A Rolling Stone gathers no moss(転石苔むさず)という言葉があります。ここに出てくる石は良い存在と解釈される場合もあれば、悪い存在と解釈されることもあります。以前、どこかでアメリカ的な価値観とイギリス的な価値観、日本的な価値観といった、文化土壌によって解釈が変わるという説明を目にしたことがあって、面白いと思ったことがあります。腰を落ち着けるべきと解くイギリスや日本の文化土壌と、常に活動し続けることを評価するアメリカの文化土壌の差というわけです。
私自身は、そういう文化土壌の差ではなくて、年齢的な差とか、そういう事で考えたことがあります。人間、何時までも転がり続けるべきだとも思いませんし、かといって、生まれた時から何ら活動することなく、若い時から苔むしているというのも気持ち悪いですね。
だから、若い人達が”自分のスタイル”とか言うのを聞くと、”ああ、もう苔生えちゃったわけだね。”と思いますし、だいたい、”自分のスタイル”とか”個性”とか言うスローガン自体が大人に押し付けられた言葉であって、それに素直に踊らされている姿には他人事ながら少し赤面せずにはいられません。とても素直で良い子達なのでしょう。
少し話は逸れますが、私の周りには、”個性的な生き方”をしている人物が何人もいます。その人達は自然と生きている事自体が他の人とコントラストをなしているので、自分たちではそれが”自分のスタイル”だったり、”個性”であるという事には気がついていません。だから、世の中皆がその人のように個性的な考え方をし、個性的な生き方をしていると思い込んでいることが彼らの人生を少し難しいものにしていることが多いと思われます。
こういう風に分析できるという事は、私自身は彼らのようには個性的でないという事の証明なので、少し安心。つまり”変な奴”じゃないという事。絶対そうに違いないと今、確信した次第です。
話をもとに戻しましょう。
私は自分の事を思い返してみても、”転がり続けていた頃”もあれば、”苔むしている時期”もあると思いますし、そのこと自体は自然なことだと思います。転がり続けている頃は、いろいろな事に悩むでしょうし、間違う事も、迷うこともあります。それが当たり前。悩んで、迷って、時には間違って、それで何かを見つけることができるのです。だから、迷ったり、悩んだり、時には失敗するという事が後の自分を形成していくのです。
私個人にとっては14歳頃から23歳頃まではずっと転がり続けていた時代。悩み、迷い、苦しんだ懐かしい時代です。もちろん今でも相変わらず、迷い、悩むことは沢山ありますが、もはや”苦しむ”事はありません。慣れてしまいました。
さて、あなたは迷ったり、悩んだりしたとき、どうするのでしょうか。インターネットで検索?どうやらそういう人がいっぱいいるみたいですね。そして、そこに書いてあることを読んで、答えを探し、それを受け入れる。つまり、転がったことのない石なのです。なるほど、だから10代、20代の若者にも苔が生えて、”自分のスタイル”が語れるというワケだったのですね。勝手に納得。
答えを引用してばかりいると、結局、価値観は画一化してしまいます。
そのことにコンプレックスを覚えて”個性”とか”自分のスタイル”という言葉に過剰反応。何とか他の人との違いをアピールしようと躍起になってはいないでしょうか。個性とか自分のスタイルというのは自分から自然に滲み出すものであって、自分にはなかなか認識できない種類のもののはず。そういう事を磨きたいのであれば、まず、居心地の良い苔生した現在位置から転がり始めなければ何も始まらないと思います。
そういえば、就職、難しいそうですね。それならいっそのこと、何年かかけて放浪して、就職事情がよくなった頃に帰ってくるというのも良いのではないかと思います。
そうやって、転がって、新しい場所に落ち着いたら、今度はそこで苔むすまで頑張ってみればよいのだと思います。
私自身は、そういう文化土壌の差ではなくて、年齢的な差とか、そういう事で考えたことがあります。人間、何時までも転がり続けるべきだとも思いませんし、かといって、生まれた時から何ら活動することなく、若い時から苔むしているというのも気持ち悪いですね。
だから、若い人達が”自分のスタイル”とか言うのを聞くと、”ああ、もう苔生えちゃったわけだね。”と思いますし、だいたい、”自分のスタイル”とか”個性”とか言うスローガン自体が大人に押し付けられた言葉であって、それに素直に踊らされている姿には他人事ながら少し赤面せずにはいられません。とても素直で良い子達なのでしょう。
少し話は逸れますが、私の周りには、”個性的な生き方”をしている人物が何人もいます。その人達は自然と生きている事自体が他の人とコントラストをなしているので、自分たちではそれが”自分のスタイル”だったり、”個性”であるという事には気がついていません。だから、世の中皆がその人のように個性的な考え方をし、個性的な生き方をしていると思い込んでいることが彼らの人生を少し難しいものにしていることが多いと思われます。
こういう風に分析できるという事は、私自身は彼らのようには個性的でないという事の証明なので、少し安心。つまり”変な奴”じゃないという事。絶対そうに違いないと今、確信した次第です。
話をもとに戻しましょう。
私は自分の事を思い返してみても、”転がり続けていた頃”もあれば、”苔むしている時期”もあると思いますし、そのこと自体は自然なことだと思います。転がり続けている頃は、いろいろな事に悩むでしょうし、間違う事も、迷うこともあります。それが当たり前。悩んで、迷って、時には間違って、それで何かを見つけることができるのです。だから、迷ったり、悩んだり、時には失敗するという事が後の自分を形成していくのです。
私個人にとっては14歳頃から23歳頃まではずっと転がり続けていた時代。悩み、迷い、苦しんだ懐かしい時代です。もちろん今でも相変わらず、迷い、悩むことは沢山ありますが、もはや”苦しむ”事はありません。慣れてしまいました。
さて、あなたは迷ったり、悩んだりしたとき、どうするのでしょうか。インターネットで検索?どうやらそういう人がいっぱいいるみたいですね。そして、そこに書いてあることを読んで、答えを探し、それを受け入れる。つまり、転がったことのない石なのです。なるほど、だから10代、20代の若者にも苔が生えて、”自分のスタイル”が語れるというワケだったのですね。勝手に納得。
答えを引用してばかりいると、結局、価値観は画一化してしまいます。
そのことにコンプレックスを覚えて”個性”とか”自分のスタイル”という言葉に過剰反応。何とか他の人との違いをアピールしようと躍起になってはいないでしょうか。個性とか自分のスタイルというのは自分から自然に滲み出すものであって、自分にはなかなか認識できない種類のもののはず。そういう事を磨きたいのであれば、まず、居心地の良い苔生した現在位置から転がり始めなければ何も始まらないと思います。
そういえば、就職、難しいそうですね。それならいっそのこと、何年かかけて放浪して、就職事情がよくなった頃に帰ってくるというのも良いのではないかと思います。
そうやって、転がって、新しい場所に落ち着いたら、今度はそこで苔むすまで頑張ってみればよいのだと思います。
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