはじめ大岡昇平などの文士だけにとどまらず、その辺のおかみさんやバーのマダム、ありとあらゆる人と隔てなく付き合ったのだそうである。そこいら辺の感じもよく窺える。

上述の白洲さんや宇野さんの本もじつに克明に青山二郎の人となりを伝えているのはさすがであるが、それでもかなり手を焼いている様子なのが見て取れる。二人とも、話題をあちらこちらに散らしながら、何とかこの人の魅力を伝えようと努力している。しいて言うならば、宇野さんは女の目で、白州さんはそれよりも直接人間としてぶち当たって見ようとしている。

小林さんとの出来事を綴った「高級な友情」という本もある。様々な人に大きなインパクトを与えていた人であることの証である。

僕が読んだ限りにおいては、洲之内徹さんが書いた短文がいちばんしっくり来るように感じた。

実際に青山さんについて書かれている箇所はじつにわずかなのだ。洲之内さんの文章は、相変わらずあっちへふらふら、こっちへふらふらしながら、いつのまにか対象の内側に入り込む。とても真似できるものではない。

いろんな人との会話の中で偶然幾度も青山二郎の名前が出て、州之内さんは、名前だけはとうに知っていた青山という人について思いをめぐらせる。

最後に、この何ものでもないというのが青山二郎なのだ、と納得するともなく納得していく。そこの呼吸がじつにうまい。「きまぐれ美術館」というシリーズが洲之内さんにはある。そのどこかに入っている。

どの巻にある、と紹介するのが不親切なのは分かっているが、僕はこのブログを、ほんのちょっとした暇を見つけては、ほとんど即興的に書いている。本箱を探すだけの時間はないのだ。

興味を持った人は、青山二郎についてでなくても構わない、どの巻でもよいから読んでみることをお勧めする。青山さんも、現代では洲之内徹だけを批評家と見做すと言って、芸術新潮を読んでいたそうだ。

青山二郎を知ろうと思ったら、白洲さん、宇野さんをはじめかなりの量があるから、どれでもまず読んでみるとよい。

室町の鈴

2008年11月04日 | 骨董、器
馴染の骨董店で買ったものである。

写真では伝わらないが、それも安物のデジカメで撮ったものだからなおさらであるが、この肌合いがなんとも好きである。

工業製品と違って、大小のでこぼこがたくさんある。その手触りが目にも映る。

僕にとっては高い買い物だったが、一目で気に入って買った。
室町時代のものだろう。中に入っているものが、時代が下れば金属の塊になるのだが、これは小石が入っている。写真で見えるだろうか。中に見える白いものがそうだ。

と書いて2枚目の写真を載せようとしたが、どうやるものだか見当がつかない。説明を読んであれこれ試みるがうまくいかない。そもそも、説明はパソコンにある程度以上慣れ親しんだ人しか分からない書き方をしている。不親切といおうか、とにかく不愉快になって本文に戻ってきた。

中に白いものはここに出した写真では見えない。底面に割れ目が入っていて、そこから白い小石が覗いているのだ。写真はピンボケながら、石がはっきり写っている。載せられないのが残念だ。そのうちに写真だけ載せるかもしれない。ピンボケのね。

鈴は魔よけに使われたらしい。人によっては、こんな古びたものを家に置いていたらよけい貧乏神が取りつくのではと敬遠するかもしれない。ほんとうにそうかもしれないね。貧乏神は我が家にしっかりと住み着いているもの。

僕は系統だった勉強が何より嫌いだった。知識もそれに伴って貧弱なものだ。ただ、こんな鈴を眺めていると、いつのまにか、これをどんな人が所有していたのだろう、とか実朝の暗殺の記録とかがえらく身近なものに思えてくる。時代は少しずれるが、まあ室町以前に鈴はあったであろうし、それなら勝手に空想した方が買った甲斐もあろう。

小学校のころ、歴史も好きだったな。それが中学に入ると、もう無味乾燥で、それが歴史という「学問」だと思わされるものだから、俺は歴史は嫌いだ、となってしまった。高校ではそれに拍車がかかった。

今では再び自由さを取り戻している。僕はどうも学校でする勉強方法は性に合わないのだな。あらゆる科目にいえるね。待てよ、そうすると単なる出来損ないというのかね。本当はそういう人がいっぱいいるのだろう。ただ、僕のように我儘に強引に振舞うのをためらっただけなのだろう。

歴史を研究する人と僕ら演奏家とどこが違うのだろう。少なくとも18,9世紀に関しては、ほとんど同じことをしているのである。

もっと思い切って言えば、一人の人間の中に入り込もうと努める点では、歴史家の比ではないのだ。その人を生きてみようというのだから。ヴァレリーが歴史を嫌悪した理由はよく分かる。訳知り顔をする歴史に対してなのだ。

例えばベートーヴェンを演奏する。そうすると、作品に入り込めば入り込むほど、この人がナポレオンと同じ時代の空気を吸っていることを実感せざるを得ない。僕自身がベートーヴェンという男を体験する。そんな感じかな。僕は巷間言われるような時代考証について、大して関心がない。むしろ道筋は逆ではないかとさえ思っている。

今、歴史家たちは名高い人物よりも、その周辺に暮らした人、あるいはまったく世に知られていなかった人々の資料を発見しては考察を推進する。

阿部謹也さんという学者の著書は親しみやすい。この人はたしか一橋大学長を務めたように記憶するし、よく読まれた本が多いから知った人もいるだろう。

ヨーロッパ中世が専門だったはずだ。読んだことのない人は読んでみることをお勧めします。鹿爪らしい感じがなくて、昔のヨーロッパを旅するような気持ちになれます。

室町の鈴がいつのまにかヨーロッパ中世に関する本の紹介になったが、構うことはあるまい。

古伊万里

2008年02月09日 | 骨董、器


古伊万里というものは雑器であるから、気楽に買える。値段の方からいえばそんなに気楽に買えるものではないけれど。どう言えばよいか。使い易いとでも言うかな。それほど特別な眼が要るわけではないし。

訳知り顔で書いているが、実は買ってくるのは家内である。馴染みの骨董屋がすぐ近所なので、買い物のついでに寄っているらしい。らしい、というのも僕はほとんど毎日自宅にいるのに、レッスン室にこもったまま何時間も過ごし、家内の生活パターンを窺うことができないからである。

僕は大体が不注意に暮らしている男で、生活空間にぴったりした器であれば、それが新しく購入されたものであることに気付かないことがよくある。食事をしながら「気が付かないの」と訊ねられる。よく見ると見たことのない器である。女房が代わっていても気付かぬかもしれぬ。

古伊万里は江戸中期までだ。初期伊万里は完品はほとんどない。そんな能書きはどうでもよい、古伊万里が使い易いというのは、たとえばサン・ルイ社のワイングラスや銀製のナイフ、フォークと実によく合うといったことだと思えばよい。

骨董の用語で感じが来る、というのがある。感じが来るのまではまあ、なんとか来る。その後にものが見えるという。ここまで行くのが難しいのだという。白州正子さんの文章によく出てくるから目にしたことのある人は多いかも知れない。いや、感じが来るのだって充分難しいです。

よく分からぬようで、しかし耳に置き換えると実によく分かる。

ふだん使う飯椀で気に入ったものは家内と息子が取ってしまった。何のことはない、こよみ手という文様の、すっきりした円錐に高台が付いただけのものだが、質素な武家で背筋を伸ばした男とその妻が食っていたのだと思いたい。そんな風情だ。

むぎわら手のお気に入りの椀があるのだが、やや大振りで、ダイエット中の身にはちょいと大きすぎる。そのうちに技術をマスターしたら写真を載せても良いと思っている。

僕もきちんとした椀で食いたいと不平を言ったら、重ね松という文様のふっくらした椀を買ってきた。重松だからと、駄洒落のような買い物である。これも悪いものではない。けれど、金満長者とまではいかないが、羽振りのよい町人が笑いながら食っているようで、僕は好かない。

僕らの前に幾人もの人が使っていたわけで、その人たちを空想するのは実に楽しい。

ところで我が家のウサギは一匹は真っ黒で、この子に赤絵の皿でえさをあげたらさぞ可愛いだろうと思い、適当なのを見つけてもらった。世界広しといえど伊万里の赤絵で食べているウサギは他にいまい。

この皿も何十年も経ったら誰かの手に渡るであろう。その人も僕同様、どんな人が使ったのだろうね、と過去に想いをはせるだろう。まさかウサギとは思うまい。ざまあみろ、だ。


究極の贅沢

2008年01月27日 | 骨董、器


いつのことだったか、誰だったかまったく思い出せない。

多分雑誌か何かで読んだのだと思う。(我ながらこういう記憶がなくなりすぎる。だからこうしてメモのように書くことにしたのだが)

ある女性の父親が美しい器を集めていたそうだ。ある日、娘に「本当に気に入ったものがあればあげよう」と言った。

彼女は「こんなみすぼらしい家に住んでいて、器と釣り合いがとれないからいらないわ」と断った。

父親は「馬鹿、こういうみすぼらしい家に住んでいるからこそ、ひとつ本当に美しいものを持っておくのだ」と諭したという。

すばらしい父親だし、それを素直に受け止めた娘も素敵だ。器に限ったことではあるまい。こういったのを本当の贅沢というのだ。本当の贅沢を欠いた生活を貧しいという。

勝手に好きな?あばら屋を想ってみて欲しい。そこに大変美しい器がひとつ置いてある。器の周りの空気だけが張りつめている。音もなく、湿気も、暑気も冷気もない。そんな想像力ならば誰でもあるはずだ。素晴らしいではないか。美しいものにはそういう不思議な力がある。

現代人は美しいものを、生活の単なる潤滑油として捉えているのだろうか。衣食足りて知るのは礼節かもしれないが、美しいものへの心の働きは、はるかに本能的なものだと言ってよいと僕は思う。はるかな昔、狩猟に明け暮れ、あすの命も定かではなかった縄文人でさえも美しい土器を作った。そんな昔にさかのぼらなくとも、少し以前までは文明から隔絶された地に住む人々がまだ多くいて、彼らは実にきれいに我が身を飾っていたではないか。

いったいどんな心の働きによるのか。僕は分からない。僕が知っているのは、美しいものを求める心は、衣食足りた後の贅沢品ではないということだけだ。

もしこの文章を読んでくれた人が、はじめに挙げた父娘の話に少しでも共感したならば、その人の心の中にも、幾ばくかの似た心があるということなのである。

高い修理代 2

2008年01月17日 | 骨董、器
心臓部が壊れた古い時計を直してくれそうな人を見つけたことを書くはずだったのに、話がそれて長くなり仕切り直しだ。

ネットで検索することを思いつくまでに時間がかかったが、思いついたらすぐ行動できるところは便利ではある。何件かのホームページのうち、これは時計が好きなだけではなく、時計という機械を通して人間的な何かを見ていそうだ、という人を見つけた。幸いごく近い。

あやうく見落とすような、店構えとは言えないほど箱だの紙だのが散乱した店。どう見ても店じまいしたような店舗に入り、お母さんと覚しき老婦人から最近の時計屋事情、店の由来などを聞きながら待つこと小一時間。

ようやく来た店主は40過ぎくらいだろうか。二言三言会話しただけで、この人なら直せるのではと期待感がふくらんだ。ホームページの印象通り、徹底的にこだわる人らしい。ただ、職人というよりロマンティストだと感じる。

持参した時計を見るなり「良い時計ですねぇ」レンズを眼にはめて機械部分を詳しく見ながら「もったいないことをしましたねぇ」「以前に手をいれた人はとても良い仕事ぶりです」「うちのホームページで修理例に挙げてあるのよりずっと良い品です」とまるで独り言でも言う口調で話す。

ネジを巻くためのスクリューというのだろうか、それもオリジナルで一層価値がある。それが無いと値打ちがガクンと下がるのだとか、文字盤の材質も上等だとかひとしきり講釈を受けた。楽しかった。

どうやらこの人の中には、時計が作られた時代や、その時計を所持、使用していた人を「追憶」する傾向があるようだ。

乱雑にうち捨てられたように見える箱や紙は全てが日本全国から送りつけられた壊れた時計とその部品である。中には沖縄とか長野の住所が貼り付けられた、開封前の箱もある。汚れた紙は、それぞれの時計の油を拭き取って置いてあるのだ。整頓なぞしてしまったらかえって混乱するのだそうだ。

肝腎の僕の時計だが、直せるかも知れない、断言はできないとのことだった。古いものを直すのは基本的には同じものを買ってそこから部品を取るのだそうだ。でも僕のと同じものを手に入れることはまず不可能、何とか工夫する以外に無い、という。

保証は出来ないし、修理代は十万から二十万はかかる、いつ出来るかも約束できない、数年かかるかも知れない。自分の気分次第だ、とのことである。僕は、構わない、それでお願いすると言った。この人なら多分やり遂せるだろう。ここで無理なら諦めもつく、そう思えた。買った値段よりも高い修理代だが、それは僕の気持ちひとつ。

数年は長い。でもすぐ出来たら支払いに困るというのが本当のところだ。ここ数ヶ月はビクビク、その後は首を長くして待つことにしよう。

これを書いていて気付いたのであるが、預かり証もなにももらっていない。こういうところも気に入った。

東京町田にある橋本時計店といいます。興味のある方はHPをご覧になると良いです。なかなかおもしろいです。