季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ヒント

2013年11月22日 | 音楽


先日のワルトシュタインの冒頭が何故単音か、というなぞなぞへのヒント。
写真は主題の確保と呼ばれている部分である。

主題の確保というのは簡単に言ってしまえば、その主題の性格を端的に示しているわけで、そこから主題の感じ方、まぁカッコ良く気取れば解釈が確立する。

つまり写真の音型からどんな演奏が要求されるか?という問いが
そのまま冒頭が単音の理由なのである。

不定形のざわめき、広がり、このソナタが単純にヴィルティオーゾ型の大ソナタなんて思っていたらとんでもない、途方もなく大きな広がりを持つ大ソナタだ、と感じさせる。

冒頭の連打は絶対に鍵盤から指が離れず、連打というより音の震えのように響くべきだろう。

ヒントも何も、言葉では全部言ってしまったが。

そのうちこの手の素朴な疑問を幾つか紹介しようか。案外マンネリ化した心に気づくものだ。

もう一枚

2013年11月17日 | その他
上から見た景色。もっとも僕は見たことがない。

台所で料理しながらこの緑色が見える。そうだ、煮えるまで散歩しよう、そうしてすっかり忘れてほっつき歩き、何度鍋を焦がしたことか。大家のボイトラーさんが「あなたのために新品のコンロをしつらえていたのですよ・・」と焦げだらけのキッチンを見てあきれていた。親切なお婆さんだった。

使い物にならなくなった鍋がうず高く積まれて、レッスンの帰りは中央駅近くで新しい鍋を買って帰るのがお決まりだった。僕がうっかりものなのではない。きっと景色が美しすぎたのだ。

続き

2013年11月16日 | その他
続きの画像。

前の記事で正面から写っていた家が左手のオレンジ色の屋根の家。駐車している青い車のわきから入るのである。
道の右手にはひときわ大きな屋敷が続く。

撮影ポイントから右に数軒行くと森の入り口である。

下宿

2013年11月15日 | その他
ちょいと前に予告した画像です。

僕は27歳から29歳までこの家に間借りしていた。ふと思いついて通りを画像検索したらまさに僕のいた家が出てきたのである。

この黄色い家の2階二部屋が僕の部屋である。大変懐かしい。一生の一番元気な十年を、この家を皮切りにこの町で過ごしたわけだ。

複数の画像を載せたいのだが、どうもうまくいかない。まず正面からのを。これでは「ハンブルクの田園調布」が分からないだろうから、後日改めてアップします。


今さらだが

2013年11月12日 | 音楽
持っているCDをパソコンに取り込もうと思い立った。ようやく外付けHDDに保存する方法を知ったら何やらしなくてはならぬと思ってしまったのである。 我ながら馬鹿だと思う。

それでもあっと言う間に1枚のダビングが終わる、便利なものだ。独り悦に入っていた。

ところが何しろ相当な数がある。しかもきちんとフォルダ分けしないと何のための仕分けだか分からない。

演奏家によっては同一音源でカップリングが違うような場合、同一曲で演奏日時が違うことも多い。きちんと整理することは必須である。

まぁ相変わらずの次第である。ただ、合間合間に聴くことは楽しい。モイーズ、クライスラー、フィッシャーと名前を挙げていくだけでも、どの人も自分の音を持っていたと改めて思う。

僕はラフマニノフの演奏を好まないが、ショパンのマズルカなどで驚くほど美しい音を奏でる。

とっくに知っていたことであるが、改めて耳にすると身が引き締まる。

こんな調子では整理が完了するのはいつのことやら。パソコンが壊れてしまわないように、と願っている。

何か目新しいことがあるとこうして試す。実はこの記事も、携帯から投稿出来ると知って早速実行してみているのだが、全体を見ながら書くことができないからね。

僕は原稿用紙に書くのが好きだな。失敗してクシャクシャに丸めるのもなんだか良いと思いませんか?

試しに

2013年11月10日 | 音楽
やまかたさんのアドヴァイスに従ってデジカメで楽譜を撮影してみた。試しにこれをアップロードしてみよう。

これだけではあんまりだから、ひとつ問題を。

ワルトシュタインの冒頭だが、ご覧のように最初の音だけが単音になっている。これはなぜか?こういうのが所謂楽曲分析の盲点なのである。

みなさん各自考えてもらいたい。

画像が思ったより大きくなったが、きっと面倒な手順がいるに決まっているからこのままにしておく。


画像検索

2013年11月06日 | その他
ドイツでの初めの2年間、僕はハンブルグの田園調布と呼ばれるお屋敷街に間借りをしていた。
呼ばれるなんて言ったって、僕が勝手に言っているだけだが。

平成のバッハとか、日本のピカソとか言いますね。この場合、言われた方が本家を凌ぐことはないのも誰でも承知している。
しかしハンブルグの田園調布に至ってその常識は覆される。本家田園調布は足元にも及ばない。

と、まるで田園調布に住んだことがあるような言い方をしてしまった。すまん、すまん。

話を続けよう。ひょいと思いついてその通りの名前で画像検索をしたら何と僕が住んでいた家が出てきたのである。それも2枚も。
家の色もまったく変わらず、僕はちょいと不意を突かれたような気がした。窓辺に写っているのが僕だったら背筋が寒くなるが、幸いそうではなかった。

その写真をここで載せようと思ったが、ここしばらく画像を載せておらず、そのやり方をまったく失念していることに気づいた。

これを書き始めてから気づいたので、もたもたするのも業腹だから予告と言う形にしておきましょう。

次の記事がなかなかアップされなかったら、馬鹿な奴だ、重松は。また理解できずにイライラしているのだろう、と思ってください。

譜例

2013年11月03日 | 音楽
ホームページにせよ、本ブログにせよ、ちょっと譜例を入れたらどんなに分かりやすいかと思う。しかし楽譜作成ソフトはずいぶん高価だ。僕は自らの人生経験上、買っただけで使いこなせず、いつしかゴミに成り果てることを知っている。エヘン。

生徒の一人がそれを聞きつけて、スキャンして取り込んでみてはどうかと言う。なるほど、それは可能かも、ちょうど安物を一台買おうかと思っていた。そして今(というかここ数か月)僕の目の前にそれはある。

あとはスキャンして試すだけである。

にもかかわらず腰が重いんだよなあ。やればなんでも勝手に作業が進む、それがパソコンだと承知しているが、何とも億劫だ。それともこの腰の重さは僕の性質かしらん。そんな気もする。散らかすだけ散らかしてある日突然片づけを始めるものなあ。

このままでは購入した機器だってゴミになる。何とかしよう。楽譜ソフトの方が安かった、では洒落にならないや。


自主規制

2013年11月02日 | Weblog
イギリスBBCにトップギアという番組がある。車好きの人のためのバラエティー番組だ。人気が高く、もう何年もわたって続いている。

僕がこの番組を紹介する理由はたったひとつ。日本のメディアと比較してもらいたいと思うからである。

では何を比較するのか。

番組の自由度、そしてそれ以上にそこから垣間見える社会の成熟度。これがどれほど大きいか。

毎回車の紹介を兼ねているけれども、これが日本では考えられない内容である。それをNHKが放送していると思えばその差が歴然としてくる。

いくつか例を挙げるから、いずれもNHKだったらと思って読んでください。

BMWだったか、AUDIだったか、いずれにしても有名な高級車ブランドの車について「この車はまるでジョージ・ブッシュのようだ。見かけだけは威張っている」(日本ではかなり遅れて放送されるため)

会場は爆笑の渦に包まれる。この番組に対してブッシュ元大統領から抗議がきたという話もなければ、視聴者からの抗議もないようだ。いや、あるのだろうが、そういうものは子供の寝言のように扱われるのだろう。

韓国の車が非力であるということを「実証」する番組もあった。ゆるい坂道をのろのろと登って行く車はついに疲れたロバのように停止してしまう。コメントも「こんな車を買う奴は間抜けだ」とかそんな類。

アメリカで活躍しているイギリス人俳優がゲストに招かれる。司会者は「なぜあなたはあんな国で仕事をなさるんです?イギリスのほうがずっと自由でしょうに」と突っ込みを入れる。予想もしなかった質問に対しゲストは苦笑いをしていたが「いや、イギリスはあなたが思うほど自由度はないでしょう」と切り返す。

「おや、それは一体?」「少なくとも信号はイギリスのほうが断然多い」

品のない笑いがあるかと思えばこのようなゆとりある受け答えがある。こうした懐の深さがイギリスなのかもしれない、と思う。うらやましい限りだ。

日本のメディアはといえば、選挙特番で池上彰さんの突っ込みくらいでやんややんやの喝采が起こるほどである。そしてうんざりするほど多い「禁止用語」とそれに類する内容。

ひと言でいえば「ぶりっ子」だ。大人になれぬはずだ。

僕が英語に堪能だと思う人もいるだろうから補足しておこうか。ちょっと前までは日本語スーパー付のがYoutubeで見ることができた。それができなくなって残念である。僕の英語力では聞き取れないのである。中学、高校で真面目にしておけばよかったと、この歳になって初めて思う。それくらい面白い。