先日のワルトシュタインの冒頭が何故単音か、というなぞなぞへのヒント。
写真は主題の確保と呼ばれている部分である。
主題の確保というのは簡単に言ってしまえば、その主題の性格を端的に示しているわけで、そこから主題の感じ方、まぁカッコ良く気取れば解釈が確立する。
つまり写真の音型からどんな演奏が要求されるか?という問いが
そのまま冒頭が単音の理由なのである。
不定形のざわめき、広がり、このソナタが単純にヴィルティオーゾ型の大ソナタなんて思っていたらとんでもない、途方もなく大きな広がりを持つ大ソナタだ、と感じさせる。
冒頭の連打は絶対に鍵盤から指が離れず、連打というより音の震えのように響くべきだろう。
ヒントも何も、言葉では全部言ってしまったが。
そのうちこの手の素朴な疑問を幾つか紹介しようか。案外マンネリ化した心に気づくものだ。