あの地震から16年です。はっきりとよみがえって来ます。
まだ、寝てて、強烈なつき上げるような縦ゆれ、周るようなグラグラゆれが長く続き,
立たれへんかったです。タンスは倒れはしませんでしたが、大きく揺れました。怖かったの思い出します。
テレビも前につんのべりそうになり、今にも落ちそうになりましたょ。布団かぶり丸まって、
揺れがおさまるの待って、立ち、見回すと、家の中状況が凄いです。
前開きの食器だなは、コップやお皿が半分以上飛び出て下に落ち見事に割れ。良い物がこわれていましたね。安いのが、落ちても割れもせずひび一つ入ることなく、われていないのです。引き戸になっている所は無事でした。
こんな経験はじめて。余震が何分間おきに来ましたょ。これは豪い凄いことなった事きづいたです。テレビはつき、NHKのアナウンサーさんが「大きな地震が起きました。」と何回も流れだしました。しばらくすると「神戸が震源地みたい」とも流れ出しました。神戸の長田が家事と倒壊で大変なことになってると流れていたです。
余震のためしばらくの間お風呂は入っても寝巻きじゃなく、すぐ外に出れるように普段着着て寝起きしていました。貴重品もサットもてるように~。
タンスが倒れてこないように天井とタンスのつっかいぼうや、タンス止めの鍵フックやタンスが倒れないように下にかますグッズ用品買いました。タンスの上の人形ケースは処分。
団地の周りや隣の住人、皆「怖かったなぁ」第一声。「家の中大丈夫やった」
とりあえず上から落ちてきたもの、割れたもの、かたずけねば。
それには水が~、最初はチョロチョロでていましたが完全に断水。
1階の郵便受けの横にある共同の洗い場、其処は出てるからと皆集まる。しかし、一度に行っても混むだけ、お年入った方の一言で、順番でと、なり、さすが大人です。おとなしく待つ。
飲む水がありませんので確保するためスーパーに水入れる、入れ物買いに走り、学校や支所に、もらいにいきました。少しの間不自由しました。あのときの経験良くも悪くもこれからにいかせたら~
わたしとこは尼崎の東の端です。あれぐらいで済んでよかったです。
あの時は元気で若かったです。いつ来るかわからん不安抱きながら少しこれから頑張らなくてはねとこの日を振り返ります。