かれこれ三十数年前になるだろうか。小林秀雄の講演が次々とカセットになって売り出された。
そのうちの5巻が学生達との質疑応答だった。足掛け十余年にわたる記録である。
僕はひと通り発売とともに買い興味をもって聞いたものだ。学生がどの様な質問をしているのか、それに対し如何なる答えをするのか。
全部で何人の学生が発言したのか数えてはいないが、質問する学生の声が大変不安定で失望したのである。
ものを知らないのは一向に構わない。己に自信がないのも当然である。ただ、質問自体がいかにも無理やり捻り出したとでも言おうか、その人の心の底からの疑問になっていないのが声から判る。声は嘘をつけないものだと痛感したものだ。
その中でたったひとり声のトーンに無理がなく、大学での授業に対する疑念をぶつけている人がいた。今はもう80歳を超えているだろうか。どの様な成長を遂げたのだろう。
そんな人がいた。僕の記憶に残っているばかりである。
ところがつい先ごろ、これらの質疑応答が文字起こしされ本になっていることを知った。
後書きによれば小林さんはこれらを活字にすることはおろか録音することも固く禁じていたそうである。
それは余りに惜しいと密かに録音していた主催者たちが遺族の了解の下活字化したという。
なるほど一字一句僕の知る録音から変えられているものが無い。
活字化された学生達の質問も確かに未熟である。しかし質問のための質問とでも言おうか、そこから来るフワフワした感じは音声抜きだとかなり緩和されてしまうものだと思った。
先に挙げたただひとりの質問者も文字だけで読めば他の人同様未熟なのである。音声になると印象に大きな差が出るのがいかにも面白かった。演奏と全く同じことだと改めて思った次第である。