我がボロ家を建ててすでに20年経つ。歳月人を待たず、なんていう言葉が身にしみるなあ。
シェパードのいない生活をするつもりはまったく無かったので、抜け毛対策としてすべての部屋をフローリングにした。犬を飼っている人にしか理解できない悩みである。
さて、いざ生活を始めてみると、床が安物のフローリングむき出しだと何とも殺風景である。ウィークリーマンションだってそんな寒々しいことはあるまい。
かくして我が家の絨毯選びが始まった。
これもまた楽しいものである。その楽しさはハンブルクで毎日のように絨毯屋の前を通って、ガラス越しに(きっと羨ましそうに)覗き込んでいた時から知っていた。
あれは良い、これは下品だと買いもしないのに品定めばかりしていた。
ペルシャ絨毯といえばわが国ではほぼ決まった文様ばかり目にする。メダリオンという文様である。
それはつまらない。大きなモスクの石の床には似合うかもしれないけれど、日本の家屋に似合うものは少ないだろう。
また、シルクを高級品だと決めてしまっている人も多いようだ。実際はウールのほうが発色もよく、質感も豊かである場合が多い。
「ペルシャ絨毯文様辞典」というのがある。一時絨毯が面白くて仕方がないころ書店で見つけて、喜んで購入した。ひと口にペルシャ絨毯といっても、なかなか日本には入ってこない、複雑なのにすっきり素敵な文様もある。
アンティークとして非常な価値のあるものばかり載っている。これをコピーして載せようかと思ったが、画像検索をかけたらどこか都心の店らしいものを見つけた。
この店は良いものを扱っているようだ。画像だけで判断してしまうけれど。興味を持った人はホームページに行って、さらに関心があれば訪ねてみたらいかが。「文様辞典」を載せるより面白そうだからこちらを載せておく。
なに、買わなくても訪ねて行くとよい。何でも実地で見ておくと目が肥える。買わなければ本当の目にはならないというのも真理だが、まず何となくの感じをつかむだけでもよい。
たとえばオルゴールの飛び切り綺麗な音を知りたければ、デパートの宝石売り場に行き、リュージュ社の製品を聞かせてもらうとよい。ハイドンやブラームスを弾く人には是非とも一度聞いてもらいたい音だ。
売り場の人には申し訳ないけれど、ここはひとつ勘弁してもらおう。感激して買ってしまう人がいないとも限るまい。絨毯屋だって同じことだろう。
まず関心を持つ人を増やして目を養っておけば、その人たちの中から本当に値打ちがあるものを買ってみたいと思う人が育つのだ。
僕が求めた絨毯はなかなかのものですぜ。どうです、こう書かれるとホントかいな、と心が動きませんか。
本当のことだけを書いておくとね、5,60年は経っているのです。さいわいまだ擦り切れていない。その時期はまだ染料が自然のものばかりで、発色が美しい。婆さんと歳のいかぬ女の子たちが辛抱強く織ったのだろうか。そんな空想も楽しいのである。
絨毯といえど工業製品の側面もあり、同じ型自体は残っている。一度都心の絨毯屋で偶然我が家のものとまったく同じ文様の絨毯を見たことがある。
色の配置まで一緒だったが、現代に織られたその絨毯は、もうまるで違う生き物のように思われた。価格はほぼ同じだが、こちらはくれると言われてもお断りするような代物であった。色彩が死んでいるのである。
上に載せた写真の店を検索したところ、これらの絨毯は展覧会のために置かれているもののようだ。きれいなはずである。
ついでに国内の絨毯屋を検索していたら「足で踏める唯一の美術品」だったかな、そんなコピーがあった。
本当にそうだ。壁に掛けたって面白くない。床に敷いて毎日踏まなければ。
シェパードのいない生活をするつもりはまったく無かったので、抜け毛対策としてすべての部屋をフローリングにした。犬を飼っている人にしか理解できない悩みである。
さて、いざ生活を始めてみると、床が安物のフローリングむき出しだと何とも殺風景である。ウィークリーマンションだってそんな寒々しいことはあるまい。
かくして我が家の絨毯選びが始まった。
これもまた楽しいものである。その楽しさはハンブルクで毎日のように絨毯屋の前を通って、ガラス越しに(きっと羨ましそうに)覗き込んでいた時から知っていた。
あれは良い、これは下品だと買いもしないのに品定めばかりしていた。
ペルシャ絨毯といえばわが国ではほぼ決まった文様ばかり目にする。メダリオンという文様である。
それはつまらない。大きなモスクの石の床には似合うかもしれないけれど、日本の家屋に似合うものは少ないだろう。
また、シルクを高級品だと決めてしまっている人も多いようだ。実際はウールのほうが発色もよく、質感も豊かである場合が多い。
「ペルシャ絨毯文様辞典」というのがある。一時絨毯が面白くて仕方がないころ書店で見つけて、喜んで購入した。ひと口にペルシャ絨毯といっても、なかなか日本には入ってこない、複雑なのにすっきり素敵な文様もある。
アンティークとして非常な価値のあるものばかり載っている。これをコピーして載せようかと思ったが、画像検索をかけたらどこか都心の店らしいものを見つけた。
この店は良いものを扱っているようだ。画像だけで判断してしまうけれど。興味を持った人はホームページに行って、さらに関心があれば訪ねてみたらいかが。「文様辞典」を載せるより面白そうだからこちらを載せておく。
なに、買わなくても訪ねて行くとよい。何でも実地で見ておくと目が肥える。買わなければ本当の目にはならないというのも真理だが、まず何となくの感じをつかむだけでもよい。
たとえばオルゴールの飛び切り綺麗な音を知りたければ、デパートの宝石売り場に行き、リュージュ社の製品を聞かせてもらうとよい。ハイドンやブラームスを弾く人には是非とも一度聞いてもらいたい音だ。
売り場の人には申し訳ないけれど、ここはひとつ勘弁してもらおう。感激して買ってしまう人がいないとも限るまい。絨毯屋だって同じことだろう。
まず関心を持つ人を増やして目を養っておけば、その人たちの中から本当に値打ちがあるものを買ってみたいと思う人が育つのだ。
僕が求めた絨毯はなかなかのものですぜ。どうです、こう書かれるとホントかいな、と心が動きませんか。
本当のことだけを書いておくとね、5,60年は経っているのです。さいわいまだ擦り切れていない。その時期はまだ染料が自然のものばかりで、発色が美しい。婆さんと歳のいかぬ女の子たちが辛抱強く織ったのだろうか。そんな空想も楽しいのである。
絨毯といえど工業製品の側面もあり、同じ型自体は残っている。一度都心の絨毯屋で偶然我が家のものとまったく同じ文様の絨毯を見たことがある。
色の配置まで一緒だったが、現代に織られたその絨毯は、もうまるで違う生き物のように思われた。価格はほぼ同じだが、こちらはくれると言われてもお断りするような代物であった。色彩が死んでいるのである。
上に載せた写真の店を検索したところ、これらの絨毯は展覧会のために置かれているもののようだ。きれいなはずである。
ついでに国内の絨毯屋を検索していたら「足で踏める唯一の美術品」だったかな、そんなコピーがあった。
本当にそうだ。壁に掛けたって面白くない。床に敷いて毎日踏まなければ。