まず断っておきたいのは、僕は音楽評論をあまり読まない。吉田秀和さんの文章に触れてみるつもりだが、かつて読んだ記憶だけが頼りだということ。したがって引用はかなりアバウトなものになる、ということである。しかし文意ははっきりと覚えているものしか書かないから、責任は取ることができよう。
もうひとつ言っておきたい。僕が触れるのは演奏評をする吉田さんだということ。これはいずれ本文中にも触れるかもしれないが、忘れるといけないから今言っておく。
最近、と言ってもだいぶ以前かもしれない。僕はちょっと以前にね、いつごろ?平安時代にね、なんて調子で顰蹙をかっているから、時間の観念が欠落しているのかもしれない。
仕切り直して。最近、吉田さんが昔の演奏家を語っていた。エドウィン・フィッシャーは本当に立派な演奏をしていた、「生で」聴けてよかったと。
羨ましい限りだ。こと音楽に関しては、あと数十年早く産まれたかったと切に思う。吉田さんの聴いた演奏会は(たぶん)50年代のザルツブルク音楽祭でのフィッシャートリオ(ヴァイオリン=シュナイダーハン、チェロ=マイナルディ)だと思う。吉田さんが若い時分の文章でも触れていたはずだ。ヨーロッパ便りとかそんなタイトルだったように記憶する。
そこで書かれていることをざっと紹介すれば、もっともフィッシャーについてそんなに多くの行がついやされていた覚えはないのだが、よい演奏だった、しかしフィッシャーも衰えた(年をとっただったかもしれない)印象を受けた。こんなことだった。
ところでその演奏会だと思われる録音を僕は持っている。そこでのフィッシャーは衰えたどころか、楽器を扱う途方もない「筋力」を感じさせる。
吉田さんがこれを衰えたと聴いた理由を推察すると、その後の評論の疑問を解く糸口になりそうだ。
僕は吉田さんの経歴を詳しく知っていないけれど、おそらくこの時の渡欧以前に生のフィッシャーを聴いていないのではなかろうか。僕と同じように録音で(平均律ピアノ曲集やベートーヴェンの「皇帝」)親しんでいたのだろう。「皇帝」に関しては「自分に羞恥心がなければ、これこそ皇帝だと叫んだであろう」といった表現もあったように記憶する。
この「皇帝」の演奏が会場でなされて、吉田さんがそれを聴いたと仮定する。彼は「フィッシャーも衰えた」としみじみ書きつづると僕は確信する。
「黄金の中庸」で書いたように、大きなエネルギーが集中された時、響きは柔らかくなる。信じられないほど柔らかく響く。このことは僕にとってはコンラート・ハンゼンの記憶とかたく結ばれている。
僕はハンゼンの許で学んだため、レッスン中真横で弾く彼の音、ホールでの音、その演奏をふたたび録音でも聴く、という体験をくりかえした。録音で聴くとひとつひとつの音の密度が異様に高く、まるで羊羹のような手応えなのだ。それは真横で聴いていてもそうだった。それがホールでは聴いたことがないほど柔らかに響くのだった。
長いこと師事しているうちに、会場での音ももちろん密度を持った音にきこえてくるのだ。ただ、渡独の前に日本で彼を聴いたときの印象も忘れたわけではない。ずっしりした手応えと柔らかさ。直接耳に来るのではない音。
これは理解というより触覚にうったえる質のものだった。そのときにとてつもないエネルギーを、音自体のもつとてつもないエネルギーを感じたわけではないのだ。それを僕は後になってつくづく思い知ることになった。
仮に吉田さんが上記の演奏会の前後に間近でフィッシャートリオの練習を聴く機会があったら心からびっくりしただろう。(これら一連の演奏曲目のうちシューベルトだけは練習風景が録音されている。じつにおもしろい。聴いてみることをお薦めする)
彼に欠けているのは、ある音がより広い空間でどう響くかという、いわば「翻訳」の経験なのである。そのチャンスは彼になかったし、きこえる音が全てだという「正しい」観念がそれを支えてしまった。