旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

日常の非日常

2009年04月18日 | その他
昨年8月から一人暮らしになった私。気ままな一人暮らしの中で一番楽しんでいるのは食べる事であります。先月の”スーパーカブでタイ”ではセミとコオロギがかなり美味しい食材である事が確認できたので、今年、私の家の周囲においてセミとコオロギは絶滅する危険をはらんでいますが、それはまだ先の季節の話であります。

食べるを楽しんでいるのは、”男の料理”とかそういうのとは少し違って、いろいろなものを食べつつ、食費も節約という方向性。だから、買い物に行ったスーパーで安くで売っていた食材をいかにして食べるかという工夫を楽しんでいるともいえます。何時間もかけて”煮込む”とか、そういう根気は基本的にありませんし、だいたいガス代がもったいないので私の台所には採用されない種類の料理です。

昨日の事。

週末の私の食材は、たいていの場合半端になってしまった残り物をいかに食するかという勝負になってきます。昨日は半端に残った野菜をかき集めて野菜炒めにすることにしました。

野菜というのは炒めるとグッと量が減少します。野菜を洗って準備したところ、少し量が少なそうだったので冷奴も追加する事にしました。このほかに味噌汁と糠漬けで私の夕食標準規格”一汁三菜”が完成することとなります。

ワカメと油揚げの味噌汁を準備しながら、愛用の中華鍋を熱して胡麻油を投入。ところが、胡麻油の残りが少なくて使い切ってしまったのです。でも大丈夫。そろそろ無くなると気がついていた私は先週、新しい胡麻油も購入しておいたのです。封を開けているうちに少し温度が上がりすぎた中華鍋に新しい胡麻油を追加投入。このとき、”少し入れすぎたな”と思ったのが、思えば事件の始まりでした。

中華鍋の温度が高すぎると思った私は、コンロの火を一旦消して、味噌汁の方に油揚げを投入するため、油抜きをした油揚げを刻んでいました。

その、視界の端で、中華鍋が少し動いた気がしたのです。確認のために視線を中華鍋に移すと、やはり、取っ手の重さで少しずつガス台から鍋がずり落ち始めているようです。

包丁をまな板に置いて中華鍋に手を伸ばした時には中華鍋のずり落ち速度はかなり勢いがついており、急を要する状況です。私は素早く手を伸ばして見事に中華鍋の取っ手をつかんでその動きを止めました。その際、自分の機敏で正確な運動能力に満足感を覚えもしたのです。

ところが、鍋の動きは止まったのですが、中に入っていた胡麻油にはアイザック・ニュートンの述べるところの”慣性の法則”が働いているという事実に私は思い至らなかったのです。

鍋の中の胡麻油は急速に動きを止められた中華鍋とは別個の運動を始め、鍋肌を乗り越えてあろう事か取っ手を伝って私の人差し指と親指の間に流れ込み、溢れ出て親指の上に溜まったのです。

熱かったというよりも、その予想外の胡麻油の動きに驚き、瞬間的なパニックに陥った私は、冷静な判断ができなくなって、中華鍋を手放しました。中華鍋は台所の床に落下。結局、中華鍋が転落する事は救えず、自分は火傷までしてしまった最悪の結果であります。この時点で私のここまでの努力は全て水泡と帰す事になったわけです。

水泡といえば、熱い胡麻油に晒された私の人差し指と親指が火傷で水泡となる恐れがあります。少しずつ冷静さを取り戻した私は台所のボールに溜めてある水に手を入れて冷やそうとしたのです。ところが、そこに溜まっていたのはお湯でした。頭を切り替えて水道の流水で手を冷やす事にしました。その水をボウルに受けて、そこに冷凍庫から氷を一掴み取り出して投げ込んでさらに冷却。

しばらく様子をみてみたところ、特に痛くもならず、赤くもならず、水泡にもならないので、中華鍋を拾い上げて予定通り野菜炒めを完成させ、夕食をすませました。

夕食後、皿を洗い始めた私は左手の親指にお湯がかかると痛みを感じる事に気がつきました。もう一度指を見ると赤くなり始めています。皿洗いを終えた後、ボウルに氷水を入れてしばらく冷却。

シャワーを浴びて寝る準備をする頃には親指の付け根はすっかり赤くなっていて、痛みも”激痛”といえそうな状態です。冷やせば痛みが引くのが唯一の救い。ゴミ箱からビニール袋を引っ張り出して、氷を詰めて右手の上に置いた状態でようやく眠ることができたのでした。

 さて、本日。今のところ、私の左手は一部分に赤みが残って少し痛みはありますが、どうやらひどい火傷になったりはしていないようです。火傷=>冷やすというファーストエイドの知識は正しいという事を身をもって実証することができました。


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